答えは、2026年現在の岩友親方は、元関脇・碧山の岩友亘右さんです。
ただし、2024年7月までは元前頭・木村山の木村守さんが「岩友」の名跡を名乗っていました。木村守さんの逝去後、同年9月に碧山が現役を引退し、同じ年寄名跡を襲名しています。
日本相撲協会の公式発表を確認すると、2人の関係は次のように整理できます。
- 先代:岩友守(元前頭・木村山)
- 現在:岩友亘右(元関脇・碧山)
- 所属:どちらも春日野部屋
- 共通点:同じ「岩友」という年寄名跡を継承
特に重要なのは、同じ岩友親方という呼称でも、人物と活動時期が異なることです。
日本相撲協会は、木村守さんの訃報と碧山の引退・年寄襲名をそれぞれ公式に発表しています。
【木村山守の経歴】箕島高校から東洋大学、前頭7枚目までの歩み

(きむらやま・まもる)
1981年7月13日生まれ・和歌山県御坊市出身
- 本名:木村守
- 所属:春日野部屋
- 最高位:前頭7枚目
- 得意技:押し
- 引退:2014年1月場所
木村山守さんは、和歌山県御坊市出身の元大相撲力士です。
県立箕島高校から東洋大学へ進学し、大学卒業後の2004年3月場所に春日野部屋から初土俵を踏みました。
学生時代から相撲に取り組み、卒業後に角界入りした経歴を持っています。
力士としての特徴は、突きや押しを主体とした取り口です。日本相撲協会の公式プロフィールでも得意技は「押し」とされています。
木村山の主な経歴
- 2004年3月:春日野部屋から初土俵
- 2008年1月:新十両
- 2008年7月:新入幕
- 2010年九州場所:最高位の西前頭7枚目に到達
- 2014年1月:現役引退
- 2014年1月以降:年寄「岩友」を襲名
新十両から新入幕までの昇進を果たし、幕内では通算16場所を務めました。
日本相撲協会の力士プロフィールによると、木村山の生涯戦歴は343勝328敗7休(59場所)。幕内戦歴は101勝139敗(16場所)です。
また、十両優勝を2回経験しています。
木村山と岩友亘右のプロフィール比較検索結果で特に混乱しやすいのが、両者の戦歴です。
| 項目 | 先代・岩友守 | 現在・岩友亘右 |
|---|---|---|
| 元の四股名 | 木村山 | 碧山 |
| 本名 | 木村守 | 古田亘右 |
| 出身 | 和歌山県御坊市 | ブルガリア・ヤンボル |
| 生年月日 | 1981年7月13日 | 1986年6月19日 |
| 最高位 | 前頭7枚目 | 関脇 |
| 生涯戦歴 | 343勝328敗7休 | 613勝607敗35休 |
| 幕内戦歴 | 101勝139敗 | 504勝528敗33休 |
| 引退 | 2014年1月場所 | 2024年9月場所 |
| 岩友襲名 | 2014年 | 2024年9月24日 |
出典:日本相撲協会の公式力士プロフィール・年寄プロフィール。
この比較で分かるように、613勝607敗35休という戦績は木村山ではなく、碧山のものです。
2人の戦績を混ぜて紹介している記事には注意が必要です。
【死去の真相】岩友親方・木村山守は42歳でなぜ亡くなった?
