2026年現在、映画プロデューサー・叶井俊太郎(かない・しゅんたろう)は、2024年2月16日に56歳で亡くなっている。フランス映画『アメリ』を日本で大ヒットさせた映画バイヤーとして知られる一方、『いかレスラー』『日本以外全部沈没』など個性的な作品を世に送り出し、映画業界で独自の存在感を放った人物だ。
私生活では漫画家・倉田真由美との結婚や4度の結婚歴、映画配給会社の倒産など波乱に富んだ人生を送った。さらに2022年6月には末期のすい臓がんと診断され、医師から余命半年を宣告されながらも、仕事を続け、文化人15人との対談本『エンドロール!』を完成させた。彼はどのような人生を歩み、最後まで何を考えていたのか。経歴、家族、訴訟、闘病生活、そして死去までを時系列で整理する。
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> - 経歴: 2001年公開のフランス映画『アメリ』を買い付け、興行収入16億円の大ヒットに導いた映画プロデューサー。
> - 結婚: 2009年9月に漫画家・倉田真由美と結婚。叶井にとって4度目の結婚だった。
> - 闘病と最期: 2022年6月にすい臓がんで余命半年を宣告され、2023年にステージ4を公表。2024年2月16日に56歳で死去した。
【叶井俊太郎の経歴】『アメリ』をヒットさせた異色の映画プロデューサー

叶井俊太郎は1967年9月18日生まれ、東京都出身の映画プロデューサー、映画宣伝担当者、コラムニストである。
映画業界では、一般的な大作映画だけでなく、B級・C級映画、ホラー、エログロ系の作品など、ほかの配給会社が買い付けをためらうような作品を積極的に日本へ紹介した人物として知られている。
父親は元東京新聞記者で経済評論家の磯崎史郎とされる。映画業界に入ってからは、作品の買い付けから配給、宣伝、企画、プロデュースまで幅広い仕事を経験した。
映画業界に入ったきっかけと『アメリ』の成功叶井はラジオ局のアシスタントディレクターなどを経験した後、24歳ごろに映画業界へ進んだ。
1991年には映画配給会社に入社。翌1992年には香港映画『八仙飯店之人肉饅頭』を買い付けている。
こうした作品選びからも分かるように、叶井は当初から万人受けする作品だけを扱うタイプではなかった。刺激の強い作品や、既存の映画市場では扱いにくい作品に商機を見いだす独特の感覚を持っていた。
そのキャリアを大きく変えたのが、2001年公開のフランス映画『アメリ』だった。
同作は日本でも大きな話題となり、興行収入16億円を記録するヒットとなった。映画の買い付け担当者として叶井の名前が広く知られるきっかけになった作品である。
独立、会社設立、そして倒産2003年にはファントム・フィルムの設立に携わり、2005年に退社。同年には自らトルネード・フィルムを設立し、代表として映画の企画・プロデュースを手がけた。
代表的な作品には、河崎実監督の『いかレスラー』『ヅラ刑事』『日本以外全部沈没』などがある。
一方、経営面では厳しい局面も経験した。トルネード・フィルムは2010年に破産。日刊スポーツは、同社の負債総額が約3億円だったと報じている。
その後、2019年にはサイゾーに移り、映画配給レーベル「エクストリーム」の宣伝プロデューサーを務めた。
叶井のキャリアは、ヒット作品だけでなく、独立や経営上の失敗も含めて理解する必要がある。
叶井俊太郎のプロフィール・経歴年表| 時期 | 出来事 | 主な内容 |
|---|---|---|
| 1967年9月18日 | 東京都で誕生 | 映画プロデューサー、コラムニスト |
| 1991年 | 映画業界へ | 映画配給会社に入社 |
| 1992年 | 映画買い付け | 『八仙飯店之人肉饅頭』を買い付け |
| 2001年 | 『アメリ』がヒット | 興行収入16億円を記録 |
| 2003年 | ファントム・フィルム設立 | 映画配給事業に携わる |
| 2005年 | トルネード・フィルム設立 | 代表として映画を企画・プロデュース |
| 2010年 | 会社が破産 | 負債総額約3億円と報道 |
| 2019年 | サイゾーに移籍 | エクストリームの宣伝プロデューサー |
| 2022年6月 | すい臓がんと診断 | 医師から余命半年を宣告 |
| 2023年11月 | 闘病と対談本が話題に | 『エンドロール!』を出版 |
| 2024年2月16日 | 死去 | 56歳 |
