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近藤利一とは何者だったのか?アドマイヤの実績、家族と死去後の現在を徹底解説

胡桃沢 奏 胡桃沢 奏 • 更新: • 公開: • 読了約 18 分
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近藤利一(こんどう・りいち)は、競馬ファンに「アドマイヤ」の冠名で知られた日本の実業家・馬主です。1942年9月1日に徳島県で生まれ、大阪を拠点に合建株式会社を経営する一方、1984年にJRAの馬主資格を取得。数々の名馬を所有し、生涯でJRA重賞60勝、GI級競走13勝という輝かしい実績を残しました。

2019年11月17日に77歳で亡くなった近藤氏ですが、その名前は2026年現在も競馬界に残っています。前妻の近藤英子も著名な馬主であり、後妻の近藤旬子は死後に馬主活動を引き継ぎました。初めて所有したカイタイオーからアドマイヤベガ、アドマイヤムーン、アドマイヤマーズまで、その歩みには競馬界の歴史を彩る数々の出来事があります。

【徳島県出身から実業家へ】近藤利一の経歴と馬主になるまでの歩み

近藤利一

近藤利一は1942年9月1日、徳島県で生まれました。のちに大阪へ活動の拠点を移し、建設関連事業を通じて経営者としての基盤を築きます。

本業は競馬関係ではなく、建築物の解体やはつり工事などを手掛ける合建株式会社の経営でした。同社は大阪市北区に拠点を置く建設関連会社で、近藤氏は代表取締役会長を務めていました。

近藤氏の経歴を語るうえで欠かせないのが、前妻の近藤英子との関係です。2人は大阪で出会い、結婚後に夫婦で合建株式会社を立ち上げたとされています。事業を築いた後、近藤氏は競馬の世界でも大きな存在感を発揮するようになりました。

もともと近藤氏はギャンブル好きだったわけではなく、友人に競馬場へ誘われたことが競馬に関心を持つきっかけだったと紹介されています。競馬場で馬の魅力に触れたことが、後の大規模な馬主活動につながっていきました。

そして1984年に中央競馬の馬主資格を取得。ここから、後に全国の競馬ファンが知る「アドマイヤ」の歴史が始まります。

なお、馬主資格取得年については資料によって記載に違いがあります。スポニチや競馬ヘッドラインなどは1984年と紹介する一方、サンケイスポーツ配信の記事には1986年に正式に馬主となったとの記述もあります。1984年が広く紹介される取得年ですが、資料によって表記が異なる点は押さえておきたいところです。

また、近藤氏は競馬界での活動だけでなく、社会貢献にも取り組んでいました。競馬ヘッドラインの訃報記事によると、毎年、老人福祉のために賞金の一部を妻名義で大阪市役所や所有馬のファンクラブなどに寄付していたといいます。

【初めての所有馬はカイタイオー】橋田満調教師との出会い

近藤利一の馬主人生を語る際、最初に登場する競走馬がカイタイオーです。

現在ではアドマイヤベガやアドマイヤムーンなどの名馬で知られる近藤氏ですが、最初から大きなタイトルを手にしていたわけではありません。馬主としての出発点は、カイタイオーという競走馬でした。

JRAの競走馬情報によると、カイタイオーは1985年6月3日生まれの牡馬で、馬主は近藤利一、調教師は栗東の橋田満でした。競走成績は7戦1勝。1988年の3歳未勝利戦で勝利を挙げています。

ここで重要なのが、調教師の橋田満との関係です。

橋田満は後に近藤氏の有力所有馬を数多く管理することになる調教師です。アドマイヤベガやアドマイヤコジーンなど、近藤氏の馬主活動を代表する競走馬にも関わっています。

最初の所有馬から橋田厩舎との接点があり、その後も長期にわたる関係が続いたことは、近藤氏の馬主活動の特徴を示しています。

競馬は馬を購入すれば終わりではありません。育成牧場、生産者、調教師、騎手など、多くの関係者との連携によって競走馬の能力が引き出されます。近藤氏の成功には、こうした関係者との継続的なつながりも大きく関係していました。

