EXILE、GENERATIONS from EXILE TRIBEのパフォーマーとして活躍し、俳優やDJ、音楽プロデューサーとしても活動する白濱亜嵐。華やかなステージで存在感を放つ彼は、どのような子供時代を過ごしてきたのでしょうか。
白濱亜嵐は1993年8月4日、愛媛県松山市生まれ。フィリピン出身の母・メアリージェーンさんと日本人の父のもとで育ち、幼少期には毎週末教会に通うなど、異なる文化や価値観に触れる環境にありました。4歳のお遊戯会、小学生時代の市民ミュージカル、そして中学時代に二代目J SOUL BROTHERSのパフォーマンスに衝撃を受けた経験が、やがて芸能界への道につながっていきます。
【白濱亜嵐の幼少期】愛媛県松山市でどんな子供時代を過ごした?

白濱亜嵐の幼少期を語るうえで欠かせないのが、故郷である愛媛県松山市の存在だ。1993年8月4日に生まれ、高校1年生の夏までの約15〜16年間を松山で過ごした。
松山市が主催する坊っちゃん文学賞の公式対談では、白濱本人が子供時代の学校生活について詳しく振り返っている。
小学校2年生までは、松山市中心部にある1学年1クラスほどの小さな学校に通っていた。その後、引っ越しを経験し、郊外の小学校へ転校。新しい学校は1学年5〜6クラスもあり、規模の違いに驚いたという。
同じ松山市内でも、学校の規模や周囲の環境が大きく異なっていたことがうかがえる。こうした幼少期の生活環境は、現在の白濱が語る地元への愛着にもつながっている。
本人は松山の街並みについても思い出を語っている。路面電車が走る風景は、子供の頃には当たり前のものだった。しかし、上京して東京で暮らすようになると、路面電車がないことに驚いたという。
また、松山市北条地区のふわり海岸は、幼い頃に親によく連れて行ってもらった思い出の場所。鹿島にも親しみがあり、故郷の自然や風景が今も本人の記憶に残っている。
白濱亜嵐の幼少期は、芸能活動を目指して早くから東京で暮らしていたわけではない。地元の学校に通い、友人と過ごし、家族と松山の自然に親しむ、ごく普通の少年時代があった。
【母親はメアリージェーンさん】フィリピンのルーツと家族構成、教会での思い出
白濱亜嵐の人柄を理解するうえで重要なのが、フィリピン出身の母・メアリージェーンさんの存在だ。
2021年放送の日本テレビ系『人生が変わる1分間の深イイ話』では、母親にテレビが初密着。母親の人生や、白濱が芸能界を目指すまでの家族の歩みが紹介された。
母・メアリージェーンさんは16歳で日本へ母親のメアリージェーンさんはフィリピン出身。フィリピンで7人兄弟の家庭に育ち、家族を支えるために10代半ばで単身来日した。
2020年のABEMA TIMESの記事では、白濱本人が母親について、16歳で一人で松山に来て働き、フィリピンにいる家族を経済的に支えていたと説明している。
2024年のABCテレビ『Rising Sun ~後戻りはしないOne Way Road~』でも、母親が16歳で日本へ来た経緯が取り上げられた。日本語が十分に話せない状態で働き、遠く離れた家族に仕送りを続けていたという。
白濱は、そんな母親の姿を見て育ったことについて、苦しい状況でも笑顔を忘れない明るさや、困難に耐える精神力を受け継いだという趣旨の話をしている。
なお、母親の来日時期については、過去の番組で「15歳くらい」と紹介されたこともある。複数の番組では10代半ば、特に16歳での来日という経緯が伝えられている。
姉はモデル・タレントのラブリ、弟もいる5人家族白濱亜嵐の家族構成は、父、母、姉、本人、弟の5人家族として知られている。
姉はモデルやタレントとして活動するラブリ。弟は白濱より10歳年下であることを、本人がABEMAの『GENERATIONS高校TV』で明かしている。
白濱は自身について、姉の姿から学んだこともあり、年の離れた弟がいたことで、物事を客観的に考えるようになったと振り返っている。
母親についても尊敬の念を隠さない。フィリピンで家族を支え、日本に来てからも働き続けた母親の姿を見てきたからこそ、その強さを実感しているという。
幼少期は毎週末教会へ。多文化交流が日常だった白濱亜嵐の子供時代を特徴づける、印象的なエピソードが教会での思い出だ。
2021年11月28日放送のフジテレビ系『ボクらの時代』に出演した際、白濱は幼少期の生活について、毎週末必ず教会に通っていたと振り返った。
そこにはさまざまなルーツを持つ子供たちが集まり、礼拝だけでなく、パーティーなどの交流の機会もあった。言葉が通じない子供とも一緒に遊んでいたという。