(日刊スポーツ、リアルサウンド、出版社の書誌情報などをもとに整理)
【倉田真由美との結婚】4度目の結婚と前妻からの損害賠償訴訟
叶井俊太郎の私生活で特に注目されたのが、漫画家・倉田真由美との結婚である。
倉田真由美は『だめんず・うぉ〜か〜』などで知られる漫画家。恋愛や男女関係を率直に描く作風で人気を集めてきた。
叶井と倉田は2009年9月に結婚した。叶井にとっては4度目の結婚であり、それ以前に3度の離婚を経験していた。
2009年9月に結婚した2人2人の関係については、結婚当初からさまざまな報道があった。
特に2010年には、叶井の前妻が倉田を含む2人に対して損害賠償を求める訴訟を起こしたと報じられた。
J-CASTニュースの2010年5月27日の記事によると、前妻が求めた金額は次のとおりだった。
- 叶井俊太郎に対して1500万円
- 倉田真由美に対して500万円
- 合計2000万円
訴えの背景には、前妻との離婚時期や、叶井と倉田の交際・妊娠時期をめぐる主張の対立があった。
一方、倉田は「略奪婚」という報道を否定。交際が始まったのは離婚届の提出後だったと反論し、報道で取り上げられたメールの内容についても疑義を示していた。
当時のJ-CASTニュースは、2010年5月時点で訴訟が係争中だったと伝えている。こうした経緯は、あくまで当時報じられた前妻側の主張と倉田側の反論を分けて理解する必要がある。
夫婦関係が長く続いた理由波乱のある結婚歴から、2人の結婚生活も短期間で終わると予想する声があったという。
しかし、叶井本人は2023年のリアルサウンドのインタビューで、倉田との結婚生活が長く続いた理由について語っている。
その一つが、読書の好みが似ていたことだった。
さらに、子どもが生まれ、2人で子育てという共同作業を続けたことも大きかったと振り返っている。
倉田も夫について、2024年2月の訃報を伝える投稿で、次のように記した。
「夫は癖の強い人で、合わない人も結構いたかもしれません。でも、私とは合う人だった」
そして最後には「最高の父ちゃんでした」と結んでいる。
結婚歴の多さや会社の倒産といった話題だけでは見えにくい、夫婦として過ごした十数年間の関係がうかがえる言葉だ。
【末期すい臓がんと余命半年宣告】2022年から始まった闘病生活
叶井俊太郎の人生に大きな転機が訪れたのは2022年6月だった。
このとき、叶井はすい臓がんと診断され、医師から余命半年と告げられた。
日刊スポーツやリアルサウンドなどの報道によると、診断時はステージ3だった。
一般的に、すい臓がんは早期発見が難しいがんの一つとして知られる。叶井の場合も、診断後に病状が進行し、2023年にはステージ4の末期がんであることを公表した。
2023年10月、ステージ4を公表叶井は2023年10月11日、自身のSNSなどを通じて、ステージ4のすい臓がんであることと、対談本『エンドロール!』の刊行を発表した。
この発表を受け、末期がんでありながら仕事を続ける姿が大きな注目を集めた。
2023年11月の文春オンラインのインタビューでは、病状の進行によって食事が難しくなり、体重が大きく減少したことを明かしている。
具体的には、以前は約85キロあった体重が58キロまで減少。約30キロの減量となっていた。
がんが大きくなり臓器を圧迫したことで食事が困難になり、胃の一部を切除する手術も受けたという。
抗がん剤治療を選ばず、仕事を続ける選択叶井は抗がん剤治療やがんに対する標準的な治療を積極的には選ばず、できるだけ普段どおりの生活を続ける道を選択した。
ただし、すべての医療処置を拒否していたわけではない。食事ができなくなるなど、症状への対応として手術や入院を経験している。
2023年9月の入院中には、処置に伴う激しい痛みに苦しみ、精神的にも追い詰められたことを本人がインタビューで明かしている。
病気を公表した後も、叶井は仕事を続けた。
余命半年という宣告から時間が経過しても活動を続け、2023年11月には、すでに当初の余命を超えて生きていることについても率直な感想を語っていた。
闘病中の叶井が語った死生観叶井の発言で印象的なのは、病気を必要以上に悲劇として語らなかったことだ。
リアルサウンドのインタビューでは「人生、特に未練がない」と話し、末期がんになったことで、長く会えていなかった知人や仕事仲間と話す機会が生まれたことにも触れていた。
もちろん、病気による身体的な苦痛や不自由がなかったわけではない。
