俳優・大森南朋の父親は、俳優であり前衛舞踏家としても知られる麿赤兒(まろ・あかじ)です。日本を代表する舞踏集団「大駱駝艦」を主宰する芸術家で、独特の存在感を持つ個性派俳優としても幅広く活躍しています。
さらに、大森南朋の兄は映画監督の大森立嗣、母は桃枝という個性的な経歴を持つ人物です。幼少期は父と別居して母に育てられたことや、父との独特な交流、俳優になるきっかけを父から与えられた経緯も、2025年の「徹子の部屋」出演などで明らかになりました。2025年11月には妻の小野ゆり子を含めた家族3人で初共演し、話題を集めています。
この記事では、2026年10月現在の活動情報も交えながら、大森南朋の父親の正体、麿赤兒のプロフィール、家族構成、幼少期の親子関係、映画での共演歴まで詳しく解説します。
【結論】大森南朋の父親は麿赤兒!読み方や本名、プロフィールを紹介

大森南朋の父親は、俳優・舞踏家・演出家として活動する麿赤兒(まろ・あかじ)です。
テレビドラマや映画で強烈な存在感を放つ俳優である一方、日本の前衛舞踏を代表する表現者でもあります。一般的な俳優とは異なる芸術活動を長年続けており、舞台芸術の世界でも高い評価を受けています。
麿赤兒の基本プロフィール麿赤兒のプロフィールを整理すると、次のとおりです。
- 芸名:麿赤兒
- 読み方:まろ・あかじ
- 本名:大森宏(おおもり・ひろし)
- 生年月日:1943年2月23日
- 出身地:奈良県
- 職業:俳優・舞踏家・演出家
- 所属・活動拠点:大駱駝艦、キャメルアーツ
- 家族:長男・大森立嗣、次男・大森南朋
本名は大森宏です。芸名の「麿赤兒」は読み方が難しく、初めて名前を見た人が読み方を検索することも少なくありません。
「麿」は「まろ」、「赤兒」は「あかじ」と読みます。俳優としての活動だけでなく、舞踏家としての独創的な表現活動によっても知られています。百科事典マイペディアにも、本名や舞踏家としての経歴が掲載されています。
麿赤兒は舞踏集団「大駱駝艦」の主宰者麿赤兒を語るうえで欠かせないのが、1972年に旗揚げした舞踏集団「大駱駝艦(だいらくだかん)」です。
麿赤兒は1965年に唐十郎が率いる劇団「状況劇場」に参加。翌1966年には、舞踏の創始者の一人である土方巽に師事しました。
その後、1972年に大駱駝艦を旗揚げし、独自の舞踏スタイル「天賦典式(てんぷてんしき)」を確立します。
天賦典式とは、この世に生まれ入ったこと自体を大いなる才能と捉える考え方です。身体表現に大規模な舞台装置や演出を組み合わせた、視覚的にも強烈な舞台芸術として知られています。
大駱駝艦の公式プロフィールによると、麿赤兒は国内外で精力的に作品を発表し、後進の舞踏家の育成にも取り組んできました。
主な受賞歴には、2006年度の文化庁長官表彰、2013年の第7回日本ダンスフォーラム賞大賞、2021年度の第76回文化庁芸術祭賞舞踊部門大賞、2022年の第40回ニムラ舞踊賞などがあります。
こうした経歴からも、麿赤兒は単なる個性派俳優ではなく、日本の舞踏文化を国内外に広めてきた重要な芸術家であることが分かります。
【家族構成】母・桃枝と兄・大森立嗣も個性的な表現者一家
大森南朋の家族は、父の麿赤兒だけでなく、母の桃枝、兄の大森立嗣もそれぞれ強い個性を持っています。
父は舞踏家・俳優、兄は映画監督、弟は俳優という、映像や舞台芸術に深く関わる家族です。
母・桃枝は新宿の文化人たちに知られた女性大森南朋の母親は桃枝さんです。
2023年放送のNHK「ファミリーヒストリー」では、大森家のルーツや両親の出会いについて紹介されました。
日刊スポーツの番組紹介記事によると、桃枝さんは新宿の喫茶店「風月堂」に通う常連で、「ダダ」という愛称で知られていた人物です。その後、新宿で「ダダ」というバーを経営しながら、大森南朋と兄の立嗣を育てました。
2025年7月の「徹子の部屋」でも、大森南朋は母親について語っています。
母は当時の新宿界隈で有名だった人物で、大森自身は青年期になってから周囲の話を聞いたと説明。母について「新宿の有名な不良だった」と聞いていたことも明かしました。
ただし、大森が生まれた頃には母も新宿での生活から離れ、家庭では自由でありながらも子供たちを育てていたようです。
幼少期の大森南朋にとって、日常的にそばにいて育ててくれたのは母親でした。
兄は映画監督の大森立嗣大森南朋の兄は、映画監督の大森立嗣(おおもり・たつし)です。
1970年9月4日生まれで、大森南朋より2歳年上です。駒澤大学文学部を卒業し、大学時代から自主映画の制作に取り組んできました。
