2026年10月現在、元プロレスラーで「世界の荒鷲」の異名を持つ坂口征二は、84歳を迎えている。1965年の全日本柔道選手権優勝を経てプロレス界に転身し、日本プロレス、新日本プロレスで活躍。現役引退後も新日本プロレスの経営や若手育成に携わり、日本のプロレス史に大きな足跡を残してきた人物だ。
現在の坂口征二は、現役選手としてリングに立つ立場ではないものの、プロレス界との交流を続けている。2026年3月には高橋ヒロムが坂口との面会を報告し、試合を継続的にチェックしている近況が明らかになった。さらに10月には、次男・坂口憲二の新CMを父親が喜んだというエピソードも報じられている。
【2026年最新】坂口征二は現在84歳!近況と元気な姿が話題に

坂口征二は1942年2月17日生まれ。2026年10月31日時点で84歳となっている。福岡県久留米市出身で、柔道家からプロレスラーへ転身し、長年にわたって新日本プロレスを支えてきたレジェンドだ。
現在の様子を知るうえで注目したいのが、2026年に報じられた複数の近況だ。
2026年1月13日には、次男の坂口憲二が自身のコーヒーブランド「THE RISING SUN COFFEE」の公式Instagramストーリーズで、父・征二とオカダ・カズチカとのスリーショットを公開した。
オカダは1月4日の新日本プロレス東京ドーム大会で棚橋弘至の引退試合の相手を務めたが、その大会に坂口征二が姿を見せなかったことを心配し、後日、個人的に訪問したという。
憲二は父親について、元気な姿をファンに伝えてほしいという趣旨のメッセージを紹介。デイリースポーツや日刊スポーツなども、この近況を報じた。
さらに、3月7日には元新日本プロレスの高橋ヒロムが坂口とのツーショットを公開。翌8日のデイリースポーツの記事では、坂口がNJPW WORLDで新日本プロレスの全試合をチェックし、スカパー!でほかの団体の試合も視聴しているという近況が紹介された。
高橋は坂口について「めちゃくちゃお元気でした」と健在ぶりを伝えている。現役を退いても、選手一人ひとりの活躍に目を配っていることがうかがえるエピソードだ。
そして2026年10月15日には、さらに興味深い親子の話題が登場した。次男・憲二が出演するサントリーの新商品「THE DRY」のテレビCMに関するインタビューで、完成したCMを見た父・征二が「おー、いいじゃないか」と喜んでいたことが明かされた。
この話題は共同通信社が配信したサントリーの公式プレスリリースや東スポWEBの報道でも紹介されている。
これらの情報から見えてくるのは、坂口征二が現在もプロレス界とのつながりを持ち、家族との交流も続けているという姿だ。現役時代のようにリングで戦うのではなく、長年築いてきた人間関係やプロレスへの関心を大切にする生活がうかがえる。
【経歴】柔道日本一から「世界の荒鷲」と呼ばれるプロレスラーへ
坂口征二のキャリアを理解するには、プロレスラーになる前の柔道家時代から振り返る必要がある。
福岡県久留米市で生まれた坂口は、南筑高校から明治大学へ進み、旭化成でも柔道に取り組んだ。競技者として頭角を現し、1965年の全日本柔道選手権で優勝。日本を代表する柔道家として注目を集めた。
その後、1967年に日本プロレスへ入門し、競技生活の大きな転換を迎える。
柔道で培った組み技や身体能力を武器に、プロレスラーとして急速に存在感を高めた坂口。大柄な体格と精悍な風貌、豪快なファイトスタイルによって人気選手となり、やがて「世界の荒鷲」と呼ばれるようになった。
特に大きな転機となったのが、1973年4月の新日本プロレスへの移籍だ。
1972年に旗揚げした新日本プロレスは、当初から安定したテレビ中継を確保できていたわけではなかった。坂口が移籍した1973年4月には、NETテレビ(現在のテレビ朝日)で『ワールドプロレスリング』の放送が始まっている。
集客力と知名度を備えた坂口の加入は、旗揚げ間もない新日本にとって大きな意味を持った。ジャイアント馬場、アントニオ猪木らと並び、日本のプロレス界を代表する選手として活躍した。