また、フィリピンにルーツを持つ人々のコミュニティにも日常的に接していた。周囲には母親がフィリピン出身という家庭も多く、自分だけが異なる家庭環境にいるという感覚を持ちにくかったようだ。
本人は、こうした環境で育ったことによって、物事を見る視野や考え方が広がったと語っている。
一方で、日本社会の中で母親がフィリピン出身であることによる苦労もあった。
ABCテレビの2024年の番組では、授業参観で同級生から母親の日本語について心ない言葉をかけられたり、ホームパーティーで母親が作った料理を友人の母親に食べてもらえなかったりした経験も紹介された。
幼い白濱にとってはつらい出来事だったはずだ。それでも母親は笑顔を忘れなかった。白濱は、そうした母親の精神的な強さを尊敬している。
教会での交流、多文化のコミュニティ、そして母親が経験してきた苦労。これらは、単に海外にルーツがあるというプロフィール以上に、白濱亜嵐の価値観を形づくった重要な背景といえる。
【幼少期の写真と小学生時代】4歳のお遊戯会から市民ミュージカルまで
白濱亜嵐の幼少期の写真を見たいというファンも多い。実際、本人は過去に自身の公式Instagramで幼少期の写真を公開している。
母親に抱っこされたフィリピンでの誕生日写真2021年3月22日、白濱は自身のInstagramに幼少期の写真を投稿した。
写真はフィリピンで誕生日を迎えたときのもので、母親のメアリージェーンさんに抱っこされている姿が写っていた。白濱本人も、子供の頃のフィリピンでの誕生日写真であることを説明している。
この投稿はオリコンニュースでも取り上げられ、幼少期の母子写真として紹介された。
さらに2023年2月、フィリピン観光大使に就任した際にも、母親との幼少期のツーショットを公開。自身のルーツであるフィリピンへの思いと、母親への感謝を伝えていた。
幼少期の写真から伝わるのは、芸能人としての華やかな姿とは異なる、母親と過ごした家族の時間だ。フィリピンでの誕生日というエピソードも、幼い頃から母親の故郷に親しんでいたことを感じさせる。
4歳のお遊戯会で人前に立つ楽しさを知る2021年12月放送のテレビ東京系『Dreamer Z』では、白濱の誕生から芸能界入りまでを振り返る企画が放送された。
番組では、4歳のお遊戯会で猿の役を演じたときの映像が公開された。緊張から終始真顔だったものの、本人によると、この経験をきっかけに人前に出ることの楽しさを知ったという。
その後のお遊戯会や学芸会では、自分が主役になりたいという気持ちから、積極的に前に出るようになったと振り返っている。
現在の白濱は、ダンスだけでなく俳優やDJとしてもステージに立つ。幼少期から人前で表現することに興味を持っていた点は、現在の幅広い活動にもつながるエピソードだ。
小学5年生で松山市の市民ミュージカルに出演白濱の小学生時代には、もう一つ興味深い出来事がある。人生で初めて受けたオーディションが、松山市の市民ミュージカルだった。
テレビ東京の番組回顧によると、白濱がオーディションを受けたのは小学5年生のとき。当時、主役を務めていた女の子に勧められたことがきっかけだったという。
オーディションに合格し、その女の子と一緒にミュージカルへ出演。番組では当時の貴重なパンフレットも紹介された。
興味深いのは、白濱が最初からダンスを専門的に学んでいたわけではないことだ。幼少期のお遊戯会、市民ミュージカルといった経験を経て、人前で表現する楽しさを知り、その後、中学生になってからダンスと出会っている。
11歳でORANGE RANGEに夢中になった音楽好きな少年音楽への関心も、子供の頃から芽生えていた。
テレビ東京の『Dreamer Z』では、11歳のときに初めてCDを購入したエピソードも紹介された。買ったのはORANGE RANGEのアルバムで、何度も聴き込んだ結果、現在でも曲順を覚えているという。
特に好きだった曲は「花」。布団に寝そべりながら歌っていたところ、母親から声をかけられたという微笑ましい思い出も残っている。
4歳のお遊戯会、小学生時代のミュージカル、11歳で夢中になった音楽。白濱の幼少期には、後のアーティスト活動につながる表現への関心が少しずつ育っていた。
【中学時代の転機】EXILEに憧れてダンスを始めた本当のきっかけ
白濱亜嵐の人生を大きく変えたのは、中学生の頃に出会ったEXILEと二代目J SOUL BROTHERSのパフォーマンスだった。
