総合格闘家として活躍し、「神の子」の愛称で親しまれた山本KID徳郁さん。2018年9月18日、41歳6か月という若さで亡くなりました。死因は胃がんと報じられていますが、所属ジムのKRAZY BEEが発表した訃報では「がん」とのみ記され、具体的な病名には触れられていませんでした。
その後、RIZINの榊原信行実行委員長が生前の闘病について証言し、胃がんが見つかった時期や治療の経緯、本人が病気の公表を控えていた背景が明らかになりました。2026年11月現在、当時の公式発表と報道を照らし合わせながら、山本KID徳郁さんの死因、胃がんの発覚時期、闘病生活、亡くなるまでの経緯を整理します。
【死因の結論】山本KID徳郁さんは胃がんで亡くなったと報道

山本KID徳郁さんの死因について、日刊スポーツは2018年9月19日付の記事で、胃がんのため療養中だったグアムの病院で亡くなったと報じました。
亡くなったのは2018年9月18日。所属ジムのKRAZY BEEが同日、公式SNSを通じて訃報を発表しました。享年は41歳6か月です。
胃がんという病名が広く報じられるようになったのは、訃報が伝えられた翌日のことでした。さらに9月20日には、RIZINの榊原信行実行委員長がテレビ番組のインタビューで、山本さんの胃がんが2年以上前に見つかっていたことを明らかにしています。
この証言は、病名に関する報道を理解するうえで重要な情報です。榊原氏は山本さんの父・郁栄氏の了承を得たうえで闘病生活について語ったと日刊スポーツが報じています。
したがって、山本KID徳郁さんの死因については、胃がんとする当時の報道があり、榊原氏による関係者証言もそれを裏付ける内容だったと整理できます。
一方、公式の訃報そのものに胃がんという記載があったわけではありません。この点が、現在も死因を検索する人の間で疑問が生まれる理由の一つです。
【公式発表との違い】KRAZY BEEが胃がんではなく「がん」と発表した理由
山本KID徳郁さんの死因を調べると、公式発表と報道で病名の表現が異なっていることに気づきます。
KRAZY BEEが2018年9月18日に公表した訃報では、山本さんについて「かねてからガン闘病中でした」と説明し、同日逝去したことを伝えました。しかし、胃がんという具体的な病名や、病状の詳細には触れていません。
また、RIZIN公式サイトに掲載された追悼コメントでも、逝去した日付と享年41歳6か月が記載され、榊原信行実行委員長や髙田延彦統括本部長らが追悼の言葉を寄せていますが、死因の詳細は記されていません。
この違いは、発表の目的と情報源を分けて考えると理解しやすくなります。
公式発表は訃報と関係者への配慮を伝えるもの、報道は関係者への取材を通じて病名や闘病の背景を伝えるものでした。
実際、KRAZY BEEの訃報には、山本家や家族、友人への取材を控えてほしいという要請も含まれていました。病気の詳細を積極的に説明することより、本人を支えてきた人々への配慮を求める内容だったことが分かります。
一方、日刊スポーツは9月19日に胃がんによる逝去を報道。翌20日には榊原氏の証言を掲載し、胃がんの発覚時期や治療の様子についても伝えました。
つまり、「公式発表が胃がんと明記していない」ことと「胃がんで亡くなったという報道」は矛盾するものではありません。公表された情報の範囲が異なっていたということです。
【2018年の時系列】がん公表から9月18日の逝去までの経緯
山本KID徳郁さんの闘病生活を理解するには、2018年8月26日のがん公表だけでなく、それ以前から病気と向き合っていたという関係者の証言も押さえる必要があります。
特に注目されるのが、榊原信行氏が明かした「2年以上前」という発覚時期です。公表から逝去までは約3週間でしたが、闘病そのものはもっと長い期間に及んでいたとされています。
主な出来事を時系列でまとめると、次のようになります。
| 時期 | 出来事 | 情報源・確認できる内容 |
|---|---|---|
| 1977年3月15日 | 山本KID徳郁さん誕生 | 神奈川県川崎市出身 |
| 2016年ごろ以前 | 胃がんが発覚したとされる | 榊原信行氏が2年以上前と証言 |
| 2018年2月ごろ | 病状が悪化 | 榊原氏が当時の経過を説明 |
| 2018年8月26日 | 自身のInstagramでがん闘病を公表 | 本人がガン治療中であることを報告 |
| 2018年9月18日 | グアムで逝去 | KRAZY BEEが公式SNSで訃報を発表 |
| 2018年9月19日 | 胃がんによる逝去と報道 | 日刊スポーツなどが死因を報道 |
| 2018年9月20日 | 榊原氏が闘病の経緯を説明 | 胃がんの発覚時期や治療について証言 |
特に2018年8月26日の本人による公表は、大きな反響を呼びました。
山本さんは自身のInstagramで、次のように伝えています。
「私事で急なご報告となりますが、私山本KID徳郁はガン治療のために頑張っています。絶対元気になって、帰ってきたいと強く思っていますので温かいサポートをよろしくお願いします!」