文部科学省が公表した令和4年度スポーツ功労者の功績概要でも、坂口の北米ヘビー級王座獲得やワールドリーグ戦2度の優勝が紹介されている。また、団体役員として東京ドーム大会やG1 CLIMAXの立ち上げ、海外団体との交流などに貢献したことも評価されている。
坂口の功績は、試合で勝利を重ねたことだけではない。選手としての実績を持ちながら、団体の経営や国際交流にも関わった点が、ほかのレジェンドレスラーとは異なる大きな特徴となっている。
【坂口征二の経歴年表】現役時代から引退後までの主な出来事
坂口征二の歩みを時系列で整理すると、柔道家としての成功、プロレスへの転向、新日本プロレスの経営、後進育成という4つの段階が見えてくる。
| 時期 | 主な出来事 | 意味・実績 |
|---|---|---|
| 1942年2月17日 | 福岡県久留米市に生まれる | 坂口征二の誕生 |
| 1965年 | 全日本柔道選手権で優勝 | 柔道日本一を達成 |
| 1967年 | 日本プロレスに入門 | プロレスラーへ転向 |
| 1973年4月 | 新日本プロレスへ移籍 | 新日本の看板選手として活躍 |
| 1989年 | 新日本プロレス社長に就任 | 団体経営の中心を担う |
| 1990年 | 現役を引退 | 経営・運営面へ活動の軸を移す |
| 1999年6月 | 新日本プロレス社長を退任 | 後進への経営体制の移行 |
| 2005年10月 | 坂口道場を開設 | 柔道・レスリング・総合格闘技の育成に取り組む |
| 2008年 | 坂口道場横浜支部が開業 | 長男・征夫が支部代表を務める |
| 2009年6月 | 狛江の坂口道場が閉鎖 | 横浜の道場は継続 |
| 2024年2月 | 長男・征夫がプロレスを引退 | 親子二代の現役レスラー時代に一区切り |
| 2026年 | 84歳を迎える | プロレス界との交流や試合観戦を継続 |
この年表で特に注目したいのは、1989年の社長就任と1990年の現役引退だ。
坂口は1989年に新日本プロレスの代表取締役社長に就任し、翌1990年には選手としての活動を終えている。Sports Graphic Numberの2022年の対談でも、坂口本人が社長就任と現役引退について振り返っている。
新日本プロレスの公式会社沿革によると、坂口が社長を務めたのは1989年から1999年6月まで。東京ドーム興行やG1 CLIMAXなど、現在まで続く新日本の重要な興行基盤が形成されていく時期に、経営の中心を担った。
つまり坂口征二は、リング上のスターから団体を支える経営者へと役割を変えた人物でもある。
【坂口道場の継承】2005年開設から長男・征夫が運営を担うまで
坂口征二の引退後の活動を語るうえで欠かせないのが、2005年10月に開設された坂口道場だ。
東京都狛江市に誕生した同道場は、柔道、レスリング、総合格闘技などを指導する施設としてスタートした。坂口自身が代表を務め、競技経験を生かして次世代の選手育成に取り組んだ。
開設当初は、柔道だけでなく複数の格闘競技を学べる環境が整えられていた。単にプロレスラーを育てるだけではなく、幅広い格闘技の技術を身につけた人材を育てることも目的だった。
長男・坂口征夫が道場運営に関わるようになったことも重要なポイントだ。
2008年5月には、横浜市都筑区の仲町台駅前に坂口道場横浜支部が開業。日刊スポーツの報道によると、支部代表を務めたのは総合格闘家として活動していた長男の征夫だった。
当時、次男の憲二も狛江道場で小中学生の指導に携わっていた。父親が設立した道場に兄弟が関わり、格闘技の普及や子どもの育成に取り組んでいたのである。
ただし、道場の継承には経緯がある。
2009年6月には、狛江の坂口道場が閉鎖された。一方、スポーツナビの当時の報道では、征夫が主宰する横浜の道場は継続することが伝えられている。