特に橋田満との関係は、単なる馬の預託先という枠を超え、近藤氏の競馬人生を支えた重要な接点だったといえます。

【アドマイヤの冠名とは?】JRA重賞60勝・GI級13勝の馬主実績

近藤利一の名前を全国的に知らしめたのが、「アドマイヤ」という冠名です。

アドマイヤは英語の「Admire」に由来します。「称賛する」「尊敬する」「敬服する」といった意味を持つ言葉で、近藤氏は英語の発音をそのまま「アドマイア」とするのではなく、語尾の発音のしやすさを考えて「アドマイヤ」としたと伝えられています。

その由来は、競馬ファンにとっても興味深いエピソードです。アドマイヤベガ、アドマイヤドン、アドマイヤグルーヴなど、冠名が付いた馬は世代を超えて活躍しました。

近藤氏の馬主実績は、単に有名馬を何頭も所有したというレベルではありません。

JRA重賞60勝、うちGI級競走13勝という数字は、長年にわたって第一線で競走馬を所有し続けた結果です。さらに海外GI2勝、地方交流GI6勝を記録し、GI級競走の勝利は合計21勝に達したと報じられています。

代表的な所有馬と主な勝利を整理すると、次のようになります。

競走馬 主な勝利 近藤利一との関係
アドマイヤコジーン 1998年朝日杯3歳ステークス、2002年安田記念 JRA・GI初制覇をもたらした代表馬
アドマイヤベガ 1999年日本ダービー クラシック制覇を実現した名馬
アドマイヤドン 2001年朝日杯フューチュリティステークス、2004年フェブラリーステークスなど 芝・ダート双方で活躍
アドマイヤグルーヴ 2003年・2004年エリザベス女王杯 同レース連覇を達成
アドマイヤムーン 2007年宝塚記念、ドバイデューティフリー 国内外の大舞台で活躍
アドマイヤジュピタ 2008年天皇賞・春 長距離GIを制覇
アドマイヤマーズ 2018年朝日杯フューチュリティステークス、2019年NHKマイルカップ 晩年の代表的な所有馬
アドマイヤラクティ 2014年コーフィールドカップ オーストラリアのGI級競走を制覇

特に注目したいのが、1998年のアドマイヤコジーンによる朝日杯3歳ステークス制覇です。これが近藤氏にとって最初のGI勝利となりました。

翌1999年にはアドマイヤベガが日本ダービーを制覇。日本競馬の最高峰の一つであるクラシック競走で勝利を収めたことで、アドマイヤの冠名はさらに広く知られるようになります。

その後もアドマイヤグルーヴのエリザベス女王杯連覇や、アドマイヤムーンの宝塚記念制覇など、時代ごとに主役となる競走馬を送り出しました。

アドマイヤムーンは2007年にドバイデューティフリーも制覇しています。これは近藤氏が海外の大舞台でも結果を残したことを象徴する勝利でした。

さらに2014年にはアドマイヤラクティがオーストラリアのコーフィールドカップを優勝。近藤氏の馬主活動は国内だけにとどまりませんでした。

なお、JRA重賞60勝とGI級21勝は同じ範囲の数字ではありません。60勝はJRAの重賞勝利数であり、21勝はJRAのGI級13勝に海外GI2勝と地方交流GI6勝を加えた数字です。集計対象を区別することが、近藤利一の実績を正確に理解するポイントです。

【近藤英子と近藤旬子】妻・家族とそれぞれの馬主としての実績

近藤利一の家族関係で特に検索されるのが、前妻の近藤英子と、後に妻となった近藤旬子です。

2人は同じ人物ではなく、競馬界でもそれぞれ異なる馬主として活動してきました。

前妻・近藤英子も著名な馬主

近藤英子は、近藤利一の前妻であり、自身も競馬界で高い実績を持つ馬主です。

夫婦だった時期には合建株式会社の事業をともに立ち上げたとされ、競馬の世界でもそれぞれ馬主として活動していました。その後、2人は離婚しています。

英子の所有馬で特に有名なのが、2007年の皐月賞を制したヴィクトリーです。

JRAの2007年皐月賞公式記録にも、馬主として近藤英子の名前が記載されています。ヴィクトリーは7番人気ながら勝利を収め、クラシックの大舞台で存在感を示しました。

もう一頭、忘れてはならないのがカンパニーです。

カンパニーは2009年に天皇賞・秋とマイルチャンピオンシップを連勝しました。8歳馬によるGI連勝という印象的な活躍を見せ、同年度のJRA賞では特別賞を受賞しています。

