猪木寛子さんは、プロレス界の伝説的スター・アントニオ猪木さんと女優・倍賞美津子さんの長女です。幼少期にはミュージカル『アニー』のアニー役を務めたことでも知られていますが、現在は芸能活動とは異なる道を歩んでいます。
2023年4月、雑誌『CREA』のロングインタビューで、寛子さん本人はアメリカで看護師として働いていることを明かしました。40歳を超えてから医療の勉強を一から始めたという経歴は、芸能人の娘というイメージとは異なるものです。2026年10月現在、本人の仕事に関する新たな詳報は限られていますが、家族や息子たちをめぐっては新しい報道も出ています。
この記事では、本人のインタビュー、報道各社の記事、関係者の証言をもとに、猪木寛子さんの現在の仕事、アメリカ生活、両親との関係、サイモン・ケリー氏との結婚・離婚、2人の息子について整理します。
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> - 現在の仕事: 2023年の本人インタビューで、アメリカで看護師として働いていると明言。40歳を超えてから学び直した。
> - 家族関係: アントニオ猪木さんと倍賞美津子さんの長女。両親は1987年に離婚している。
> - 結婚・子ども: サイモン・ケリー氏と1997〜1998年に結婚し、2016年ごろに離婚。2人の息子がおり、次男については2026年に新たな報道も出ている。
【2026年最新】猪木寛子の現在はアメリカで看護師?仕事と生活を解説

猪木寛子さんの現在を知るうえで、最も重要な資料は2023年4月3日に公開された『CREA』の本人インタビューです。
寛子さんは取材の中で、自身がアメリカで看護師をしていることを明かしています。
かつては父・アントニオ猪木さんの仕事を手伝っていた時期もありましたが、その後、医療の道へ進むことを決意しました。
きっかけとなったのは、アメリカの日系高齢者が暮らすリタイアメントホームを訪問した経験です。
認知症が進んだ高齢者の中には、症状の進行によって英語を話せなくなり、日本語だけでコミュニケーションを取るようになる人もいました。
しかし、施設には日本語を話せる看護師がいませんでした。
その状況を目の当たりにした寛子さんは、自分にもできることがあると考え、看護師を目指すようになったと語っています。
注目したいのは、看護師を志した時期です。
本人によると、医療の勉強を始めたのは40歳を超えてからでした。若い学生たちと一緒に、一から勉強し直したといいます。
2026年10月31日時点では、看護師としての勤務先や具体的な役職、現在の勤務形態について新しい本人発信は確認できません。
したがって、2023年に明かされた看護師としての活動が、2026年も同じ勤務先・条件で続いていると断定することはできません。
ただし、本人が公に語った職業と、その仕事を選んだ理由は明確です。
また、ロサンゼルスは寛子さんが長く生活してきた場所です。ボストンの大学を卒業した約1年後にロサンゼルスへ移り、父と会う機会も増えたと本人が振り返っています。
アメリカでの生活は、父の娘としてだけでなく、一人の社会人として自分の道を築く時間でもあったようです。
出典:文春オンライン『CREA』2023年4月3日掲載の本人インタビュー。
【猪木寛子の経歴】ミュージカル『アニー』からボストン大学卒業まで
猪木寛子さんの経歴で広く知られているのが、子ども時代のミュージカル出演です。
1986年、日本テレビ主催で始まったミュージカル『アニー』のアニー役に選ばれました。
このとき、後に政治家として活動する菅野志桜里さんとダブルキャストを務めています。
日本テレビ版『アニー』の初演を飾った出演者の一人だったことは、寛子さんの代表的な芸能活動として知られています。
その後は学業を重視し、アメリカの大学へ進学しました。
『CREA』のインタビューでは、ボストン大学の卒業式に父・アントニオ猪木さんが出席した当時の写真も紹介されています。
大学卒業後は約1年でロサンゼルスへ移住。父と過ごす時間が増えたことで、幼いころとは異なる視点から父親の生き方を理解するようになったと語っています。