元前頭・木村山の岩友親方は、2024年7月6日未明、42歳で亡くなりました。
日本相撲協会が同日、公式サイトで訃報を発表しています。
本名は木村守さん。和歌山県出身で、春日野部屋に所属していました。
亡くなったのは43歳の誕生日を迎えるわずか7日前でした。1981年7月13日生まれだったため、享年42歳です。
死因や病名は公表されている?最も検索されている疑問の一つが、岩友親方の死因です。
現在確認できる公表情報を整理すると、次のようになります。
| 確認項目 | 公表・報道されている内容 |
|---|---|
| 死亡日 | 2024年7月6日 |
| 年齢 | 42歳 |
| 死亡場所 | 療養中の病院 |
| 死去の発表 | 日本相撲協会 |
| 具体的な死因 | 公表されていない |
| 病名・診断名 | 公表されていない |
日刊スポーツやスポニチの報道では、療養中の病院で亡くなったことが伝えられています。
また、スポニチは関係者の話として、2024年5月に体調を崩し、夏場所を休場していたことを報じています。その後、名古屋場所の担当業務も休み、療養していたとされています。
しかし、これらは体調不良や療養に関する報道であり、具体的な病名や医学的な死因を示すものではありません。
PTSDなど特定の病気が死因だったと断定できる公的な情報はありません。
病名を特定する情報がない以上、特定の疾患や精神的な問題と死去を結び付けることはできません。
岩友親方の葬儀と周囲の反応2024年7月11日、東京都墨田区の春日野部屋で葬儀・告別式が営まれました。
和歌山放送の報道によると、葬儀には約200人が参列しました。
2008年初場所に木村山と一緒に十両へ昇進した元大関・栃ノ心も参列し、故人の人柄をしのびました。
師匠だった春日野親方も、木村守さんの明るい人柄を振り返っています。
現役を引退した後も、部屋付き親方として後進の指導に携わり、名古屋場所の担当業務などでも活動していた人物でした。
【名跡の由来と襲名経緯】なぜ碧山が岩友親方になったのか?
木村山の死去後、年寄名跡「岩友」を引き継いだのが、元関脇・さんです。
この襲名には、2人の間にあった関係性も関係しています。
日刊スポーツの報道によると、碧山は木村山を兄のように慕っていました。
木村山が2024年7月に亡くなった後、碧山が同年9月に現役を引退し、岩友の名跡を継承しました。
2024年の名跡継承を時系列で整理2024年7月6日
元前頭・木村山の岩友親方が42歳で逝去。日本相撲協会が公式に訃報を発表しました。
2024年7月11日
春日野部屋で葬儀・告別式が営まれました。
2024年9月24日
日本相撲協会が理事会で元関脇・碧山の現役引退と年寄「岩友」の襲名を承認しました。
この発表は、日本相撲協会の公式「引退および年寄襲名のお知らせ」に記録されています。
年寄名跡「岩友」の由来とは?そもそも岩友とは、力士の四股名ではなく、日本相撲協会の年寄名跡の一つです。
年寄とは、一般に「親方」と呼ばれる立場の正式な名称です。現役を引退した力士が年寄名跡を襲名することで、協会に残り、後進の指導などに携わります。
日本相撲協会の解説でも、年寄名跡を取得した元力士がその名跡を名乗る仕組みが紹介されています。
岩友という名称については、初代岩友が現役時代に名乗っていた四股名に由来するとされています。
ただし、なぜその四股名が付けられたのかという語源の詳細は明らかになっていません。
つまり、木村山から碧山への継承は、四股名の変更ではなく、協会における年寄名跡の継承です。
【2026年最新】現在の岩友親方・碧山亘右の経歴と戦績
2026年10月現在
- 本名:古田亘右
- 生年月日:1986年6月19日
- 年齢:40歳
- 出身地:ブルガリア・ヤンボル
- 所属:春日野部屋
- 元の四股名:碧山
- 最高位:関脇
- 引退:2024年9月場所
現在の岩友親方は、ブルガリア出身の元関脇・碧山です。
日本相撲協会の年寄プロフィールには、岩友亘右として掲載されています。
現役時代の四股名は碧山亘右。ブルガリアのヤンボル出身で、春日野部屋に所属しています。
2009年7月場所に初土俵を踏み、2011年7月場所に新十両、同年11月場所に新入幕を果たしました。
2012年9月場所には新三役となり、最高位は関脇まで昇進しています。
生涯戦歴613勝607敗35休の実績岩友亘右さんの力士としての実績は、公式プロフィールに次のように記録されています。
生涯戦歴613勝607敗35休
90場所
幕内戦歴504勝528敗33休
71場所4回
