おすぎとピーコは、1945年1月18日に神奈川県横浜市で生まれた一卵性双生児の兄弟です。二人は同じ日に生まれ、外見や声、話し方にも共通点がありましたが、芸能界ではそれぞれ異なる専門分野を確立しました。
基本プロフィールを整理すると、次のとおりです。
| 項目 | おすぎ | ピーコ |
|---|---|---|
| 本名 | 杉浦孝昭 | 杉浦克昭 |
| 生年月日 | 1945年1月18日 | 1945年1月18日 |
| 出身地 | 神奈川県横浜市 | 神奈川県横浜市 |
| 兄弟関係 | 弟 | 兄 |
| 専門分野 | 映画評論 | 服飾・ファッション評論 |
| 主な活動 | 映画解説、テレビ出演、ラジオ | ファッションチェック、テレビ出演、シャンソン |
| 芸能界デビュー | 1975年 | 1975年 |
| 近況 | 施設療養が2024年に報道された | 2024年9月3日死去 |
二人の関係で押さえておきたいのは、ピーコが兄、おすぎが弟という点です。
一卵性双生児という共通点がありながら、ピーコは服飾の世界、おすぎは映画の世界へ進みました。二人とも評論家としての専門性を持ち、それぞれの得意分野で独自の評価を築いています。
また、二人は同性愛者であることを公表して活動していました。まだ性的マイノリティーへの理解が現在ほど広がっていなかった1970年代から、テレビやラジオで自分たちの個性を隠さずに発信していたことも、当時の芸能界における特徴でした。
【名前の由来】永六輔がおすぎとピーコの名付け親になった経緯

おすぎとピーコの名前を語るうえで欠かせない人物が、放送作家・作詞家・タレントとして活躍した永六輔です。
永六輔は、二人の芸名を世に広めるうえで重要な役割を果たした名付け親として知られています。
おすぎ本人も対談の中で、永六輔について「おすぎとピーコ」という名前を付けてくれた人物だと振り返っています。
さらに、永六輔は単に名前を付けただけの存在ではありませんでした。芸能界に入った二人をかわいがり、映画評論家としてのおすぎの基礎を築くうえでも大きな影響を与えた恩人だったといいます。
おすぎという名前の由来おすぎの芸名は、本名の杉浦に由来すると紹介されています。
本名の「杉浦孝昭」から「杉」の字を取り、親しみやすい呼び名として定着したものです。
映画評論家として活動する際には、本名の杉浦孝昭名義を使うこともあり、芸能活動での名前と評論家としての名前を使い分けていました。
ピーコという名前の由来一方、ピーコの名前には会社員時代のエピソードがあります。
日刊スポーツなどの報道によると、ピーコはアパレル関連企業のサンヨーレインコートで働いていた時期、倉庫でのおしゃべりが多かったことから、周囲に「ピーピーうるさいぞ、ピーコ」と呼ばれたことが芸名の由来になったとされています。
つまり、二人の名前にはそれぞれ異なる背景がありました。
- おすぎ:本名の杉浦に由来する芸名
- ピーコ:会社員時代に呼ばれた愛称が定着
- コンビ名:永六輔が名付け親として知られる
このように整理すると、単に双子だから似た名前になったわけではないことが分かります。
永六輔が二人に伝えた大切な言葉永六輔と二人の関係は、名前の由来だけにとどまりません。
小学館の雑誌『サライ』に掲載された永六輔の孫・永拓実による回顧記事では、永六輔が二人に「君たちは、炭鉱のカナリアになりなさい」と伝えたエピソードが紹介されています。
炭鉱のカナリアとは、危険なガスを察知して警告する存在です。
社会の中で見過ごされがちな問題や、弱い立場の人々への不当な扱いに対して声を上げること。その姿勢を象徴する言葉として伝えられています。
批判を恐れず、政治や社会についても率直に発言していた二人の活動を考えると、この言葉は象徴的です。
永六輔は二人にとって、芸名の名付け親であると同時に、芸能活動や社会に対する姿勢を支えた重要な存在だったのです。
【経歴・年表】1975年デビューから昭和・平成・令和初期まで
おすぎとピーコの芸能活動は、1975年に始まりました。
