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彦摩呂の昔はモデル・アイドル時代が別人級!2026年現在までの経歴と変化を徹底解説

早瀬 智也 早瀬 智也 • 更新: • 公開: • 読了約 21 分
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グルメリポーターとして「海の宝石箱や~!」のフレーズで親しまれている彦摩呂さん。現在のふくよかな姿を知っている人の中には、若い頃の写真を見て驚く人も少なくありません。実は高校時代からモデルとして活動し、1988年にはフジテレビ主催のナイスガイ・コンテストで準グランプリを獲得。その後、秋元康さんプロデュースのアイドルグループ「幕末塾」のメンバーとして芸能界に進出しました。

2026年10月現在、60歳を迎えた彦摩呂さんは、グルメリポーターとしての活動を続けながら、約30kgの減量にも成功しています。モデル時代からアイドル時代、俳優としての活躍、そして現在に至るまで、どのような変化を経験してきたのでしょうか。

【彦摩呂の昔】高校時代はモデルだった!此花学院高等学校での学生時代

彦摩呂昔

彦摩呂さんの昔を知るうえで注目したいのが、芸能界に入る前からモデルとして活動していたという経歴です。

彦摩呂さんは1966年9月15日生まれ、大阪府東大阪市出身。本名は原吉彦(はら よしひこ)です。太田プロダクションに所属するタレント・俳優で、現在はグルメリポーターとしても広く知られています。

出身校として紹介されているのは此花学院高等学校です。高校時代にはファミリーレストランでアルバイトをしながら、モデルの仕事にも取り組んでいました。

17歳でモデルデビューしたきっかけはファミレスだった

2025年10月の文春オンラインの本人インタビューでは、モデルになった意外なきっかけが明かされています。

当時、アルバイトをしていたファミリーレストランにプロのカメラマンが客として訪れ、彦摩呂さんの姿を見て写真撮影を依頼。その後、地元のモデルクラブの社長を紹介されたことが、モデル活動の始まりでした。

当時の身長は本人の話によると約170cm。モデルとしては高身長ではないと本人も感じていたそうですが、スーパーマーケットの紳士服売り場のポスターなど、本人に合った仕事を紹介されました。

17歳からポージングのレッスンを受け、毎週約2時間の練習を重ねていたといいます。

当時のモデル業の収入についても興味深い話があります。アルバイトの時給が480円だった時代に、1日着せ替えモデルをすると3万円の報酬があったそうです。紳士服のカタログやレインコートの広告などにも出演していました。

さらに、本人が当時の体型について語った際には、現在の姿からは想像しにくいエピソードも飛び出しています。

当時はMサイズの服を着用していたとのこと。2025年のインタビューでは、現在のサイズを4Lとユーモアを交えて振り返っていました。

彦摩呂さんの若い頃がイケメンと話題になるのは、単に昔の写真が珍しいからではありません。実際にモデルとして仕事を獲得し、広告やカタログに登場していた経歴があるのです。

【近商ストアからからあげクンCMへ】会社員経験を経て芸能界に進出

高校卒業後、彦摩呂さんはすぐに東京へ出て芸能活動に専念したわけではありません。意外にも、近鉄グループのスーパーマーケットである近商ストアに就職しています。

近商ストアでは約10カ月勤務

文春オンラインのインタビューによると、彦摩呂さんは高校卒業後、近商ストアに就職。会社員として働きながら、学生時代から続けていたモデルの仕事も継続していました。

ところが、勤務先の店長から、近鉄グループの社員であるにもかかわらず、競合するイズミヤやそごうのカタログに出演していることを指摘されたそうです。

本人は学生時代から続けていたモデルのアルバイトだと説明。明るい性格で、職場の歓送迎会でも司会を率先して担当するなど、周囲からかわいがられていたと振り返っています。