猪木寛子さんの主な経歴・年表
| 時期 | 出来事 | 確認できる内容 |
|---|---|---|
| 1986年 | ミュージカル『アニー』 | 日本テレビ版初演でアニー役を担当 |
| 1987年 | 両親が離婚 | 本人の回想による |
| 大学時代 | ボストン大学へ進学 | 卒業式には父も出席 |
| 大学卒業後 | ロサンゼルスへ移住 | 約1年後に移住したと本人が説明 |
| 1997〜1998年 | サイモン氏と結婚 | ボストンと日本で挙式 |
| 2003年1月 | 長男・寛太さん誕生 | 報道で確認 |
| 2016年ごろ | サイモン氏と離婚 | 2026年の本人側関係者ではなく、元夫本人の取材記事で言及 |
| 2023年4月 | 看護師としての仕事を告白 | 『CREA』の本人インタビュー |
| 2023年6月 | 長男が猪木元気工場の役員に就任 | 会社の公式発表 |
| 2026年10月 | 次男のプロレス活動が報道される | Kumo名義での活動が紹介された |
1986年の『アニー』出演については、エンタメ情報メディアSPICEの歴代公演解説でも、菅野志桜里さんとのダブルキャストとして紹介されています。
また、ボストン大学卒業後のロサンゼルス移住や看護師への転身については、本人が『CREA』で具体的に説明しています。
ここで注目したいのは、芸能活動から医療職への転身が、単なる職業変更ではなかったことです。
寛子さんは、アメリカで暮らす日本語話者の高齢者が抱える問題を目の当たりにし、自分の経験や言語を生かせる仕事を選びました。
【看護師になった理由】アメリカで日本語を話す高齢者を支えたい
寛子さんが看護師を志した背景には、アメリカの日系高齢者が抱える言語の問題がありました。
本人の説明によると、長男の寛太さんが日本語学校に通っていたころ、リタイアメントホームを訪問する機会がありました。
そこで出会ったのが、認知症の進行によって英語での会話が難しくなり、日本語だけで話すようになった高齢者たちです。
アメリカで生活していても、認知機能の変化によって幼少期から使っていた言語に戻ることがあります。
医療や介護の現場では、患者の症状だけでなく、本人が安心して意思を伝えられるコミュニケーション環境も大切です。
寛子さんは、そうした人たちに日本語で対応できる看護師の必要性を感じたといいます。
この経験が、40歳を超えてから新たに医療を学ぶ決断につながりました。
アメリカのNP資格について同じインタビューでは、アメリカの医療制度についても説明しています。
寛子さんが紹介したのが、NP(Nurse Practitioner)という資格です。
NPは、一定の教育・資格要件を満たした高度実践看護師で、州の制度や権限の範囲内で診断、医療行為、薬の処方などを行います。
日本の一般的な看護師とは役割や権限が異なります。
本人はNPの社会的地位や待遇についても説明していますが、インタビューの記述だけでは、寛子さん自身がNP資格を取得しているとは確認できません。
そのため、看護師として働いていることと、NP資格を持っていることは区別して理解する必要があります。
また、コロナ禍には勤務中の防護服姿を撮影し、父・猪木さんに送ったことも明かしています。
父の世話をしていた関係者から、猪木さんが娘の仕事を誇らしげに話していたと聞いたそうです。
リング上では多くの人を励ましてきた父の姿を見て育った寛子さんが、今度は医療の現場で人を支える側になったというエピソードです。
【親子関係】アントニオ猪木と倍賞美津子の娘として歩んだ人生
猪木寛子さんは、アントニオ猪木さんと女優・倍賞美津子さんの間に生まれた長女です。
父は日本のプロレス史を代表する人物で、参議院議員としても活動しました。2022年10月1日、79歳で亡くなっています。
母の倍賞美津子さんは、映画やテレビドラマなどで活躍してきた実力派女優です。
両親の離婚は1987年アントニオ猪木さんと倍賞美津子さんが離婚したのは1987年です。