2005年に『ゲルマニウムの夜』で長編映画監督デビュー。その後も『ケンタとジュンとカヨちゃんの国』『まほろ駅前多田便利軒』『さよなら渓谷』『日日是好日』『MOTHER マザー』など、幅広い作品を手がけています。
2013年公開の『さよなら渓谷』では第35回モスクワ国際映画祭の審査員特別賞を受賞。2014年には『さよなら渓谷』と『ぼっちゃん』でブルーリボン賞監督賞を受賞しています。
日本映画監督協会のプロフィールや映画情報媒体でも、父が麿赤兒、弟が大森南朋という家族関係が紹介されています。
大森南朋は俳優、大森立嗣は監督という異なる立場で映画界に関わっていますが、兄弟それぞれが独自の表現スタイルを築いている点が特徴的です。
大森南朋の家族関係一覧- 父:麿赤兒(俳優・舞踏家・演出家)
- 母:桃枝
- 兄:大森立嗣(映画監督)
- 本人:大森南朋(俳優・ミュージシャン)
- 妻:小野ゆり子(女優)
大森南朋は2012年3月14日に女優の小野ゆり子と結婚しました。2019年5月14日には第1子が誕生したことを、夫婦が連名で発表しています。
2026年4月には、テレビ朝日の報道で小野ゆり子が娘の小学校入学を公表したことも伝えられました。
【幼少期の親子関係】大森南朋は父・麿赤兒と別居していた?
大森南朋と父親の関係を理解するうえで重要なのが、幼少期の家庭環境です。
実は大森南朋は、子供の頃から父と同居していたわけではありません。両親は別居しており、兄とともに母親に育てられていました。
父が家に帰るのは年に1回ほどだった2025年7月9日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」で、大森南朋は幼少期の父との関係を振り返りました。
父は舞踏活動に専念していたため、家に帰ってくることは少なく、帰宅するのは年に1回ほどだったといいます。
一方、日刊スポーツが同番組の内容を報じた記事では、父と会うために月に1度ほど、杉並区高円寺にあった喫茶店を訪れていたエピソードも紹介されています。
つまり、父が自宅に帰る頻度と、外で顔を合わせる機会は別の話です。自宅では離れて暮らしていても、定期的に父と会う機会はあったようです。
父親との独特なコミュニケーション大森南朋が番組で明かしたエピソードの中でも印象的なのが、父親との独特なスキンシップです。
久しぶりに会った父から膝に座るように言われ、まず自分の腕を噛むように促されたといいます。すると今度は、麿赤兒が息子の後頭部に噛みついてきたそうです。
帰りのバスで母親に何だったのかと尋ねると、母はテレビ番組「野生の王国」で見たライオンの子育てを参考にしたものだと説明したといいます。
一般的な家庭ではなかなか想像できない親子の交流ですが、麿赤兒らしい独特な愛情表現だったことがうかがえます。
また、大森南朋は幼稚園の頃から父が身体を白く塗って舞台に立つ姿を見ていました。小学校に入って友達の家庭との違いを意識するようになり、父の仕事を説明できず、友達にはサラリーマンだと話していたことも明かしています。
父親との確執はあった?単純な不仲とは違う関係幼少期に別居していたことや、父親との交流が独特だったことから、大森南朋と麿赤兒には深い確執があったのではないかと考える人もいます。
しかし、本人が語ったエピソードをたどると、単純な不仲や親子の断絶という説明では実情を捉えられません。
2023年のNHK「ファミリーヒストリー」では、兄の大森立嗣が父親について、子供たちから見ると父親の役割を果たしていないように感じていたと振り返っています。
一方で、麿赤兒は南朋が高校卒業後も定職に就かずに過ごしていた頃、俳優の仕事をやってみないかと声をかけています。
さらに、2025年の「徹子の部屋」では、南朋が俳優として主演や主要な役を務めるようになってから、父が作品を見て「おう、見たぞ」と声をかけてくれたことも紹介されました。
父親の存在は幼少期には距離のあるものでしたが、成長後は仕事を通じた関係も築かれていたことが分かります。
【俳優になった理由】父・麿赤兒が大森南朋の芸能界入りを後押し
大森南朋が俳優になった背景には、父・麿赤兒の存在がありました。
意外に思う人もいるかもしれませんが、大森南朋は最初から俳優を目指していたわけではありません。
高校時代はミュージシャンを目指していた大森南朋は高校時代にギターを始め、音楽の道に進むことを考えていたといいます。
しかし、ミュージシャンとして活動することの難しさなどから、その道を断念。その後、しばらく進路を定めずに過ごしていました。
そんな時期に声をかけたのが父の麿赤兒でした。