近商ストアでの勤務期間は約10カ月でした。

転機となったローソン「からあげクン」のCM

会社を辞めてモデル一本で活動しようと考えていた時期に、大きなチャンスが訪れます。

大阪で行われたローソンの「からあげクン」のCMオーディションに合格したのです。

CMでは生稲晃子さんと共演。本人はこの仕事をきっかけに、芸能活動への意欲が高まり、大阪にとどまらず東京で活動したいと考えるようになったと語っています。

その後、東京へ上京。最初から大手芸能事務所への所属が決まっていたわけではなく、大阪時代に所属していたモデルクラブの東京側の組織を頼りに活動を始めました。

現在の彦摩呂さんのイメージからは想像しにくいかもしれませんが、芸能界入りまでには、会社員、モデル、CM出演という段階を踏んだ経歴があったのです。

【幕末塾のアイドル時代】若い頃は本当にイケメンだった?

彦摩呂さんの昔の画像を検索すると、特に注目されるのが1980年代後半のアイドル時代です。

現在の親しみやすいグルメリポーターの姿とは異なり、当時はすっきりとした顔立ちで、モデル経験を生かした華やかな雰囲気がありました。

アイドルボーイズを経て幕末塾のメンバーに

上京後、彦摩呂さんは原宿のファッションビルが運営する「アイドルボーイズ」のオーディションに参加しました。

このグループは、ファッションビルの会員による投票などを通じてメンバーを選ぶ仕組みで、彦摩呂さんを含む20人が選ばれました。

その後、メンバーの一部が幕末塾へと発展していきます。彦摩呂さん自身のインタビューによると、アイドルボーイズに所属していた10人が、後に幕末塾のメンバーとなりました。

幕末塾は秋元康さんがプロデュースしたパフォーマンス集団です。一般的な歌手グループというより、音楽・演劇・コメディーなどを組み合わせた活動を展開していました。

1988年のナイスガイ・コンテストで準グランプリ

1988年5月、フジテレビ主催の「ナイスガイ・コンテスト」に出場し、準グランプリを獲得しました。

このコンテストでは吉田栄作さんがグランプリを受賞。彦摩呂さんは準グランプリという結果を残し、その後、幕末塾のメンバーとともに太田プロダクションにスカウトされ、芸能界へ進出しました。

1989年に幕末塾としてメジャーデビュー

1989年4月25日、幕末塾はTM NETWORKのカバー曲「Come on Let's Dance」でメジャーデビューを果たします。

その後もシングルやアルバムを発売し、全国ツアーを開催。1990年には3枚目のシングル「時代を殴るには自分の素手がいい」をリリースしました。この曲はTBS系ドラマ『びんた』の主題歌にも採用されています。

日本青年館でのコンサートや舞台公演など、音楽以外の活動にも力を入れていたことが、彦摩呂さんの公式サイトに掲載されている活動記録から分かります。

彦摩呂の昔の画像はどこで見られる?

アイドル時代の写真については、2022年1月にオリコンニュースが取り上げています。

彦摩呂さん本人が自身のInstagramで、幕末塾時代の写真を3枚公開したという内容です。ステージでパフォーマンスしている姿など、20代当時の貴重な写真が紹介されました。