寛子さんは『CREA』のインタビューで、自身が12〜13歳だったころの出来事として振り返っています。
父は離婚を伝えるために、寛子さんが参加していたサマーキャンプを訪れたものの、結局その話を切り出せなかったそうです。
後になって、父がキャンプ場の池の向こう側から自分を見ていたと聞いたことも語っています。
このエピソードからは、強いカリスマ性を持つアントニオ猪木さんにも、娘に自分の気持ちを伝えることに悩む一面があったことがうかがえます。
また、両親の離婚後も、父と母は普通に行き来しており、寛子さんが父に会えなくなったわけではなかったといいます。
父に対する娘としての思い2023年3月、FNNプライムオンラインの取材で、寛子さんは父親としての猪木さんについて語りました。
幼少期には、学校の送り迎えや行事への参加など、一般的な父親らしいことをしてもらえなかったと振り返っています。
一方で、年齢を重ねるにつれて、父が多くのファンに喜びや勇気を届けるために全力で活動していたことを理解するようになったそうです。
寛子さんにとって父は、家庭では不器用な部分があったものの、人間として尊敬できる存在だったのです。
2023年3月7日に両国国技館で開催されたアントニオ猪木さんのお別れの会にも出席しました。
このとき、母・倍賞美津子さんと父・猪木さんとの家族写真も紹介されています。
両親の離婚という出来事だけで親子関係を語ることはできません。寛子さんの証言からは、離婚後も家族としてのつながりが続いていたことが分かります。
【結婚・離婚と2人の息子】元夫サイモン・ケリーとの関係は?
猪木寛子さんの結婚相手として知られているのが、サイモン・ケリー氏です。
サイモン氏は元新日本プロレス社長で、アントニオ猪木さんの事業にも関わってきた実業家です。
2人は幼いころからお互いの家族を知る関係で、長い付き合いを経て結婚しました。
サイモン・ケリーとの結婚サイモン氏の2017年のインタビューによると、2人は1997年10月にアメリカのボストンで式を挙げ、その後、1998年4月にも日本で結婚式を行っています。
東洋経済オンラインの2026年掲載プロフィールでも、1998年4月に猪木寛子さんと結婚したと紹介されています。
サイモン氏は2000年8月に新日本プロレスへ入社し、2005年5月には代表取締役社長に就任しました。
しかし、2007年3月に社長を辞任。その後はアントニオ猪木さんが立ち上げたIGFにも関わりました。
離婚したのは2016年ごろ2人はその後、離婚しています。
離婚時期については、2026年7月3日掲載の東洋経済オンラインの記事で、サイモン氏本人が2016年に寛子さんと離婚したことに触れています。
したがって、2016年ごろという時期は、単なるネット上の推測ではなく、元夫本人の取材記事によって裏付けられています。
一方、離婚理由については、本人たちから詳しい説明が公表されていません。
仕事上の対立、性格の不一致、不倫など、さまざまな理由を結び付ける情報がインターネット上にありますが、確定的な根拠は確認できません。
アントニオ猪木さんと倍賞美津子さんの1987年の離婚と、寛子さんとサイモン氏の2016年ごろの離婚は、まったく別の出来事です。
2人の息子・猪木寛太と猪木尚登寛子さんには2人の息子がいます。
| 項目 | 長男・寛太さん | 次男・尚登さん |
|---|---|---|
| 名前 | 猪木寛太 | 猪木尚登 |
| 祖父 | アントニオ猪木 | アントニオ猪木 |
| 2023年の報道 | 20歳 | 14〜15歳 |
| 主な話題 | 大学進学・猪木元気工場の役員 | レスリング・格闘技・プロレス |
| 近年の動き | 海外ネットワーク部門の役員 | 2026年にKumoとしてリング活動が報道 |
長男の寛太さんは、2023年1月の報道で、アメリカのサンタモニカ・カレッジに通い、自動車工学を専攻していると紹介されました。
同年6月には、アントニオ猪木さんの肖像権や関連事業を管理する株式会社猪木元気工場の取締役に就任しています。
同社の役員変更に関する公式発表でも、寛太さんは海外ネットワーク部門の担当取締役として記載されています。