2023年放送のNHK「ファミリーヒストリー」では、麿赤兒自身が、息子が定職に就かずに過ごしていたため、自分のところに来て俳優をやってみないかと誘った経緯を語っています。
大森南朋も2025年の「徹子の部屋」で、父から映画やVシネマの現場に行く機会を与えられたことを明かしました。
父親から俳優になることを強制されたというより、仕事の現場に触れるきっかけを作ってもらったという経緯です。
父から借りた10万円と下積み時代俳優として活動を始めた後も、大森南朋には苦労がありました。
2025年7月9日の日刊スポーツの報道によると、アルバイトと俳優業を掛け持ちしていた時期、俳優の仕事は報酬が入るまで時間がかかることもあり、生活費に困ったことがあったそうです。
そこで父親に20万円を借りたいと頼んだところ、麿赤兒が封筒に入れて渡したのは10万円でした。
大森南朋は、親子だから返済を先延ばしにしようと思ったものの、翌月から父親による厳しい返済の催促があり、結局すぐに返したと振り返っています。
このエピソードからも、麿赤兒は息子の芸能活動を応援しながらも、金銭面では親子だからといって甘やかすわけではなかったことがうかがえます。
親子それぞれが独自の表現者として活躍大森南朋は1993年、オムニバス映画『サザンウィンズ』の一篇『トウキョウゲーム』に出演し、俳優としてのキャリアをスタートさせました。
2001年には三池崇史監督の映画『殺し屋1』で主人公イチを演じ、映画初主演を果たします。
2007年のNHKドラマ『ハゲタカ』では鷲津政彦役で主演し、俳優として広く知られるようになりました。
父の麿赤兒が舞踏や演劇を軸に独自の表現を追求してきたのに対し、南朋は映画やテレビドラマを中心にキャリアを築いてきました。
親子でありながら、それぞれ異なる分野で独自の存在感を確立している点が、大森家の興味深いところです。
【親子共演の真相】まほろ駅前多田便利軒や2025年の家族初共演
大森南朋と麿赤兒は、映画や広告などを通じて同じ作品に関わってきました。
ただし、作品に一緒に出演することと、実際に同じ場面で演技をすることは異なります。ここは混同されやすいポイントです。
1993年『トウキョウゲーム』で俳優デビュー大森南朋の俳優デビュー作は、1993年のオムニバス映画『サザンウィンズ』に収録された鴻上尚史監督の『トウキョウゲーム』です。
KINENOTEの略歴によると、この作品では父の麿赤兒が主演し、大森南朋は工事現場の作業員役で出演しました。
親子が同じ作品に関わった初期の事例であり、大森南朋の俳優人生の出発点としても重要な作品です。
2011年『まほろ駅前多田便利軒』では父子と兄が同じ映画に参加2011年公開の映画『まほろ駅前多田便利軒』も、親子の出演歴を語るうえで外せません。
この映画の監督を務めたのは兄の大森立嗣です。出演者には大森南朋と麿赤兒の名前もあります。
つまり、父・麿赤兒、弟・大森南朋、兄・大森立嗣という大森家の3人が同じ映画作品に参加したことになります。
ただし、KINENOTEの大森南朋の略歴には、父と出演しているものの、映画内で2人の共演シーンはなかったと記されています。
そのため、「親子が同じ映画に出演した」という意味では正しいものの、父子が劇中で直接掛け合いをした作品ではありません。
2025年11月、小野ゆり子を含めた家族3人で初共演大きな話題となったのが、2025年11月26日にスタートしたユナイテッドアローズのホリデーキャンペーン「UA HOLIDAYS 2025」です。
キャンペーンのメインビジュアルには、大森南朋、妻の小野ゆり子、父の麿赤兒が登場しました。
ユナイテッドアローズの公式プレスリリースでは、家族3人での初共演として紹介されています。
インタビューでは、3人がそろって撮影することについて、それぞれが率直な感想を語っています。
大森南朋は、普段は全員が忙しく、プライベートでもなかなか集まれないと説明。今回の撮影を実現できたことを、特別なタイミングとして振り返りました。
小野ゆり子も撮影を喜び、麿赤兒は普段とは違う正装姿の小野を見て驚いた様子を語っています。
また、小野ゆり子は南朋と麿から受けた影響について、自分らしさを肯定する考え方や「まいっか!」の精神を挙げています。
幼少期に父親との距離があった大森南朋が、妻と父を交えた家族の姿を公の場で見せたことは、親子関係の変化を感じさせる出来事でした。
なお、この2025年の初共演は映画やテレビドラマではなく、ファッションブランドのホリデーキャンペーンにおけるビジュアル・撮影企画です。
【麿赤兒の現在】2026年も舞踏家・俳優として精力的に活動
麿赤兒は2026年10月31日現在、83歳です。
