昭和歌謡を代表する作曲家・歌手の平尾昌晃さん。2017年7月21日に79歳で亡くなった後も、その音楽的功績とともに、妻や3人の息子をめぐる家族関係が関心を集めています。
平尾昌晃さんは生涯に3度結婚しています。最初の夫人との間に長男をもうけた後、離婚。元夫人はその後、フジサンケイグループの鹿内春雄さんと再婚し、さらに鹿内さんは元アナウンサーの頼近美津子さんと結婚しました。この関係を理解するには、それぞれの結婚時期と家族構成を分けて整理する必要があります。
【結婚歴の全貌】平尾昌晃の妻は3人!最初の夫人から晩年の再婚相手まで

平尾昌晃さんの結婚歴は、最初の夫人、歌手の小沢深雪さん、そして長年マネジャーを務めた女性との再々婚という3つの時期に分けられます。
最初の結婚は1972年。相手は当時、女子大生だった女性で、2人の間には長男が誕生しました。しかし、その後、夫婦関係は離婚に至ります。
2度目の結婚相手は歌手の小沢深雪さんです。1978年に再婚し、次男と三男の2人が誕生しました。三男は歌手として活動する平尾勇気さんです。この結婚も1985年までに離婚という結果を迎えています。
そして3度目の結婚相手となったのが、長年にわたって平尾さんの仕事を支えていた元マネジャーの女性です。2013年に婚姻届を提出していたことが、平尾さんの死去後に報道されました。
この女性は報道ではMさんと表記されることが多く、一般に広く知られた芸能人ではありません。約20年にわたり平尾さんの仕事を支えてきた人物として紹介されています。日刊スポーツ、デイリースポーツ、スポニチアネックスの2017~2018年の報道
つまり、平尾昌晃さんは3度結婚し、2度の離婚を経験しています。2017年に亡くなった時点では、2013年に結婚した3人目の妻がいました。
【最初の夫人の真相】鹿内春雄との再婚とくも膜下出血による死去
平尾昌晃さんの最初の夫人について調べると、フジサンケイグループの元議長である鹿内春雄さんの名前が登場します。
これは単なる交友関係ではありません。平尾さんと離婚した最初の夫人が、後に鹿内春雄さんと再婚していたためです。
日刊ゲンダイの2018年9月27日付報道では、平尾さんの長男の母親が、平尾さんとの離婚後の1981年に鹿内春雄さんと再婚した経緯が紹介されています。
さらに、翌1982年6月には鹿内さんとの間に男児が誕生しました。しかし、その約2か月後、夫人は29歳という若さで亡くなったと報じられています。
ここで大切なのは、出産した男児が平尾昌晃さんとの間に生まれた長男とは別の子供だという点です。長男は平尾さんとの間に生まれた子供であり、鹿内春雄さんとの再婚後にも子供が誕生していました。
死因については、後年の人物紹介や百科事典系の記述で、くも膜下出血とされています。ただし、日刊ゲンダイの当時の家族関係を伝える記事が直接確認しているのは、再婚、出産、29歳での死去という経緯です。
このため、「平尾昌晃の妻がくも膜下出血で亡くなった」という検索情報は、正確には、平尾さんの最初の夫人が離婚後に鹿内春雄さんと再婚し、その後亡くなったという意味で理解する必要があります。日刊ゲンダイ、2018年9月27日付報道
【鹿内春雄と頼近美津子】平尾昌晃の元夫人をめぐる家族関係