その後、2019年のインタビュー記事「another life.」では、征夫が坂口道場横浜の代表として紹介されている。本人も道場経営と会社経営、格闘技活動を並行していたことを語っている。
したがって、坂口道場の継承は、狛江の施設がそのまま長男に譲渡されたという単純な話ではない。狛江の本部施設は閉鎖されたものの、横浜拠点を長男が代表・運営する形で、父が始めた道場事業の流れを受け継いだと整理するのが実態に近い。
なお、征夫は2024年2月7日のDDT新宿FACE大会を最後にプロレスラーとして引退している。引退後の道場の営業状況や現在の経営体制については、公開された情報だけでは断定できない。
【家族構成】長男・坂口征夫と次男・坂口憲二の現在
坂口征二の家族について、広く知られているのが2人の息子の存在だ。長男が格闘家・元プロレスラーの坂口征夫、次男が俳優・実業家の坂口憲二である。
2人は同じ父親の影響を受けながらも、それぞれ異なる分野でキャリアを築いてきた。
長男・坂口征夫は2024年にプロレスラーを引退
1973年生まれの坂口征夫は、父と同じく格闘技の道を歩んだ人物だ。
2007年4月にパンクラスで総合格闘家としてプロデビュー。2008年の大みそかには格闘技イベント「Dynamite!!」にも出場した。
2012年からプロレスに参戦し、2014年10月にはDDTプロレスリング所属となった。2015年にはKING OF DDTを制覇し、KO-D無差別級王座も獲得。さらにアジアタッグ王座などのタイトルを手にしている。
特に2023年11月には、岡谷英樹とのタッグでアジアタッグ王座を獲得。父・征二が1971年に同王座を獲得していたことから、親子二代での戴冠という記録を残した。
しかし、2024年1月15日の記者会見で引退を発表。同年2月7日のHARASHIMA戦を最後に現役生活を終えた。
DDT公式発表によれば、征夫は体力やモチベーションの低下が理由ではなく、自分なりの引き際を考えたうえで決断したという。父と同じリングに立った経験を持つ長男も、独自の格闘家人生に一区切りをつけた。
次男・坂口憲二は俳優・実業家として活動
次男の坂口憲二は、1999年に俳優としてドラマデビュー。『池袋ウエストゲートパーク』『天体観測』『医龍』シリーズなど、数々のテレビドラマや映画に出演してきた。
2018年には病気の治療に専念するため芸能活動を無期限で休止。その後、コーヒー文化に関心を持ち、2019年にコーヒーブランド「THE RISING SUN COFFEE」を立ち上げ、焙煎士・実業家としても活動するようになった。
2023年には俳優業に復帰し、再び映像作品や広告などへの出演を続けている。
2026年10月にはサントリーの新ブランド「THE DRY」のテレビCMに出演。父・征二の盟友だったアントニオ猪木の「燃える闘魂」を感じさせる演出のなかで、「ダァーー!」という力強い表現を披露した。
共同通信社が配信したサントリーの公式インタビューでは、憲二がCM完成後の父親の反応について説明している。征二は映像を見て「おー、いいじゃないか」と喜んだという。
このエピソードからも、父親と息子の間でプロレスを通じた思い出や価値観が共有されていることがわかる。
なお、坂口家の家族構成については、長男・征夫と次男・憲二という関係が公に紹介されている。妻を含む家庭内の詳細については、広く公開されている情報が限られている。
【引退後の活動】坂口征二が今もプロレス界から尊敬される理由
坂口征二の引退後の活動を考えるとき、単なる元プロレスラーという肩書きだけでは、その存在の大きさを捉えきれない。
1990年に現役を退いた後も、坂口は新日本プロレスの経営や運営に深く関わってきた。1989年から1999年まで社長を務め、その後も会長や最高経営責任者、相談役などの立場で団体を支えた経歴がある。
特に重要なのは、興行を継続するための経営基盤づくりだ。