当時の写真に対しては、「めちゃ男前」「誰?」「しっかりアイドル」といった驚きや好意的な反応が寄せられています。

なお、彦摩呂さんはジャニーズ所属だったわけではありません。アイドル時代の所属グループは、秋元康さんプロデュースの幕末塾です。

【彦摩呂の芸能活動の経歴】モデルから現在までを時系列で比較

ここまでの経歴を整理すると、彦摩呂さんの芸能活動は大きく分けて、モデル時代、アイドル時代、俳優時代、リポーター時代という流れになっています。

それぞれの時期にどのような活動をしていたのか、主要な出来事を年表にまとめました。

時期 主な出来事 活動・実績
1966年 大阪府で誕生 本名は原吉彦
17歳ごろ モデル活動を開始 紳士服カタログや広告に出演
高校卒業後 近商ストアに就職 約10カ月勤務しながらモデル活動を継続
1988年 ナイスガイ・コンテスト 準グランプリを獲得
1989年 幕末塾としてメジャーデビュー 「Come on Let's Dance」を発売
1990年~ 俳優・リポーターとして活動 映画・ドラマ・情報番組に出演
1990~1991年 『山田邦子の旅くらぶ』 リポーターとしてレギュラー出演
2005年 「海の宝石箱や~!」が誕生 グルメリポーターとして知名度を確立
2019年 体重135kgに到達 本人が後年のインタビューでピーク時を回想
2024年~ 本格的な減量に取り組む 公式YouTubeでイケオジ計画を開始
2026年 還暦を迎える 約30kg減量し、芸能活動も継続

この年表から分かるのは、彦摩呂さんが最初からグルメリポーターとして活動していたわけではないということです。

モデルとしての経験、アイドルとしてのステージ経験、俳優としての演技経験を積み重ねたことが、後のリポーター活動にも生かされていきました。

【グルメリポーターへの転身】「宝石箱や~!」はどうやって生まれた?

彦摩呂さんが現在の知名度を確立する大きなきっかけとなったのが、グルメリポーターへの転身です。

自分から情報番組のリポーターを希望

俳優として活動する一方、彦摩呂さんは次第に人と直接触れ合う仕事に魅力を感じるようになりました。

2025年の文春オンラインのインタビューでは、本人が事務所の社長に対して「情報番組のリポーターになりたい」と直談判した経緯を説明しています。

本人が生かしたかったのは、人懐っこい性格でした。映画やドラマの出演だけでなく、街の人々と会話しながら情報を伝える仕事に興味を持っていたのです。

リポーターとして最初に出演した番組は、日本テレビの『山田邦子の旅くらぶ』(1990~1991年)。最初はお試し出演でしたが、翌週からレギュラーに起用されたと本人が振り返っています。

その後、情報番組やバラエティー番組への出演が増え、食べ物を紹介する仕事でも存在感を発揮するようになりました。

「海の宝石箱や~!」が誕生したのは2005年

彦摩呂さんの代名詞となった「海の宝石箱や~!」は、北海道でのグルメロケがきっかけでした。

2024年の双葉社THE CHANGEのインタビューや、2025年6月のスポニチアネックスの取材記事によると、このフレーズが生まれたのは2005年ごろです。

北海道の網走で海鮮丼を紹介していた際、撮影用の照明に照らされた刺身がキラキラと輝いて見えたことから、思わず「海の宝石箱や~!」という言葉が飛び出したといいます。

彦摩呂さんは当初、食べ物を別のものに例える表現はカットされるかもしれないと考えていました。しかし、実際には字幕付きで放送され、視聴者から好評を得ました。

海鮮丼の具材を宝石に例えた表現も印象的です。本人は、サバをサファイア、タイをオパール、イクラをルビーに見立てたと説明しています。

実は、このフレーズが生まれる前には、グルメリポートのマンネリ化に悩んでいた時期もあったそうです。

石塚英彦さんの「まいう~」や松村邦洋さんの決まり文句をうらやましく感じ、自分にも視聴者に覚えてもらえる表現が必要だと考えていたことを、2025年のTOKYO FM『川島明 そもそもの話』でも語っています。

単に食べて感想を述べるだけではなく、料理を見た瞬間の感動を独特の比喩で表現する。そのスタイルが彦摩呂さんの強みになりました。

【昔と現在を比較】135kgから30kg減量!2026年の彦摩呂はどう変わった?