平尾昌晃さんの最初の夫人が亡くなった後、その再婚相手だった鹿内春雄さんは、1984年に元NHK・フジテレビアナウンサーの頼近美津子さんと結婚しました。
頼近美津子さんは、NHKでアナウンサーとして活動した後、1981年にフジテレビへ移籍。情報番組「小川宏ショー」などに出演し、当時の女子アナウンサーブームを象徴する存在として知られました。
1984年に鹿内春雄さんと結婚してフジテレビを退社。2人の男児をもうけました。しかし、1988年、夫の春雄さんが42歳という若さで亡くなっています。
その後、頼近さんは1993年にNHKの「名曲音楽館」の司会者として復帰。1996年にはNHK大河ドラマ「秀吉」でお市の方を演じるなど、アナウンサー以外の分野にも活動を広げました。
2009年5月17日、頼近美津子さんも53歳で亡くなりました。死因は心不全で、2年前から食道がんの治療を受けていたことが報じられています。日刊スポーツ、2009年5月19日・20日付報道
ここまでの関係を整理すると、次のようになります。
- 平尾昌晃さん:最初の夫人と1972年に結婚。
- 最初の夫人:平尾さんとの離婚後、1981年に鹿内春雄さんと再婚。
- 鹿内春雄さん:元夫人との死別後、1984年に頼近美津子さんと結婚。
- 頼近美津子さん:鹿内春雄さんの3度目の結婚相手として知られる。
したがって、頼近美津子さんは平尾昌晃さんの妻ではありません。平尾さんの最初の夫人が再婚した相手である鹿内春雄さんの、その後の妻に当たります。
【結婚歴と年表】平尾昌晃・最初の夫人・鹿内春雄の出来事を比較
複数の人物の結婚と死去が関係しているため、年代順に見ると混同しにくくなります。主要な出来事をまとめました。
| 年月 | 人物・出来事 | 家族関係と詳細 |
|---|---|---|
| 1972年 | 平尾昌晃が最初の結婚 | 女子大生だった女性と結婚。長男が誕生。 |
| 1976年ごろ | 最初の夫人と離婚 | 最初の結婚生活が終了。 |
| 1978年 | 小沢深雪と再婚 | 次男が誕生。 |
| 1981年 | 最初の夫人が鹿内春雄と再婚 | 平尾さんとの離婚後の再婚。 |
| 1982年6月 | 鹿内夫妻に男児誕生 | その約2か月後に夫人が29歳で死去。 |
| 1981年 | 平尾昌晃に三男誕生 | 小沢深雪との間に生まれた平尾勇気さん。 |
| 1984年 | 鹿内春雄が頼近美津子と結婚 | 頼近さんにとって鹿内さんとの結婚。 |
| 1985年 | 平尾昌晃と小沢深雪が離婚 | 2度目の結婚生活が終了。 |
| 2013年 | 平尾昌晃が3度目の結婚 | 長年マネジャーを務めた女性と婚姻。 |
| 2017年7月21日 | 平尾昌晃が死去 | 肺炎のため79歳で亡くなる。 |
| 2018~2019年 | 遺産・会社経営をめぐる問題 | 三男の平尾勇気さんと3人目の妻の間で法的問題が表面化。 |
この年表で注目したいのは、平尾さんの最初の夫人の死去が1982年であり、平尾さん本人の死去は2017年だったという点です。
また、鹿内春雄さんと頼近美津子さんの結婚は1984年であり、平尾さんの3度目の結婚である2013年とは約29年の開きがあります。それぞれ別の人物の結婚歴として整理することが大切です。
【平尾昌晃の家族構成】長男・次男・三男はそれぞれ誰の子供?