文部科学省のスポーツ功労者の功績概要では、坂口が1月4日の東京ドーム大会やG1 CLIMAXの立ち上げ、海外プロレス団体との交流戦などに尽力したことが評価されている。
これらは、プロレスを単なる競技や娯楽としてだけでなく、継続的に観客を集める興行文化として発展させる取り組みでもあった。
また、坂口は後進の育成にも力を注いできた。自身が柔道で培った技術や経験を道場で伝え、若い世代が格闘技に取り組める環境を整えた。
2026年3月に高橋ヒロムが明かした、坂口が新日本プロレスの全試合を配信で確認しているというエピソードは、こうした姿勢の延長線上にある。
現役選手の技術や試合内容に目を配り、直接会った選手に言葉をかける。これは、長年にわたって選手、経営者、指導者という複数の立場を経験してきた坂口だからこそできる関わり方だ。
坂口征二の現在の活動を整理すると、次の3点が大きな柱になる。
1.プロレス界との継続的な交流
新日本プロレスを中心に、現役選手や関係者とのつながりを保っている。
2.試合観戦を通じた後進への関心
配信サービスなどを通じて試合を確認し、選手の活躍を見守っている。
3.家族との交流
長男・征夫や次男・憲二の活動を見守り、2026年の憲二のCM出演にも喜びを示した。
こうした活動を見ると、坂口征二はリングから離れてもプロレス界との関係を失っていない。試合をする側から、競技を見守り、次世代を応援する側へと役割を変えたのである。
【坂口征二現在】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:坂口征二は2026年現在何歳ですか?
A1:1942年2月17日生まれの84歳です。2026年10月31日時点で84歳を迎えています。
Q2:坂口征二は現在もプロレスラーとして活動していますか?
A2:選手としての現役活動は1990年に引退しています。ただし、2026年3月には高橋ヒロムが坂口との面会を報告し、新日本プロレスの試合を配信でチェックしている近況も明らかになりました。
Q3:坂口道場は現在も長男の坂口征夫が経営しているのですか?
A3:2008年に開業した横浜支部では征夫が代表を務め、2019年のインタビューでも坂口道場横浜の代表として紹介されていました。ただし、2024年に征夫がプロレスラーを引退しており、2026年現在の道場の営業状況や経営体制については公表情報だけでは確認できません。
坂口征二は2026年現在84歳。柔道日本一からプロレスラーへ転身し、「世界の荒鷲」として日本のプロレス界を代表する存在となった。
1989年の新日本プロレス社長就任、1990年の現役引退、2005年の坂口道場開設と、その歩みは選手としての成功だけにとどまらない。経営者として興行の発展を支え、指導者として後進の育成にも取り組んできた。
坂口道場については、狛江の本部施設が2009年に閉鎖された一方、長男・征夫が横浜支部の運営を担った経緯がある。征夫は2024年にプロレスラーを引退し、次男・憲二は俳優・実業家として独自の道を歩んでいる。
2026年には高橋ヒロムとの交流や、次男のCMを父親が喜んだエピソードも伝えられた。リングに立つことはなくなっても、プロレスへの関心と家族とのつながりは続いている。
坂口征二の人生を振り返ると、柔道家、プロレスラー、経営者、指導者という複数の顔が一つにつながっていることがわかる。「世界の荒鷲」が築いた功績は、現在の新日本プロレスや次世代の選手たちにも受け継がれている。
今後も注目したいのは、本人の新たな活動だけではなく、坂口家の息子たちがそれぞれの分野でどのような歩みを続けていくかという点だ。84歳となった現在も、坂口征二は昭和・平成・令和をつなぐプロレス界の重要なレジェンドであり続けている。
主な参照資料:文部科学省、新日本プロレス公式会社沿革、Sports Graphic Number、日刊スポーツ、スポーツナビ、DDTプロレスリング公式発表、デイリースポーツ、ENCOUNT、共同通信社・サントリー公式インタビュー、東スポWEB。