「オカザイル」を見てEXILEへの関心が強まる2025年2月、白濱はTOKYO FMの番組『三菱重工 presents 永野芽郁 明日はどこ行こ?』に出演し、EXILEに憧れたきっかけを語った。
その一つが、お笑いコンビ・ナインティナインの岡村隆史とEXILEによるユニット企画「オカザイル」だった。
EXILEに興味を持ち始めていた時期にオカザイルのパフォーマンスを見て、一気に夢中になったという。
当時はまだ、ダンスを職業にすることが現実的な目標として固まっていたわけではなかった。しかし、テレビを通じて見ていたアーティストの姿が、次第に自分も目指したい存在へと変わっていった。
姉の代わりに行ったライブが人生の転機にもう一つの決定的な出来事が、地元・愛媛で開催された二代目J SOUL BROTHERSのライブだった。
2025年のラジオ出演時、白濱は中学2年生だった頃、姉が行けなくなったチケットを譲り受けてライブに足を運んだと振り返っている。
それまで音楽やパフォーマンスはテレビの中で見るものという感覚だった。しかし、目の前で繰り広げられる歌とダンスの迫力に大きな衝撃を受けた。
このライブをきっかけに、自分も同じようなパフォーマーになりたいと強く意識するようになり、ダンススクールに通い始めた。
テレビ東京の『Dreamer Z』でも、二代目J SOUL BROTHERSのパフォーマンスを前から2列目で見たエピソードが紹介されている。
当時、白濱はメンバーに触れようと手を伸ばし、小林直己が頭を振った際にドレッドヘアが指先に触れたという。その瞬間に、自分もこの世界に進みたいという決意が固まったと伝えられている。
スポーツ少年からダンスに夢中になるまで意外に思われるかもしれないが、白濱は幼少期からダンス一筋だったわけではない。
スポーツにも取り組んでおり、本人は2025年のラジオ出演で、スポーツでは思うように結果を出せなかったことにも触れている。
だからこそ、ダンスとの出会いは大きかった。自分が本当に夢中になれるものを見つけ、そこで結果を出したいという気持ちが芽生えたのだ。
中学時代には周囲に「EXILEになりたい」と公言していた。スタディサプリ進路のインタビューでは、その夢を口にしていたことで「シラザイル」というあだ名をつけられたことも明かしている。
単なる憧れで終わらせず、実際にダンスを始め、スクールに通い、上京まで進んでいった行動力が、後の芸能活動を支える基礎になった。
【15歳から上京まで】EXPG松山校と芸能界入りの経緯
二代目J SOUL BROTHERSのライブに刺激を受けた白濱は、LDHが運営するダンススクール「EXPG STUDIO」の松山校に通い始める。
ABCテレビの2024年の特集では、白濱が15歳からEXPG松山校に通っていたことが紹介されている。
姉ラブリの紹介でEXPGの育成クラスへ白濱がEXPGに入るまでには、姉ラブリの存在も関係していた。
テレビ東京の『Dreamer Z』によると、姉のラブリも以前、特待生としてEXPGに通っていた。モデル活動を本格化させるためにスクールを辞める際、弟の白濱を紹介したという。
白濱は面接を経て開発育成クラスに入った。本人も当時を振り返り、まだダンスや歌が十分にできなかった自分が、なぜそのクラスに入れたのか不思議だったという趣旨の話をしている。
入校後はレッスンに打ち込む毎日。一日にダンスとボーカルを合わせて5つのレッスンを受け、スクール帰りにも洋服店のガラスに映る自分の姿を見ながらダンスの練習をしていた。
この時期に、好きなことを自分から進んで練習する習慣が身についていった。
劇団EXILEのオーディション合格で上京が決まるEXPGに入ってからわずか2か月後、白濱は第1回劇団EXILEオーディションで最終審査に残り、劇団EXILEへの所属が決まった。
ただし、合格したからといって、すぐに上京を決めたわけではない。
テレビ東京の番組では、当時の白濱はまだEXPGにいたいという思いがあり、最初は上京を断ったことも明かされている。
その後もできるだけ地元に残り、劇団EXILEの活動が始まる中で進路を考えた。最終的に高校1年生の夏休みが明けてから東京の高校へ転入した。
つまり、検索されることの多い「15歳で上京」という表現には注意が必要だ。15歳でEXPG松山校に通い始めたことと、実際に東京へ生活拠点を移した時期は区別する必要がある。
当初は俳優志望ではなかった意外なのは、劇団EXILEへの所属が決まった当時、白濱は俳優を目指していたわけではなかったことだ。