平尾昌晃さんには3人の息子がいます。長男は最初の夫人との間に生まれ、次男と三男は2番目の妻である小沢深雪さんとの間に生まれました。
この家族構成は、2018年9月の日刊スポーツやスポニチアネックスの報道でも確認できます。
長男は1972年の最初の結婚で生まれた息子です。母親は平尾さんの最初の夫人で、後に鹿内春雄さんと再婚した女性です。長男は2017年の平尾さんの葬儀で喪主を務めたことでも報道されました。
次男は小沢深雪さんとの間に生まれた息子で、平尾亜希矢さんです。2018年の遺産問題に関する報道では、弟の勇気さんとともに取り上げられています。
三男は歌手の平尾勇気さんです。1981年3月10日生まれで、父親と同じ音楽の世界で活動しています。2018年には父親の3度目の妻との間で、遺産や会社経営をめぐる問題について記者会見を行いました。
一方、2013年に結婚した3人目の妻との間に子供が誕生したという報道は確認できません。公に紹介されている平尾さんの子供は、最初の妻との間の1人と、2番目の妻との間の2人です。日刊スポーツ、2018年9月22日・25日付報道
なお、平尾さんの2番目の妻である小沢深雪さんと、3人目の妻である元マネジャーの女性は別人です。次男と三男の母親は小沢さんであり、後妻が2人の実母というわけではありません。
【平尾昌晃の死去後】3人目の妻と息子たちの間で起きた遺産問題
平尾昌晃さんは2017年7月21日午後11時40分、肺炎のため東京都内の病院で亡くなりました。享年79歳でした。
所属事務所の発表を受けて、日刊スポーツやテレビ朝日などが訃報を報道。1958年に歌手デビューし、「瀬戸の花嫁」「よこはま・たそがれ」「霧の摩周湖」など数々の名曲を手掛けた音楽家の死去は、歌謡界に大きな衝撃を与えました。
その後、2018年9月には、三男の平尾勇気さんが父親の3人目の妻を相手に法的措置を取ったことが明らかになります。
争点となったのは、平尾さんが残した著作権管理会社や音楽出版権管理会社などの経営と、遺産の取り扱いでした。
勇気さん側は、3人目の妻が会社の代表取締役に就任した経緯や著作権料の管理などに問題があると主張。一方、妻側は報道を通じて反論や説明を行い、双方の主張は対立しました。
2018年9月には株主総会が開かれ、音楽出版社の経営陣から妻が外れる動きも報じられています。さらに2019年2月、勇気さんが求めていた代表取締役の職務執行停止の仮処分申請は東京地裁によって却下されました。
ただし、この仮処分の却下は会社役員としての職務停止を求める申し立てに対する判断です。遺産をめぐる双方の主張すべてについて、不正の有無や相続の最終的な結論を確定した判決という意味ではありません。
この一連の問題から分かるのは、平尾さんの死後、家族間の関係だけでなく、音楽著作権や会社経営という事業上の問題も相続に深く関わっていたということです。日刊スポーツ、2018年9月22日・26日、2019年2月16日付報道
【音楽界での功績】日本作曲家協会・JASRAC理事を歴任した平尾昌晃
平尾昌晃さんの人物像を理解するには、家族関係だけでなく、音楽業界で築いた実績にも目を向ける必要があります。
1937年12月24日生まれ。1958年に「リトル・ダーリン」で歌手デビューし、ミッキー・カーチスさん、山下敬二郎さんとともにロカビリー三人男として人気を集めました。
その後は作曲家としての才能を発揮し、布施明さんの「霧の摩周湖」、小柳ルミ子さんの「瀬戸の花嫁」、五木ひろしさんの「よこはま・たそがれ」など、多くのヒット曲を世に送り出しました。
1974年には平尾昌晃音楽学校を設立し、後進の育成にも尽力。2003年には紫綬褒章を受章しています。
また、社団法人日本作曲家協会の常務理事や、社団法人日本音楽著作権協会(JASRAC)の理事などを歴任しました。湘南学園の同窓会誌に掲載された追悼記事にも、これらの役職が記録されています。
日本作曲家協会の公式サイトでは、平尾さんは2017年の相談役として記載されています。単にヒット曲を生み出した作曲家というだけでなく、作曲家の権利や音楽文化の発展にも関わった人物だったことが分かります。