2009年のJRA公式表彰記録でも、カンパニーの馬主は近藤英子と明記されています。

ここで注意したいのは、英子の所有馬の成績と利一の所有馬の成績を混同しないことです。2人は別々の名義で馬を所有しており、ヴィクトリーやカンパニーの勝利を近藤利一個人のJRA重賞60勝に加えることはできません。

また、英子の所有馬には必ずしもアドマイヤの冠名が付いていたわけではありません。夫婦の競馬活動には共通点がありながらも、それぞれ独立した馬主としての実績がありました。

後妻・近藤旬子は馬主活動を引き継いだ人物

近藤旬子は、近藤利一の後妻として知られる人物です。2019年11月17日に利一が亡くなった後、所有馬を引き継ぐ相続馬主となりました。

その後、自身の名義で馬主資格を取得したのは2020年7月です。同月19日にはアドマイヤジャスタで函館記念を制し、馬主として初めての重賞勝利を記録しました。

さらに2024年12月には、アドマイヤズームが朝日杯フューチュリティステークスを優勝。旬子にとって初めてのGI制覇となりました。

これは、利一が築いたアドマイヤの冠名が、死去後も大舞台で勝利を挙げたことを意味します。

2026年には、近藤旬子が所有するアドマイヤテラが凱旋門賞に挑戦しました。日刊スポーツの2026年9月30日のインタビューでは、旬子が夫の海外挑戦への思いを引き継いでいることが紹介されています。

なお、子どもの人数や詳細な家族構成については、主要な競馬報道で広く公表された情報が限られています。競馬界で確認できる近藤家のつながりとしては、英子と旬子、それぞれの馬主活動と利一の功績の継承が中心となります。

【2019年11月17日に死去】死因と晩年、2026年現在のアドマイヤ

近藤利一は、2019年11月17日の早朝、大阪市内の病院で亡くなりました。享年77歳でした。

死去の背景には、がんとの闘病がありました。2019年夏には自身ががんであることを公表しており、同年7月のセレクトセールでも姿を見せていました。

その後、病状が悪化。2019年11月17日に訃報が伝えられ、競馬界には大きな衝撃が広がりました。

当時のスポーツ紙によると、友道康夫調教師は亡くなる直前まで近藤氏と電話で話していたことを明かしています。香港遠征を予定していたアドマイヤマーズの話題など、競馬に関する会話を交わしていたと報じられました。

近藤氏の死去後、注目されたのが所有馬の名義と今後の活動でした。馬主の死去によって、それまでの所有馬を誰が引き継ぐのかは競馬界にとって重要な問題です。

その後、妻の近藤旬子が相続馬主として活動を継承。アドマイヤの冠名は途絶えることなく、現在も競馬ファンに知られる存在となっています。

2026年11月現在、近藤利一本人はすでに亡くなっていますが、アドマイヤの馬主活動は近藤旬子によって続いています。

その象徴的な出来事が、2026年10月4日にフランスのパリロンシャン競馬場で開催された凱旋門賞です。

近藤旬子が所有するアドマイヤテラが日本から参戦し、結果は11着でした。勝利には届かなかったものの、近藤利一が生前に海外GIへ積極的に挑戦していたことを考えると、アドマイヤの海外挑戦が次世代へ引き継がれた出来事として注目されます。

日刊スポーツのインタビューでは、旬子が利一の海外競馬への思いを受け継いでいることや、アドマイヤテラの母アドマイヤミヤビも利一の所有馬だったことが紹介されました。馬の血統という面でも、近藤家の競馬史は続いています。

【プロの結論】近藤利一が競馬界に残した本当の功績とは

近藤利一の功績を評価する際、JRA重賞60勝やGI級13勝という数字だけを見ていては、その本質を十分に理解できません。

注目すべきなのは、長期的に競走馬へ投資し、調教師や生産者との関係を築きながら、アドマイヤという一貫したブランドを確立したことです。

馬主は、単純に高額な馬を購入すれば成功する職業ではありません。馬の能力を見極め、適切な育成環境を選び、調教師や騎手と連携しながら競走生活を支える必要があります。

近藤氏は、初期のカイタイオーから始まり、アドマイヤコジーン、アドマイヤベガ、アドマイヤムーンといった名馬を送り出しました。時代が変わっても競馬への投資を継続し、複数世代にわたって重賞勝利を重ねた点に大きな価値があります。