食事ができない、体重が減る、入院生活で激痛に苦しむといった現実があった。それでも仕事を続け、自分の言葉を残すことに時間を使った。
この姿勢は、単なる強がりというより、残された時間を何に使うかという本人なりの選択だったと考えられる。
【2024年2月16日に死去】叶井俊太郎の最期と倉田真由美の報告
2024年2月16日午後11時ごろ、叶井俊太郎は東京都内の自宅で亡くなった。
享年56歳。
死去は翌17日に報じられ、妻の倉田真由美は2月27日に自身のXを更新して夫の訃報を伝えた。
倉田真由美が明かした最期の様子TBS NEWS DIGが報じた倉田の投稿によると、叶井は亡くなる前日まで毎日シャワーを浴び、髪を洗い、髭を剃っていたという。
また、普通に会話もできていたと振り返っている。
倉田は、自分の目の前で夫が最期の息を引き取ったことを明かし、何度も「父ちゃん」と呼びかけたものの、戻ってこなかったとつづった。
特に印象的なのは、夫婦関係についての言葉である。
倉田は、叶井について癖の強い人だったとしながらも、自分とは相性がよく、十数年間の家族生活でほとんどストレスを感じなかったと振り返った。
そして投稿の最後を「いい思い出しかありません。最高の父ちゃんでした」と締めくくった。
余命半年の宣告から約1年8カ月2022年6月に余命半年と宣告されてから、叶井は約1年8カ月生きたことになる。
当初の宣告期間を大きく超えたことは、本人にとっても予想外だった。
ただし、余命宣告は個々の患者の経過を確定するものではなく、医学的な見通しの一つである。叶井の経過を、ほかのすい臓がん患者にも当てはまるものとして捉えることはできない。
彼が最期まで仕事を続けたこと、そして自分の人生を対談本という形で残したことは、叶井俊太郎という人物を振り返るうえで欠かせない事実となっている。
【対談本『エンドロール!』】末期がんの叶井俊太郎が最後に残した言葉
叶井俊太郎の人生を知るうえで、重要な資料となるのが2023年11月10日に発売された著書『エンドロール! 末期がんになった叶井俊太郎と、文化人15人の“余命半年”論』である。
出版社はサイゾー。全312ページの対談集で、叶井が親交のあった文化人15人と、仕事や人生、死生観について語り合っている。
対談相手には映画界や出版界の著名人が参加本書には、さまざまなジャンルで活動する人物が登場する。
主な対談相手は次のとおり。
- 鈴木敏夫
- 奥山和由
- Kダブシャイン
- ロッキン・ジェリービーン
- 樋口毅宏
- 柳下毅一郎
- 宇川直宏
- 中原昌也
- 江戸木純
- 河崎実
- 清水崇
- 豊島圭介
- 岩井志麻子
- 中瀬ゆかり
- 中村うさぎ
映画関係者だけでなく、作家、編集者、アーティストなど幅広い人物が参加している。
本書の特徴は、単なる闘病記ではないことだ。
90年代のサブカルチャー映画界のエピソード、叶井の仕事術、映画の買い付けや宣伝に対する考え方、そして「余命半年を宣告されたらどうするか」という問いまで、さまざまなテーマが扱われている。
叶井が語った「末期がんになったからこそできたこと」リアルサウンドのインタビューで叶井は、この本について「この本が制作できたのも末期がんのおかげ」と語っている。
病気になったことで、普段ならなかなか実現しなかった旧知の人物との対談が実現したという。
また、仕事を進めるうえで末期がんという状況が、ある種の強いきっかけになったことも明かしていた。
興味深いのは、死を前にしても、叶井が自分の人生を一方的に振り返るだけではなかったことだ。
対談相手にも「余命半年を宣告されたら、あなたならどうする?」と問いかけている。
つまり本書は、叶井自身の人生の記録であると同時に、ほかの人々の死生観を引き出す企画でもあった。
倉田真由美が記した本書のあとがき本書には倉田真由美によるあとがきも収録されている。
出版社の紹介文では、夫のがんが判明した年を「人生で一番泣いた一年だった」と振り返っている。
一方、叶井は倉田が泣いているときにも、治らない病気だから泣いても仕方がないという趣旨の言葉をかけていたという。
このあとがきは、本人の対談だけでは見えにくい、家族の側から見た闘病生活を伝える重要な部分だ。
叶井の発言と倉田の記述を合わせて読むことで、本人が語った死生観と、家族が経験した現実の両方を知ることができる。
『エンドロール!』は、映画業界の回顧録であると同時に、余命宣告を受けた一人の人物が残した対話の記録なのである。
【プロの結論】叶井俊太郎が映画界に残したものとは?