テレビ東京のインタビューでは、当時は芝居をやりたいと思っておらず、いつかアーティストになりたいという気持ちが強かったと振り返っている。
オーディションに合格したものの、自分の実力が伴っていないという悔しさも感じていた。だからこそ、東京に移ってからも練習を重ね、表現者としての実力を磨いていった。
本人は後年、役者を始めた当時の経験が現在の活動にも生きていると語っている。幼少期の舞台経験と、劇団EXILEでの俳優経験が、現在の多彩な表現力を支える一つの要素になっている。
【年表で整理】白濱亜嵐の幼少期から2026年最新プロフィールまで
ここまでのエピソードを時系列で整理すると、幼少期から芸能界入りまでの道のりが分かりやすい。
| 時期 | 出来事 | 主なポイント |
|---|---|---|
| 1993年8月4日 | 愛媛県松山市で誕生 | フィリピン出身の母と日本人の父のもとに生まれる |
| 4歳 | お遊戯会に出演 | 猿の役を演じ、人前に立つ楽しさを知る |
| 小学2年生まで | 松山市中心部の小学校に通う | その後、郊外の小学校へ転校 |
| 小学5年生 | 市民ミュージカルのオーディション | 合格してミュージカルに出演 |
| 11歳 | 初めてCDを購入 | ORANGE RANGEのアルバムに夢中になる |
| 中学時代 | EXILEや二代目J SOUL BROTHERSに憧れる | 地元ライブをきっかけにダンスを始める |
| 15歳 | EXPG松山校に入校 | ダンス・ボーカルのレッスンに打ち込む |
| 高校1年生の夏以降 | 東京へ上京 | 劇団EXILEのオーディション合格が転機に |
| 2011年 | GENERATIONS候補生に選出 | 全国47か所を巡る夢者修行を経験 |
| 2012年11月 | GENERATIONSメジャーデビュー | パフォーマーとして本格的に活動 |
| 2014年4月 | EXILEに加入 | GENERATIONSと兼任して活動 |
| 2026年 | ソロ活動・DJ活動を展開 | ワーナーミュージック・ジャパンへの移籍や新曲リリースを発表 |
| 2026年10月31日 | 2027年のソロツアーを発表 | 初のセルフプロデュースライブツアーが決定 |
2026年10月31日時点で、白濱亜嵐は33歳。GENERATIONSのリーダー兼パフォーマーとしての活動に加え、EXILE、PKCZ®、俳優、DJ、音楽制作など、複数の分野で活動している。
LDH公式プロフィールによると、2012年11月にGENERATIONSとしてメジャーデビューし、2014年4月にはEXILEに加入。俳優としても『ひるなかの流星』『コンフィデンスマンJP プリンセス編』『M 愛すべき人がいて』『真夏のシンデレラ』『奪い愛、真夏』などに出演してきた。
ソロ音楽活動では、2022年にオランダのレーベルSTMPD RCRDSから「Facts」をリリース。2023年にはEP『null』を発表し、2025年4月には初のデジタルアルバム『curious』をリリースした。
また、2025年の「DJ Mag Top 100 DJs」では、日本人DJとして唯一の127位にランクイン。ダンスパフォーマーという枠を越え、海外の音楽シーンにも活動の幅を広げている。
2026年6月にはワーナーミュージック・ジャパンへの移籍が決まり、7月31日には移籍第1弾となる「Not Enough(feat. Olivia Marsh)」をリリースした。
さらに、2026年8月には松山市で開催された第69回オールスター競輪のスペシャルアンバサダーにも就任。故郷とのつながりも続いている。
そして2026年10月31日、LDHから発表されたのが、ALAN SHIRAHAMA名義での2027年ライブツアー「ELECTRIC PUNK GENERATION」だ。
このツアーは本人初のセルフプロデュースライブツアー。パフォーマンス、DJ、バンドを融合させた新しいステージを目指している。全国7都市での開催が予定され、愛媛公演は2027年9月26日に松山市総合コミュニティセンターで開催される予定だ。
松山で育ち、同じ街のEXPGで夢を追い始めた少年が、今度は自分の音楽を携えて故郷のステージに戻る。その歩みは、幼少期から続く松山との縁を感じさせる。
【白濱亜嵐幼少期】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:白濱亜嵐の幼少期の写真は公開されている?