年齢を重ねても舞踏家としての活動を続けており、舞台芸術の世界で存在感を示しています。
2026年は「Alter Ego」で国際的な舞台に出演大駱駝艦の公式サイトでは、2026年10月29日から11月1日まで、麿赤兒とフランスのチェリスト、エリック=マリア・クテュリエによる日仏国際コラボレーション作品『Alter Ego』の公演が案内されています。
会場は東京・三軒茶屋のシアタートラムです。
麿赤兒は振付・演出・美術・鋳態を担当。音楽家との共同制作という形で、舞踏と音楽を融合させた表現に取り組んでいます。
2025年7月に大森南朋が「徹子の部屋」で父の近況を聞かれた際にも、麿赤兒は現在も踊っており、元気に活動していると説明していました。
その後も2026年の公演情報が公式サイトに掲載されていることから、舞踏家としての活動が継続していることが確認できます。
俳優としても独特の存在感を維持麿赤兒は舞踏だけでなく、映画やテレビドラマへの出演も続けてきました。
舞踏家として培った身体表現や独特の雰囲気は、映像作品でも大きな魅力になっています。
一般的な俳優とは異なる存在感があり、短い出演時間でも印象に残る役柄を演じることが多い人物です。
大森南朋が俳優として成長した現在も、父親は舞台芸術の第一線で独自の表現を続けています。親子が異なるジャンルで活躍していることも、大森家の大きな特徴です。
【大森南朋父】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:大森南朋の父親は誰ですか? A1:俳優・舞踏家の麿赤兒です。舞踏集団「大駱駝艦」を1972年に旗揚げした主宰者で、映画やテレビドラマでも活躍しています。
Q2:麿赤兒の読み方と本名は何ですか? A2:読み方は「まろ・あかじ」です。本名は大森宏(おおもり・ひろし)とされています。
Q3:大森南朋と父親は不仲だったのですか? A3:幼少期は両親が別居しており、父と過ごす時間は限られていました。ただし、父は南朋に俳優の仕事を紹介し、後年も出演作品を見て声をかけています。親子の断絶や決定的な不仲を示す関係とは異なります。
Q4:大森南朋の兄も芸能人ですか? A4:兄は映画監督の大森立嗣です。『まほろ駅前多田便利軒』『さよなら渓谷』『日日是好日』などを手がけています。
Q5:大森南朋と麿赤兒は映画で共演していますか? A5:1993年の『トウキョウゲーム』や2011年の『まほろ駅前多田便利軒』など、同じ作品に出演しています。ただし、『まほろ駅前多田便利軒』では父子の共演シーンはありません。
Q6:大森南朋・小野ゆり子・麿赤兒の3人が共演したのはいつですか? A6:2025年11月26日から始まったユナイテッドアローズの「UA HOLIDAYS 2025」です。家族3人での初共演として公式発表されました。
Q7:麿赤兒は2026年現在も活動していますか? A7:はい。2026年10月29日から11月1日まで、エリック=マリア・クテュリエとの舞台作品『Alter Ego』に出演しています。
大森南朋の父親は、俳優・舞踏家の麿赤兒です。本名は大森宏で、1972年に舞踏集団「大駱駝艦」を旗揚げし、日本の舞踏文化を国内外に広めてきました。
母の桃枝は新宿の文化人たちに知られた人物で、兄の大森立嗣は映画監督として活躍しています。大森南朋自身も俳優として独自のキャリアを築き、父や兄とは異なる表現の道を歩んできました。
幼少期は父と別居し、母に育てられた大森南朋ですが、父から俳優の仕事を紹介されたことが芸能界入りのきっかけになりました。親子の関係は単純な不仲ではなく、距離を保ちながらも仕事を通じてつながってきたものです。
2011年の『まほろ駅前多田便利軒』では父と兄弟が同じ映画に参加し、2025年には妻の小野ゆり子も加わった家族3人で初共演を実現しました。
2026年現在も麿赤兒は舞踏家として活動を続け、大森南朋も俳優として作品への出演を重ねています。
大森南朋の魅力を理解するうえでは、父親の知名度だけでなく、独自の芸術を追求してきた父、自由な母、映画監督の兄という家庭環境にも目を向けることが大切です。それぞれが異なる表現の世界で活躍する大森家の今後にも注目が集まります。
参考にした主な情報源- 大駱駝艦公式サイト:麿赤兒のプロフィール・2026年公演情報
- テレビ朝日「徹子の部屋」関連報道(2025年7月)
- NHK「ファミリーヒストリー」関連報道(日刊スポーツ、2023年)
- KINENOTE:大森南朋の略歴・映画出演歴
- ユナイテッドアローズ公式発表(2025年11月26日)
- 大森南朋所属事務所アパッチ公式プロフィール