また、合建株式会社の経営者としての顔を持っていたことも見逃せません。本業で経営基盤を築き、その資金力を競走馬の所有やセレクトセールでの購買に生かしていました。

さらに、賞金の一部を老人福祉などのために寄付していたという報道からは、競馬を通じた社会貢献にも関心を持っていたことが分かります。

近藤氏の功績を整理すると、次の3点が重要です。

  • 馬主としての実績:JRA重賞60勝、GI級13勝という長年の競争実績。
  • ブランドの確立:アドマイヤという冠名を通じて、競馬ファンに認知される存在を築いたこと。
  • 次世代への継承:近藤旬子が馬主活動を引き継ぎ、2024年のGI制覇や2026年の凱旋門賞挑戦につなげたこと。

一方、近藤氏の成功を資金力だけで説明するのも適切ではありません。実際のレースでは、調教師、騎手、生産者、牧場スタッフなど、多くの関係者が一頭の競走馬を支えています。近藤氏の馬主としての強みは、こうした競馬界の専門家と長期的な関係を築き、結果につなげてきたことにもあります。

【近藤利一】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:近藤利一はいつ亡くなりましたか? A1:2019年11月17日の早朝、大阪市内の病院で亡くなりました。享年77歳です。2019年夏にがんを公表し、闘病生活を送っていました。

Q2:近藤利一のGI勝利数は何勝ですか? A2:JRAのGI級競走は13勝です。これとは別に海外GI2勝、地方交流GI6勝を記録しており、GI級競走の勝利は合計21勝と報じられています。JRA重賞は通算60勝です。

Q3:近藤利一の最初の所有馬は何ですか? A3:カイタイオーです。橋田満調教師が管理し、中央競馬で1勝を挙げました。近藤氏の馬主人生の出発点となった競走馬です。

Q4:近藤英子と近藤旬子はどのような関係ですか? A4:近藤英子は前妻、近藤旬子は後妻です。英子も独立した馬主としてヴィクトリーやカンパニーなどを所有しました。旬子は2019年の利一の死去後、相続馬主としてアドマイヤの馬主活動を引き継ぎました。

Q5:2026年現在、アドマイヤの馬主は誰ですか? A5:近藤旬子です。2020年に自身の名義で馬主資格を取得し、アドマイヤジャスタやアドマイヤズームなどで重賞・GIを制しています。2026年にはアドマイヤテラで凱旋門賞にも挑戦しました。

近藤利一は、1942年に徳島県で生まれ、大阪で実業家として成功を収めた後、1984年に馬主資格を取得しました。最初の所有馬カイタイオーから始まった競馬人生は、アドマイヤコジーンやアドマイヤベガ、アドマイヤムーンなどの名馬を生み出すまでに発展しました。

その実績はJRA重賞60勝、GI級競走13勝という数字に表れています。前妻の近藤英子もヴィクトリーやカンパニーを所有する著名な馬主であり、後妻の近藤旬子は死去後の馬主活動を引き継ぎました。

2019年11月17日の死去から7年が経過しようとする2026年現在も、アドマイヤの冠名は競馬界に残っています。近藤旬子による2024年のGI制覇、2026年の凱旋門賞挑戦は、その象徴的な出来事です。

近藤利一の競馬人生を振り返ると、名馬を所有した馬主というだけでなく、一つの冠名を競馬界に定着させ、次の世代へ受け継がれる基盤を築いた人物だったことが分かります。その功績は、今後もアドマイヤの名とともに競馬ファンの記憶に残り続けるでしょう。

主な参照資料・報道

- JRA公式競走馬情報・カイタイオーの登録記録
- JRA公式2007年皐月賞競走成績
- JRA公式2009年度JRA賞・カンパニー特別賞
- スポニチ競馬Web、2019年11月17日・18日の訃報報道
- サンケイスポーツ配信「近藤利一氏が死去」の関連記事
- 競馬ヘッドライン「JRA馬主近藤利一氏、死去」
- 日刊スポーツ、2026年9月30日・近藤旬子インタビュー
- JRA公式2026年凱旋門賞結果



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コンテンツディレクター 胡桃沢 奏
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