叶井俊太郎の人生を振り返ると、単純な成功者や悲劇の人物という言葉では説明しきれない。
彼の仕事には、大きく3つの特徴があった。
1. 大衆の関心をつかむ作品選び『アメリ』の成功は、映画の内容だけでなく、日本市場でどの作品に可能性があるかを見抜く買い付けの感覚を示している。
一方で、香港の過激なホラー映画や、一般的な大手配給会社が扱いにくい作品も積極的に紹介してきた。
大作だけが映画市場をつくるわけではない。小規模な作品や異色作にも観客を呼び込む余地があることを、叶井の仕事は示していた。
2. 成功と失敗を両方経験した経営者としての側面トルネード・フィルムの設立と破産は、叶井のキャリアにおける大きな転換点だった。
『アメリ』のヒットだけを見れば成功した映画人という印象になるが、会社経営では約3億円の負債を抱える結果となった。
映画の買い付けや宣伝で優れた実績を残すことと、会社を安定的に経営することは別の能力である。
叶井の経歴は、映画ビジネスにおける創造性と経営リスクの両面を示している。
3. 自分の人生を他者との対話として残したこと最後に注目したいのは、対談本『エンドロール!』である。
自分の病状や死について語るだけでなく、15人の文化人と話し、それぞれの人生観を引き出した。
本人の言葉だけでなく、対談相手の発言も含めて記録する形式にしたことには大きな意味がある。
叶井の人生は、映画作品、会社経営、結婚、闘病というさまざまな側面から語られる。しかし、その全体をつなぐものは、最後まで人と会い、話し、仕事を続けようとした姿勢だったのではないだろうか。
叶井俊太郎を理解するなら、『アメリ』の成功だけでも、4度の結婚歴だけでも、末期がんとの闘いだけでも不十分だ。 映画を世に送り出す仕事人としての顔と、周囲の人々と関係を築きながら生きた一人の人間としての顔。その両方を知ることが、彼の実像に近づくための判断基準となる。
【叶井俊太郎】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:叶井俊太郎はいつ亡くなった?
2024年2月16日午後11時ごろ、東京都内の自宅で亡くなった。56歳だった。妻の倉田真由美が同月27日に自身のXで訃報を公表している。
Q2:叶井俊太郎と倉田真由美はいつ結婚した?
2009年9月に結婚した。叶井にとっては4度目の結婚で、それ以前に3度の離婚を経験していた。2人の間には娘がいる。
Q3:叶井俊太郎はいつ末期すい臓がんと診断された?
2022年6月にステージ3のすい臓がんと診断され、医師から余命半年を宣告された。その後、2023年10月にステージ4の末期がんであることを公表した。2024年2月16日に亡くなるまで、約1年8カ月を過ごした。
Q4:叶井俊太郎の著書『エンドロール!』とはどんな本?
2023年11月10日にサイゾーから発売された対談集である。叶井が鈴木敏夫、奥山和由、岩井志麻子、中瀬ゆかりら文化人15人と、映画、仕事、人生、余命について語り合った内容が収録されている。
叶井俊太郎は、1967年9月18日に生まれ、2024年2月16日に56歳で亡くなった映画プロデューサーである。
2001年の『アメリ』の大ヒットをはじめ、『いかレスラー』『日本以外全部沈没』など、独自の感覚でさまざまな映画を世に送り出した。
倉田真由美との結婚、会社の設立と倒産、前妻との損害賠償訴訟をめぐる報道など、私生活や仕事でも波乱の多い人生だった。
そして2022年にすい臓がんで余命半年を宣告されてからも、仕事を続け、2023年には『エンドロール!』を出版。最期まで自分らしい活動を続けた。
2026年現在、本人の新たな活動を見ることはできない。しかし、映画作品と対談本、そして妻・倉田真由美が残した言葉は、今も叶井俊太郎の人物像を伝えている。
映画業界の異端児としてだけでなく、成功も失敗も隠さず、残された時間を自分の仕事と人間関係に使った人物として、その人生は記憶されていく。
主な参照資料・報道
- 日刊スポーツ:叶井俊太郎の訃報、映画業界での経歴
- リアルサウンド ブック:生前インタビュー、仕事観、結婚生活、死生観
- 文春オンライン:末期すい臓がんの公表、闘病生活、生前インタビュー
- TBS NEWS DIG:倉田真由美による訃報と最期の報告
- J-CASTニュース:2010年の損害賠償訴訟報道と倉田側の反論
- 版元ドットコム:『エンドロール!』の書誌情報、出版社紹介、著者プロフィール