ただし、デビュー以前から二人が同じ仕事をしていたわけではありません。ピーコは服飾の専門知識を身につけ、おすぎは美術や映像に関わる仕事を経験していました。
それぞれの専門性を持って芸能界に入ったことが、後の活躍につながります。
| 時期 | 主な出来事 | 活動・特徴 |
|---|---|---|
| 1945年 | 横浜市で誕生 | 一卵性双生児の兄弟 |
| 1960年代 | それぞれ社会人として働く | ピーコはアパレル関連企業に勤務 |
| 1960年代後半 | ピーコが文化服装学院に入学 | ファッションの専門知識を習得 |
| 1975年 | おすぎとピーコとしてデビュー | テレビ・ラジオで活動開始 |
| 1980年代 | ファッションチェックが人気に | ピーコの辛口評論が注目される |
| 1989年 | ピーコが悪性黒色腫の治療を受ける | 左眼を摘出 |
| 1990年代 | ワイドショーなどで活躍 | 二人それぞれの評論活動も拡大 |
| 2000年代 | バラエティー番組で人気 | 『笑っていいとも!』『爆笑おすピー問題!』など |
| 2010年代 | 活動の中心が個別の仕事へ | テレビや地域メディアなどで活動 |
| 2020年代初期 | テレビ出演が減少 | 生活拠点や活動形態にも変化 |
| 2024年9月3日 | ピーコ死去 | 79歳。敗血症による多臓器不全 |
| 2026年 | コンビとしての活動は終了 | おすぎの最新の生活状況は公表されていない |
二人が芸能界で本格的に活動を始めたのは、30歳だった1975年です。
ピーコは文化服装学院でデザインを学び、ファッションの世界に進んでいました。テレビ東京の番組『ソロモン流』の人物紹介でも、イブニングドレスへの関心から専門学校に入学し、おすぎを通じてドラマ衣装の制作を依頼されたことが芸能界との接点になったと説明されています。
おすぎも美術を学び、映像や制作に関係する仕事を経験していました。
こうした異なる経験を持つ二人がコンビとして活動を始めたことで、一般的なタレントとは異なる評論家としての個性が生まれました。
1980年代、ピーコのファッションチェックが人気に1980年代に入ると、ピーコの知名度を大きく押し上げたのがファッションチェックです。
TBSの情報番組などで、芸能人や街を歩く一般の人々の服装を取り上げ、着こなしや色の組み合わせ、全体のバランスについて率直にコメントしました。
その代表的な企画が「辛口ピーコのファッションチェック」です。
歯に衣着せぬ評価は時に厳しいものでしたが、単に服装を否定するだけではありません。ファッションの専門知識を背景に、どうすればより魅力的に見えるかを伝える姿勢が支持されました。
TBSの『3時にあいましょう』『スーパーワイド』、フジテレビの『ビッグトゥデイ』『2時のホント』など、放送局をまたいで企画が続いたことも、人気の大きさを示しています。
2000年代、バラエティー番組でも存在感を発揮2000年代には、評論活動に加えてバラエティー番組でも活躍しました。
代表的なのが、フジテレビ系の『森田一義アワー 笑っていいとも!』や『爆笑おすピー問題!』です。
特に『爆笑おすピー問題!』では、二人の名前が番組タイトルにも使われ、兄弟ならではの掛け合いと辛口コメントが番組の特徴になっていました。
単独での評論活動と、二人そろって出演するバラエティー活動を両立していた時代です。
【評論家としての実力】おすぎは映画、ピーコはファッションで活躍
おすぎとピーコが長く芸能界で活躍できた理由の一つは、二人に明確な専門分野があったことです。
テレビでは個性的な話し方や辛口コメントが注目されましたが、活動の土台にはそれぞれの専門知識がありました。
おすぎは映画評論家として独自の存在感おすぎは映画評論家として、映画作品の紹介や評価、監督や出演者の魅力について発信してきました。
映画の面白さを専門家だけに伝えるのではなく、一般の視聴者にも分かりやすい言葉で解説するスタイルが特徴です。
テレビやラジオだけでなく、新聞・雑誌などにも活動の場を広げました。