彦摩呂さんの昔と現在を比較すると、最も大きな変化として話題になるのが体型です。

アイドルデビュー当時は50kg台後半だった体重が、グルメリポーターとして多くの料理を食べる仕事を続ける中で増加。2019年には最大135kgに達したと、2025年の文春オンラインのインタビューで明かしています。

デビュー当時は56~58kgだった

本人によると、幕末塾でデビューした当時の体重は56~58kgほど。高校時代のモデル活動でもMサイズの服を着ていました。

その後、グルメリポーターとして数多くの料理を食べるようになり、体重は徐々に増加。2010年には100kgを超え、2019年には135kgに到達したといいます。

本人は、食べることが仕事になるにつれて食事量が増え、満腹感にも変化があったことをインタビューで振り返っています。

2024年から本格的なダイエットを開始

彦摩呂さんが本格的に減量に取り組み始めたのは2024年です。

自身の公式YouTubeチャンネル「彦飯-HIKOMESHI-」で、還暦までに体重を2桁にすることを目標とした「イケオジ計画」をスタートしました。

2025年10月の文春オンラインのインタビューでは、直近の最大体重133kgから107kgまで減少し、26kgの減量に成功したことを報告しています。

また、膝への負担についても本人が言及しており、体重増加による膝の痛みが減量を考える理由の一つになっていました。

2026年10月の最新体重は105.4kg

2026年には、減量の成果がさらに注目されました。

8月には約30kgの減量を報告し、9月にはABEMAの密着企画『NO MAKE』で、体重が約104kgになったことや、健康上の理由から医療ダイエットに取り組んできた経緯を明かしています。

そして、2026年10月9日に公開された公式YouTubeのダイエット企画では、最終測定の体重が105.4kgとなりました。

目標だった99.9kgには届かなかったものの、開始時の134kgから約30kg減という大きな変化です。10月11日の女性自身の報道でも、この結果と今後も減量を継続する意向が紹介されています。

2026年10月31日時点で確認できる最新の公表値は105.4kgです。なお、体重は日々変動するため、この数値が現在のリアルタイムの体重を示すものではありません。

昔のイケメン姿に戻りたいわけではない?

興味深いのは、本人が若い頃の体型にそのまま戻ることを目標にしているわけではない点です。

2025年の文春オンラインのインタビューでは、当時の細身の姿について、格好をつけていたものの、自分らしくないと感じる部分もあったと振り返っています。

現在の丸みのある親しみやすい雰囲気のほうが、自分の性格に合っているという趣旨の発言もしています。

つまり、彦摩呂さんの減量は、昔のアイドル体型を取り戻すためというより、健康面や膝への負担を考え、無理なく動ける体を目指す取り組みです。

【2026年最新】還暦を迎えた彦摩呂の現在の活動と今後

2026年9月15日、彦摩呂さんは60歳の還暦を迎えました。

昔のモデル・アイドル時代から約40年近く芸能活動を続けており、現在もグルメリポーター、俳優、タレントとして幅広く活動しています。

YouTube「彦飯-HIKOMESHI-」で食の魅力を発信

現在の活動を知るうえで注目したいのが、公式YouTubeチャンネル「彦飯-HIKOMESHI-」です。

グルメの紹介や飲食店での食レポ、日常の様子などを発信しています。2026年10月にも新しい動画が公開されており、10月19日には太田プロの仲間と食事や古着店巡りを楽しむ動画が配信されました。

テレビだけでなく、動画配信を通じて視聴者と接点を持つ活動も続いています。

俳優としての活動も継続

彦摩呂さんは、グルメリポーターとして知られる一方、俳優としての経歴も持っています。

これまでに映画『ファンシィダンス』『白鳥麗子でございます』『パコと魔法の絵本』などに出演。テレビドラマでは『刑事貴族3』『ええにょぼ』などの作品にも参加しています。