一方、次男の尚登さんも祖父の影響を受けて格闘技に関心を持ってきました。
2023年にはレスリングや柔術、ムエタイなどに取り組んでいることが報道され、アントニオ猪木さんのお別れの会にも姿を見せています。
2026年10月、次男・尚登にプロレス界の新展開2026年10月には、次男の尚登さんをめぐる新しい報道がありました。
10月3日付の『アサヒ芸能』は、尚登さんが覆面レスラー「Kumo」として活動し、ルチャリブレにも取り組んでいると報じています。
同記事によると、尚登さんは2024年にもカリフォルニアの猪木道場で実戦経験を積んでおり、2026年夏には活動の幅を広げたとされています。
週刊ファイトも2026年10月、尚登さんのリング活動やプロレス修行について取り上げています。
祖父のアントニオ猪木さんの名前を受け継ぐだけでなく、自分自身のスタイルを作ろうとしている点が注目されています。
なお、2026年10月の『アサヒ芸能』記事は、寛子さんがサイモン氏との離婚後にメキシコ人レスラーのデュランゴ・キッドと再婚したこと、さらに尚登さんの実父がデュランゴ氏であることも報じています。
ただし、この家族関係については寛子さん本人による公表を確認できていません。2023年の本人インタビューでは2人の息子が紹介されていますが、父親の内訳までは説明されていません。
そのため、再婚や親子関係の詳細は、2026年10月時点では報道ベースの情報として区別する必要があります。
【猪木寛子現在】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:猪木寛子は2026年現在も看護師をしていますか?
A1:2023年4月の『CREA』のインタビューで、本人はアメリカで看護師として働いていると明かしています。ただし、2026年現在の勤務先や勤務状況については新しい本人発信が確認できていません。
Q2:猪木寛子の元夫サイモン・ケリーとの離婚理由は何ですか?
A2:離婚した時期は2016年ごろとされています。サイモン氏本人も2026年の東洋経済オンラインの取材記事で離婚に言及していますが、具体的な離婚理由は公表されていません。
Q3:猪木寛子の息子は何人で、現在何をしていますか?
A3:息子は長男の寛太さんと次男の尚登さんの2人です。寛太さんは猪木元気工場の役員を務め、尚登さんについては2026年10月、覆面レスラーKumoとしての活動が報道されました。
猪木寛子さんは、アントニオ猪木さんと倍賞美津子さんの長女として生まれ、幼少期にはミュージカル『アニー』のアニー役を務めました。
その後、ボストン大学を卒業し、ロサンゼルスへ移住。40歳を超えてから看護師を目指して学び直し、アメリカで医療の仕事に就いたことを本人が明かしています。
サイモン・ケリー氏との結婚と離婚、2人の息子の成長も、寛子さんの人生を知るうえで欠かせない出来事です。
2026年には次男・尚登さんのプロレス活動も新たに報じられ、猪木家の次世代にも注目が集まっています。
【プロの結論】
猪木寛子さんの現在を理解するうえで大切なのは、父親の知名度や過去の芸能活動だけで人物像を判断しないことです。
本人の言葉から見えてくるのは、アメリカで生活基盤を築き、年齢に関係なく新しい専門分野へ挑戦し、誰かの役に立つ仕事を選んだ一人の女性の姿です。
2026年時点で、看護師としての最新の勤務状況や私生活の詳細は限られています。しかし、40歳を超えて医療の道に進んだ経緯は、本人が明確に語っています。
アントニオ猪木さんの娘という肩書だけでは説明できない、寛子さん自身の人生と選択にこそ注目したいところです。
主な参照資料
- 文春オンライン『CREA』2023年4月3日・猪木寛子本人インタビュー
- FNNプライムオンライン 2023年3月8日
- 東洋経済オンライン 2026年7月3日・サイモン・ケリー氏インタビュー
- 株式会社猪木元気工場 2023年6月9日公式発表
- 日刊スポーツ、デイリースポーツの家族・息子に関する報道
- 『アサヒ芸能』2026年10月3日、週刊ファイト2026年10月3日掲載記事