映画を見た人が感じる感動や疑問を、率直な言葉で表現することが、おすぎの評論家としての持ち味でした。
ピーコは服飾評論家としてファッションを解説ピーコは文化服装学院で学んだ知識を生かし、ファッション評論家として活動しました。
単なる流行の紹介ではなく、着る人に似合う服装や、全身のコーディネートの調和を重視した評論が特徴です。
1989年には悪性黒色腫を患い、左眼の摘出手術を受けました。その後は黄色いレンズの眼鏡がトレードマークとなりましたが、ファッション評論家としての活動を続けました。
さらに、ピーコはシャンソン歌手としても活動しています。2004年にはCDデビューを果たし、音楽の分野にも活動を広げました。
二人の専門性がコンビの強みだった二人の評論活動を比較すると、それぞれの役割が明確だったことが分かります。
- おすぎ:映画作品の魅力や評価を伝える映画評論家
- ピーコ:服装や着こなしを分析するファッション評論家
一人の芸能人が複数の分野を担当するのではなく、異なる専門家が兄弟として同じ番組に出演する構成は、視聴者にとっても分かりやすいものでした。
映画の話題ではおすぎ、ファッションの話題ではピーコという役割分担が、二人のコンビとしての価値を高めていたのです。
【兄弟関係の真相】一卵性双生児でも性格や仕事は同じではなかった
おすぎとピーコは一卵性双生児でしたが、いつも同じ考え方で行動していたわけではありません。
テレビでは息の合った掛け合いを見せる一方、二人にはそれぞれの価値観や仕事へのこだわりがありました。
テレビ東京の2020年放送『チマタの噺』では、ピーコが笑福亭鶴瓶とのトークで、おすぎとの関係について語っています。
ピーコは映画についてはおすぎにかなわないと認める一方、ファッションについては自分の方が詳しいという趣旨の話をしていました。
また、若い頃には兄弟げんかをしたこともあり、仕事が別々になるにつれて、お互いの活動が理解しにくくなった時期もあったと振り返っています。
このエピソードから見えてくるのは、二人が単に仲の良い双子タレントだったわけではないということです。
二人は同じ仕事を続ける必要がなかったおすぎとピーコは、芸能活動を続ける中で、それぞれの専門分野を確立しました。
そのため、活動の中心が別々になることも自然な流れでした。
おすぎは映画評論を中心に活動し、福岡を生活拠点とする時期もありました。一方、ピーコはファッション評論やテレビ出演を続けました。
二人で出演する機会が減っても、専門家としての仕事はそれぞれに存在していたのです。
晩年には同居生活を解消2020年代初期には、二人の生活にも大きな変化が生じました。
スポーツニッポンなどの報道によると、おすぎに認知症の兆候が見られるようになったことをきっかけに、福岡を拠点にしていたおすぎが横浜に戻り、ピーコとの同居生活を始めたとされています。
しかし、二人とも高齢であり、生活を支え合うことには限界がありました。
その後、2022年2月に同居を解消。それぞれ別の環境で生活することになりました。
この出来事は、長年コンビとして活動してきた二人の晩年を考えるうえで、大きな転換点となりました。
【2026年現在】ピーコの死去とおすぎの最新状況
おすぎとピーコの現在を調べる読者にとって、最も重要なのが2024年に公表されたピーコの訃報です。
ピーコは2024年9月3日、神奈川県内の病院で敗血症による多臓器不全のため亡くなりました。享年79歳でした。
訃報が報じられたのは同年10月20日です。葬儀は近親者によって営まれました。
ピーコは2024年9月3日に79歳で死去ピーコは晩年、認知症を患っていたことが報道されています。
スポニチやデイリースポーツの報道によると、2023年6月から高齢者施設で生活しており、2024年8月には入院していました。
長年にわたってテレビで活躍したファッション評論家の訃報は、多くの人に知られることとなりました。
特に、黄色いレンズの眼鏡と歯に衣着せぬファッションチェックは、ピーコを象徴する存在として記憶されています。