こうした経歴を踏まえると、死後に著作権管理会社や音楽出版権をめぐる問題が注目された背景も理解しやすくなります。平尾さんが残した財産には、一般的な不動産や金融資産だけでなく、長年の音楽活動によって生まれた権利や事業も含まれていたためです。湘南学園同窓会誌、日本作曲家協会公式サイト、USENの2017年追悼発表
【プロの結論】平尾昌晃の妻に関する噂と事実を混同しないために
平尾昌晃さんの妻をめぐる情報で、特に混同されやすいのは「最初の夫人の死去」と「平尾さん本人の死去」、そして「3人目の妻に関する遺産問題」です。
それぞれは異なる時代に起きた出来事です。
最初の夫人は平尾さんと離婚した後、1981年に鹿内春雄さんと再婚し、翌年に亡くなりました。平尾さん本人は2017年に肺炎で亡くなっています。そして3人目の妻との間では、2018年以降、遺産や会社経営をめぐる問題が報じられました。
また、鹿内春雄さんと頼近美津子さんの関係についても、平尾さんとの直接的な婚姻関係があったかのように理解するのは誤りです。頼近さんは鹿内さんの妻であり、平尾さんの元夫人の再婚相手の、その後の結婚相手に当たります。
情報を見分ける際には、次の3点を判断基準にすると整理しやすくなります。
- 結婚した時期を見る:1972年・1978年・2013年という平尾さん自身の3度の結婚を基準にする。
- 子供の母親を確認する:長男は最初の夫人、次男と三男は小沢深雪さんとの間に生まれた子供である。
- 死去した人物を区別する:最初の夫人、鹿内春雄さん、頼近美津子さん、平尾昌晃さんは、それぞれ別の時期に亡くなっている。
家族関係を正しく理解することは、芸能人の私生活に関する噂と、実際に報道された出来事を見分けるうえでも役立ちます。
【平尾昌晃妻】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:平尾昌晃の最初の妻は誰ですか?
A1:1972年に結婚した当時女子大生だった女性です。長男をもうけましたが、1970年代半ばに離婚しました。離婚後、1981年に鹿内春雄さんと再婚したことが報道されています。
Q2:平尾昌晃の最初の妻はくも膜下出血で亡くなったのですか?
A2:後年の人物紹介では、1982年に鹿内春雄さんとの間に男児を出産した後、くも膜下出血で亡くなったとされています。日刊ゲンダイの報道でも、出産から約2か月後に29歳で亡くなった経緯が紹介されています。
Q3:鹿内春雄と頼近美津子はどのような関係ですか?
A3:夫婦です。鹿内春雄さんは1984年に頼近美津子さんと結婚しました。頼近さんは元NHK・フジテレビのアナウンサーで、鹿内さんとの間に2人の男児をもうけました。
Q4:平尾昌晃には子供が何人いましたか?
A4:息子が3人いました。最初の妻との間に長男、2番目の妻である小沢深雪さんとの間に次男と三男が生まれています。三男は歌手の平尾勇気さんです。
Q5:平尾昌晃が亡くなった後、妻はどうなりましたか?
A5:2013年に結婚した3人目の妻をめぐり、2018年から三男の平尾勇気さんとの間で遺産や会社経営に関する問題が報じられました。2019年には会社役員の職務停止を求める仮処分申請が東京地裁で却下されています。
平尾昌晃さんの結婚歴は、1972年の最初の結婚、1978年の小沢深雪さんとの再婚、2013年の元マネジャーとの3度目の結婚という流れです。
最初の夫人は離婚後に鹿内春雄さんと再婚し、1982年に男児を出産した後、29歳で亡くなりました。その後、鹿内さんは1984年に頼近美津子さんと結婚しています。
平尾さん自身には3人の息子がおり、最初の妻との間に長男、2番目の妻との間に次男・亜希矢さんと三男・勇気さんが誕生しました。
また、2017年の平尾さんの死去後には、3人目の妻と息子たちの間で相続や会社経営をめぐる問題も表面化しています。
「平尾昌晃の妻が亡くなった」という情報だけでは、誰のことを指しているのか分かりません。最初の夫人の死去と、平尾さん本人の死去、そして晩年の妻をめぐる相続問題を時系列で整理することが、家族関係の真相を理解するための重要なポイントです。
昭和歌謡に数々の名曲を残した平尾昌晃さん。その音楽的功績とともに、家族の歩みも正確な歴史として伝えていくことが大切です。