この投稿では、がん治療中であることは明らかにされましたが、胃がんという病名や進行度、具体的な治療内容までは公表されていませんでした。
その約3週間後、9月18日に訃報が伝えられます。8月の本人の投稿から間もない逝去だったため、当時のファンや格闘技関係者に大きな衝撃が広がりました。
なお、RIZIN公式サイトも9月18日付で逝去を発表し、享年を41歳6か月と記録しています。2026年現在も、逝去日と享年についてはこの公式記録が基準となります。
【闘病生活の真相】胃がんは2年以上前に発覚していた
山本KID徳郁さんの闘病について、最も詳しい証言を残した人物の一人が、RIZIN実行委員長の榊原信行氏です。
2018年9月19日、榊原氏はフジテレビ系「ノンストップ!」のインタビューに応じました。日刊スポーツの報道によると、山本さんの父・郁栄氏の了承を得たうえで、これまでの闘病生活を明かしたとされています。
榊原氏の説明で明らかになったのは、山本さんが亡くなる直前になって初めて病気になったわけではないということです。
胃がんの発覚は2018年より前榊原氏によると、胃がんが最初に見つかったのは、亡くなる2年以上前のタイミングだったといいます。
2018年9月から逆算すると、2016年ごろ以前に発覚していた可能性があります。ただし、正確な診断日までは公表されていません。
つまり、2018年8月に初めてがんになったのではなく、それ以前から長期にわたって病気と向き合っていたことになります。
人目を避けて地方で治療を続けていた榊原氏は、山本さんが病気であることを周囲に知られないよう、地方で治療を続けていたことも明かしました。
東京で治療を受けると人目につきやすく、病気について周囲に知られる可能性があるためです。
格闘家として多くのファンや関係者に囲まれていた山本さんにとって、プライベートな闘病環境を確保することは大切だったと考えられます。
また、榊原氏は山本さんが病気のことを感じさせないように振る舞い、周囲にもつらい姿を見せなかったと振り返っています。
2018年2月ごろから病状が悪化日刊スポーツの2018年9月20日付報道では、榊原氏が、同年2月ごろから病状が悪化したことを説明しています。
その後、山本さんはグアムの病院で治療を受けるようになりました。榊原氏によると、自宅から車いすで通院していた時期もあったとされています。
9月20日の会見を報じたeFightの記事でも、榊原氏は山本さんが2年以上前からがんと闘っていたこと、最後まで弱い姿を見せなかったことを語っています。
さらに、家族は2018年6月末ごろに厳しい状況を知らされていたとも説明されました。父・郁栄氏は、その後も約3か月間頑張った息子を誇りに思うという趣旨の言葉を伝えています。
こうした証言からは、2018年8月のがん公表から亡くなるまでの期間だけでは、実際の闘病の長さを理解できないことが分かります。
【なぜ病気を公表しなかった?】リング復帰を目指していた山本KIDの思い
山本KID徳郁さんが病気を長期間公表しなかった背景には、格闘家として再びリングに立ちたいという強い意思がありました。
榊原信行氏は日刊スポーツのインタビューで、山本さんに対して、病気を公表したほうが気持ちが楽になるのではないかと勧めたことがあったと明かしています。
しかし、山本さんは公表に消極的で、もう一度リングに復帰することを目指していたといいます。
榊原氏が伝えた本人の思いは、「とにかく自分はもう1回リングに復帰するんだから」というものでした。
この言葉から分かるのは、病気と闘うことだけでなく、現役選手として復帰する未来を見据えていたということです。
また、2018年9月20日のRIZIN会見を報じたeFightによると、榊原氏は、山本さんが写真週刊誌に病気を報じられる見通しとなったことも、公表に至った背景として説明しています。
つまり、本人の意思としては、可能な限り周囲に知られずに治療を続け、病気を克服してから再びリングに戻ることを望んでいたと考えられます。
最後まで格闘家としての姿勢を崩さなかった榊原氏は、山本さんが関係者の前で苦しい姿を見せず、最後まで復帰を諦めていなかったと振り返っています。
その姿勢は、山本さんの競技人生とも重なります。体格差のある相手にも果敢に挑み、攻撃的なファイトスタイルで人気を集めてきた選手でした。
病気を公表するかどうかは本人の選択です。山本さんの場合、周囲に心配をかけたくないという思いや、競技への復帰を目指す気持ちが、その選択に関係していたことが関係者の証言からうかがえます。
こうした事情を知ると、2018年8月の公表が突然だった理由や、その約3週間後に届いた訃報が格闘技界に与えた衝撃も理解しやすくなります。
【格闘家としての功績】山本KID徳郁が残した実績と影響
山本KID徳郁さんは、胃がんとの闘病や若すぎる逝去だけで語られる人物ではありません。
レスリングを基盤に総合格闘技へ転向し、修斗、K-1、HERO'S、DREAM、UFCなど、国内外の舞台で活躍しました。