敢闘賞1回
技能賞1個
金星
出典:日本相撲協会公式・岩友亘右 年寄プロフィール
特筆すべきなのは、幕内在位71場所という実績です。
幕内で長期間にわたって戦い続けた力士であり、敢闘賞4回、技能賞1回、金星1個という受賞歴もあります。
また、幕下優勝1回、序二段優勝1回、序ノ口優勝1回も記録されています。
碧山の得意技と取り口公式プロフィールでは、碧山の得意技は「右四つ・寄り」とされています。
決まり手の傾向としては、叩き込みが55%、押し出しが18%、引き落としが6%です。
大柄な体格を生かした相撲で、長く幕内を務めた力士でした。
現役引退後は、春日野部屋に所属する年寄として後進の育成に携わっています。
木村山が担っていた「岩友」という名跡を引き継いだことからも、単なる現役引退ではなく、部屋や協会の中で新しい役割を担う転換点だったことが分かります。
【プロの結論】岩友親方を調べるときに間違えない3つの判断基準
岩友親方について調べる際、重要なのは検索結果に表示された名前だけで人物を判断しないことです。
特に、2024年は木村山の逝去と碧山の引退・襲名が同じ年に起きたため、過去の記事と現在のプロフィールが混在しやすくなっています。
情報を見極める際には、次の3点を確認すると整理しやすくなります。
1. 記事の掲載日を確認する
2024年7月以前・7月以降・9月24日以降では、岩友親方を指す人物が異なります。
- 2024年7月以前:元前頭・木村山の岩友守
- 2024年7月6日以降:先代の岩友守は逝去
- 2024年9月24日以降:元関脇・碧山の岩友亘右が襲名
2. 戦歴の数字から人物を判別する
613勝607敗35休なら碧山、343勝328敗7休なら木村山です。
この数字は人物を識別するうえで非常に有効です。
3. 死因に関する情報は公式発表と区別する
木村守さんの死去は公式発表されていますが、病名や死因の詳細は公表されていません。
病気に関する推測や根拠のない情報を、協会が発表した事実と同じ扱いにしないことが大切です。
相撲界では、現役時代の四股名と引退後の年寄名跡が異なるため、同じ親方の名前を追っているつもりでも、実際には別の人物の情報を読んでいる場合があります。
岩友親方のケースは、その典型例です。
【岩友親方】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:現在の岩友親方は誰ですか?
A1:2026年10月現在は、元関脇・碧山の岩友亘右さんです。2024年9月24日に現役を引退し、日本相撲協会の理事会で年寄「岩友」の襲名が承認されました。
Q2:元木村山の岩友親方はいつ亡くなりましたか?
A2:2024年7月6日未明です。本名は木村守さんで、42歳でした。療養中の病院で亡くなったことが報じられています。
Q3:岩友親方の死因は何ですか?
A3:具体的な死因や病名は公表されていません。日本相撲協会の訃報にも、死因の記載はありません。
Q4:岩友親方の生涯戦歴613勝607敗35休は誰の記録ですか?
A4:元関脇・碧山の岩友亘右さんの記録です。木村山の記録ではありません。
Q5:碧山はなぜ岩友親方を襲名したのですか?
A5:2024年7月に亡くなった先代の岩友親方(元木村山)が名乗っていた年寄名跡を、同年9月24日の現役引退に伴って襲名したためです。碧山は木村山を兄のように慕っていたことも報道されています。
Q6:岩友親方は現在も春日野部屋に所属していますか?
A6:はい。日本相撲協会の年寄プロフィールでは、岩友亘右さんの所属部屋は春日野部屋と記載されています。
「岩友親方」という名前には、2人の力士の歴史があります。
1人目は、元前頭・木村山の木村守さん。2014年に現役を引退して岩友を襲名し、2024年7月6日に42歳で亡くなりました。死因や具体的な病名は公表されていません。
2人目は、元関脇・碧山の岩友亘右さん。2024年9月24日に現役を引退して岩友を襲名し、2026年現在も春日野部屋所属の年寄として日本相撲協会の公式プロフィールに掲載されています。
そして、検索時に特に間違えやすいのが戦歴の違いです。
- 木村山守:343勝328敗7休
- 岩友亘右(元碧山):613勝607敗35休
同じ岩友という名前でも、歩んできた力士人生は異なります。
木村山が残した指導者としての歩みと、碧山がこれから担う親方としての役割。年寄名跡「岩友」は、2人の力士をつなぐ相撲界の歴史の一部になっています。2026年以降も、岩友亘右さんが春日野部屋でどのような後進育成に取り組んでいくのか、注目されます。