2026年5月公開の映画『お終活3 幸春!人生メモリーズ』にも出演しており、還暦を迎えた現在も俳優としての活動を続けています。

本人は2026年のCHANTO WEBのインタビューでも、若い頃から演劇に取り組んできた経験に触れ、今後は芝居にもさらに挑戦したいという意向を示しています。

グルメリポーターという確立された肩書きを持ちながら、俳優としても新しい仕事に取り組む姿勢は、長い芸能生活を支える一つの強みです。

【彦摩呂昔】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:彦摩呂の若い頃は本当にイケメンだった?
A1:はい。高校時代からモデルとして活動し、1988年にはナイスガイ・コンテストで準グランプリを獲得しています。幕末塾時代の写真も公開されており、現在とは違う細身で爽やかな印象が話題になっています。

Q2:彦摩呂の本名は何?
A2:本名は原吉彦(はら よしひこ)です。1966年9月15日生まれ、大阪府東大阪市出身で、太田プロダクションに所属しています。

Q3:彦摩呂は昔どのアイドルグループに所属していた?
A3:秋元康さんプロデュースの幕末塾です。1988年にグループの結成に参加し、1989年4月に「Come on Let's Dance」でメジャーデビューしました。

Q4:彦摩呂は近商ストアで働いていた?
A4:はい。高校卒業後に近商ストアへ就職し、約10カ月勤務していました。その間もモデル活動を続け、ローソン「からあげクン」のCM出演をきっかけに東京へ進出しました。

Q5:「海の宝石箱や~!」はいつ生まれた?
A5:2005年ごろ、北海道で海鮮丼を紹介した際に生まれたフレーズです。照明に照らされた刺身が宝石のように輝いて見えたことがきっかけでした。

Q6:彦摩呂の体重は135kgから現在何kgになった?
A6:2019年に最大135kgに達したと本人が明かしています。2026年10月9日の公式YouTubeで公表された体重は105.4kgで、約30kg減量しています。

Q7:彦摩呂は2026年現在も芸能活動をしている?
A7:はい。2026年もグルメリポーター、タレント、俳優として活動しています。公式YouTubeでの動画配信や映画『お終活3 幸春!人生メモリーズ』への出演なども確認されています。

彦摩呂さんの昔を振り返ると、高校時代からモデルとして活動し、近商ストアでの会社員経験を経て、幕末塾のアイドルとして芸能界に進出したことが分かります。

その後は俳優として映画やドラマに出演し、自ら希望した情報番組のリポーターへと活動の幅を広げました。2005年ごろに生まれた「海の宝石箱や~!」というフレーズは、現在まで続く彦摩呂さんの代表的な個性となっています。

若い頃の56~58kgから最大135kgまで体重が変化したことも大きな話題ですが、2026年には約30kgの減量を達成。還暦を迎えても、グルメや俳優の仕事に意欲を見せています。

彦摩呂さんの魅力は、単に昔がイケメンだったという意外性だけではありません。モデル、アイドル、俳優、グルメリポーターと、時代や自分の適性に合わせて活動の形を変えてきたことにあります。

昔の写真と現在の姿を比べると外見の変化は確かに大きいものの、長年にわたって培ってきた人懐っこさや表現力は一貫しています。2026年以降も、食の魅力を伝える仕事と俳優としての新たな挑戦の両方に注目が集まりそうです。

主な参考資料

- 彦摩呂オフィシャルサイト・太田プロダクション公式プロフィール
- 文春オンライン「大阪のイケメンモデル→幕末塾のアイドルに…彦摩呂が語る、壮絶だったデビュー当時」(2025年10月)
- 文春オンライン「デビューから70キロ増量した彦摩呂が語る、グルメリポーターの紆余曲折」(2025年10月)
- オリコンニュース「彦摩呂、アイドル時代の別人級写真」(2022年1月)
- スポニチアネックス「宝石箱や~誕生秘話」(2025年6月)
- CHANTO WEB(2026年6月)
- ENCOUNT・女性自身(2026年9月~10月)

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早瀬 智也
トレンドリサーチャー 早瀬 智也
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芸能担当12年。所属事務所の公式リリース、番組公式サイト、配信サービスの告知を一次情報として照合し、出典が確認できない話は記事に載せない方針で編集しています。

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