A1:公開されている。2021年3月には、フィリピンでの誕生日に母親のメアリージェーンさんに抱っこされた幼少期の写真を本人がInstagramに投稿した。2023年のフィリピン観光大使就任時にも、母親との幼少期のツーショットが公開されている。
Q2:白濱亜嵐の母親はどんな人?フィリピン出身なの?
A2:母親はフィリピン出身のメアリージェーンさん。10代半ばで日本に来て働き、フィリピンにいる兄弟を経済的に支えていた。白濱は母親の明るさや精神的な強さを尊敬していると語っている。
Q3:白濱亜嵐は何歳からダンスを始めた?
A3:中学生の頃、二代目J SOUL BROTHERSの地元ライブを見たことがきっかけ。15歳でEXPG松山校に通い始め、本格的にレッスンに取り組むようになった。
Q4:白濱亜嵐は15歳で上京したの?
A4:15歳でEXPG松山校に通い始めたことと、上京した時期は別。劇団EXILEのオーディション合格を経て、高校1年生の夏休み明けに東京の高校へ転入した。
Q5:白濱亜嵐の姉は誰?弟もいる?
A5:姉はモデル・タレントのラブリ。本人がABEMAの番組で、10歳年下の弟がいることも明かしている。
白濱亜嵐の幼少期を振り返ると、現在のアーティストとしての個性を形づくった3つの経験が浮かび上がる。
一つ目は、愛媛県松山市で育ったこと。小さな学校から郊外の学校への転校、家族との海岸への外出など、地元で過ごした日々が現在も大切な思い出として残っている。
二つ目は、フィリピン出身の母親と多文化のコミュニティに囲まれて育ったこと。毎週末の教会での交流や、母親が異国で家族を支えてきた姿は、白濱の視野の広さや困難に向き合う姿勢に影響を与えた。
三つ目は、幼少期から人前で表現する経験を重ねてきたこと。4歳のお遊戯会、小学生時代の市民ミュージカル、そして中学時代のライブ体験が、ダンスや芸能活動への道を開いた。
特に注目したいのは、白濱が最初から完成されたダンサーだったわけではないという点だ。15歳でEXPGに入った頃も、歌やダンスの技術を磨く必要があり、スクールでのレッスンや自主練習を重ねていた。
また、「15歳で上京」という情報だけが独り歩きしがちだが、実際には15歳でEXPG松山校に通い始め、高校1年生の夏に上京している。この経緯を正しく理解すると、地元で経験を積み、オーディションを経て進路を切り開いた過程が見えてくる。
2026年現在、白濱亜嵐はグループ活動に加え、DJや音楽制作、海外展開にも挑戦している。さらに2027年には、自身初のセルフプロデュースツアーを予定している。
幼少期に松山で育ち、母親のルーツであるフィリピンの文化に触れ、地元のライブで夢を見つけた少年。その経験が、現在の多面的な表現活動の土台になっている。白濱亜嵐のこれからの挑戦を追う際にも、松山で過ごした幼少期と家族から受け継いだ価値観は、欠かせない原点となっている。
主な参考資料・報道