おすぎは現在どうしている?弟のおすぎについては、ピーコの訃報が報じられた2024年10月20日、スポニチが関係者への取材をもとに施設で療養していると伝えました。
同報道では、おすぎにも認知症があり、施設で生活していると説明されています。
ただし、これは2024年10月時点の報道です。
2026年11月現在、本人や関係者からの新たな公式発表、あるいは大手報道機関による確かな最新の生活状況は確認できません。現在の居住地や健康状態、日常生活の詳細については公表されていない状況です。
インターネット上には、おすぎの死亡説や現在の姿に関するさまざまな情報がありますが、ピーコの死去とおすぎの近況は分けて考える必要があります。
確認されているのは、ピーコが2024年9月3日に亡くなったことと、おすぎについては同年10月に施設療養中と報じられたことです。
コンビとしての活動は事実上終了二人が一緒にテレビに出演し、掛け合いを見せていた時代は、すでに過去のものとなっています。
1975年のデビューから長年にわたって続いた活動は、ピーコの死去によって大きな節目を迎えました。
ただし、二人が残した評論やテレビでの活動は、現在も過去の番組や記事を通して振り返ることができます。
【おすぎとピーコ】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:おすぎとピーコは本当の双子ですか?
A1:はい。1945年1月18日生まれの一卵性双生児です。ピーコが兄、おすぎが弟にあたります。
Q2:おすぎとピーコの名前を付けたのは誰ですか?
A2:永六輔です。おすぎ本人も対談で、永六輔が二人のコンビ名を付けた恩人であると語っています。なお、ピーコという愛称には会社員時代の職場での呼び名に由来するエピソードがあります。
Q3:おすぎとピーコの芸能界デビューは何年ですか?
A3:1975年です。二人が30歳のときにコンビとしてテレビ・ラジオでの活動を始めました。
Q4:おすぎとピーコはどちらが映画評論家ですか?
A4:おすぎが映画評論家です。ピーコはファッション評論家として知られています。
Q5:ピーコはいつ亡くなりましたか?
A5:2024年9月3日です。敗血症による多臓器不全のため神奈川県内の病院で亡くなりました。79歳でした。
Q6:2026年現在、おすぎはどうしていますか?
A6:2024年10月の報道では施設で療養中と伝えられています。2026年現在の詳しい生活状況については、新たな公式発表や確かな続報が確認できません。
おすぎとピーコは、単に一卵性双生児という珍しさで注目されたタレントではありませんでした。
1975年のデビュー以降、おすぎは映画評論家、ピーコはファッション評論家として、それぞれの専門分野を築き上げました。
永六輔との出会いも二人の活動を語るうえで重要です。名前を付けた人物であるだけでなく、社会に対して率直に発言する姿勢を支えた存在でもありました。
昭和のテレビ文化を代表する「辛口ファッションチェック」、映画への率直な評価、そして『笑っていいとも!』などで見せた独特の掛け合いは、二人ならではの活動の象徴です。
2024年9月3日にピーコが79歳で亡くなったことで、コンビとしての歴史は新たな段階に入りました。弟のおすぎについては、2024年の施設療養報道以降、詳しい近況は公表されていません。
二人の歩みを振り返る際に大切なのは、双子タレントという側面だけでなく、映画とファッションという異なる専門分野で時代に影響を与えた評論家としての功績にも目を向けることです。
おすぎとピーコは、個性を武器に自分たちの専門性を発信し、昭和から平成、令和初期までテレビ文化を彩った兄弟だったのです。
主な参照資料・報道
- 日刊スポーツ「ピーコさん死去、79歳多臓器不全」
- スポニチ「ピーコさん死去 双子の弟おすぎは現在施設で療養中」
- テレビ東京『ソロモン流』ピーコ紹介
- テレビ東京プラス『チマタの噺』2020年12月放送回
- 小学館『サライ』永六輔に関する回顧記事
- デイリースポーツ「ピーコさん死去 おすぎは現在も施設生活」