1977年3月15日生まれ。父はミュンヘン五輪レスリング日本代表の山本郁栄氏で、姉の美憂さん、妹の聖子さんもレスリングで世界的な実績を残した選手です。
日本修斗協会やK-1の選手記録などから確認できる主な競技経歴は次のとおりです。
レスリングから総合格闘技へ山本さんは幼少期からレスリングに取り組み、1999年の全日本レスリング選手権フリースタイル58kg級で2位に入りました。
その後、2000年に全日本アマチュア修斗選手権で優勝。2001年3月2日に修斗でプロデビューを果たしています。
2004年にはK-1 MAXにも参戦。大みそかの魔裟斗戦では、体格差のある相手からダウンを奪うなど、格闘技ファンに強い印象を残しました。
HERO'S王者として人気を確立2005年にはHERO'Sに参戦し、ミドル級世界王者となりました。
小柄な体格ながら、積極的に前に出る攻撃的なスタイルで人気を集め、格闘技ブームを支えた選手の一人として知られています。
その後はDREAMを経て2011年からUFCにも挑戦。2015年12月31日には魔裟斗との再戦にも臨みました。この試合が現役選手として最後の試合となっています。
選手だけでなく指導者としても活動山本さんは自身の競技活動だけでなく、KRAZY BEEを主宰し、後進の育成にも力を注いでいました。
日本修斗協会は逝去に際した公式コメントで、プロ修斗での戦績が7戦6勝1敗だったことや、KRAZY BEEから多くのプロシューターを輩出したことを紹介しています。
また、姉の山本美憂さんや甥の山本アーセンさんが格闘技の舞台で活躍するなか、指導者としても格闘技界に関わっていました。
山本さんが残したものは試合の勝敗だけではありません。独創的なファイトスタイルと、選手を育てる立場からの貢献も、格闘技界における大きな足跡です。
【山本キッド死因】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:山本KID徳郁さんの死因は胃がんで間違いありませんか?
A1:日刊スポーツなどが2018年9月19日に胃がんによる逝去と報道しています。また、翌20日には榊原信行RIZIN実行委員長が、2年以上前に胃がんが見つかっていたと証言しました。所属ジムの公式訃報では病名は「がん」とのみ記載されています。
Q2:山本KID徳郁さんが胃がんを公表したのはいつですか?
A2:2018年8月26日です。本人のInstagramでがん治療中であることを公表しました。ただし、この時点では胃がんという具体的な病名は明かされていませんでした。
Q3:山本KID徳郁さんは何歳で亡くなりましたか?
A3:2018年9月18日に41歳6か月で亡くなりました。1977年3月15日生まれで、逝去日は公式記録にも掲載されています。
Q4:山本KID徳郁さんの胃がんはいつ発覚したのですか?
A4:榊原信行氏によると、最初に胃がんが見つかったのは亡くなる2年以上前です。2016年ごろ以前と考えられますが、正確な診断日は公表されていません。
Q5:山本KID徳郁さんはどこで亡くなったのですか?
A5:日刊スポーツなどの当時の報道によると、グアムの病院で亡くなりました。榊原氏もグアムでの療養について説明しています。
Q6:2026年現在、山本KID徳郁さんの死因に新しい情報はありますか?
A6:2026年11月現在、確認できる公式記録と主要な当時の報道では、胃がんによる逝去という説明に変更は見当たりません。公式訃報は「がん」と表現し、胃がんという具体的な病名は当時の報道と榊原氏の証言によって伝えられています。
山本KID徳郁さんの死因は、2018年9月19日の日刊スポーツなどの報道によると胃がんです。2018年9月18日にグアムの病院で亡くなり、享年41歳6か月でした。
所属ジムのKRAZY BEEは訃報で「がん闘病中」と発表し、具体的な病名には触れていません。一方、RIZINの榊原信行実行委員長は、父・郁栄氏の了承を得て闘病の経緯を説明し、胃がんが2年以上前に発覚していたことや、地方で治療を続けていたことを明らかにしました。
また、2018年2月ごろから病状が悪化し、グアムで療養していたこと、本人が再びリングに立つことを目指していたことも、当時の報道から分かっています。
今回の情報を整理するうえで大切なのは、次の3点です。
- 死因:胃がんと当時の報道で伝えられている。
- 公式発表:KRAZY BEEは「がん」と公表し、詳細な病名は記載していない。
- 闘病の経緯:榊原氏の証言によると、発覚は2年以上前で、長期にわたって治療を続けていた。
山本KID徳郁さんが最後まで目指していたのは、再び格闘技のリングに立つことでした。41歳という若さでの逝去は、格闘技界に大きな喪失を残しました。
2026年現在も、その死因をめぐる情報を正確に理解するには、KRAZY BEEの公式訃報、RIZINの追悼発表、日刊スポーツなどの当時の報道、そして榊原信行氏の証言を区別して確認することが大切です。病名だけでなく、長い闘病生活と格闘家として最後まで復帰を目指した姿勢も、山本KID徳郁さんを知るうえで忘れてはならない事実です。