2026年現在、福井県知事を務めているのは、2026年1月28日に就任した石田嵩人(いしだ・たかと)です。福井県の歴代知事を調べると、官選知事が39代38人、公選知事が21代8人という数字が登場します。しかし、この数字には現在の知事制度が始まる以前の県令・参事、さらには足羽県県令も含まれており、単純に歴代の知事だけを数えたものではありません。
福井県の行政史をたどると、1871年の廃藩置県から、足羽県の成立、福井県の再設置、官選知事から公選知事への転換という大きな変化が見えてきます。歴代の人物と就任時期を整理しながら、2026年現在の知事、官選と公選の違い、歴代一覧の数え方まで解説します。
【2026年最新】福井県知事の現在は石田嵩人!プロフィールと経歴

2026年10月現在の福井県知事は、石田嵩人です。2026年1月25日に実施された福井県知事選挙で初当選し、同月28日に就任しました。全国知事会の歴代公選知事名簿にも、福井県の21人目の公選任期を担う知事として掲載されています。
石田知事は1990年2月5日生まれ、福井市出身です。北陸高等学校を卒業後、米国パシフィック大学、関西外国語大学国際言語学部で学びました。
2015年に外務省へ入省し、北米局北米第二課、在アメリカ合衆国日本国大使館、在ザンビア日本国大使館、在メルボルン日本国総領事館などで勤務しました。その後、外務省の各部局を経て、2025年12月には内閣府大臣官房企画調整課に所属しています。同月、政策研究大学院大学の博士課程を修了しました。
外務省での海外勤務や国際政策に関する経験を持つ点は、歴代知事の経歴を比較するうえでも特徴的です。
福井県知事選挙の開票結果は次のとおりです。
- 石田嵩人:134,620票
- 山田賢一:130,290票
- 金元幸枝:15,735票
石田氏と山田氏の得票差は4,330票でした。選挙管理委員会が公表した確定開票結果にも、この得票数が記録されています。
石田知事は就任後、北陸新幹線の全線開業や人口減少対策、原子力行政、産業・観光振興、農林水産業の発展などを県政の課題として挙げています。福井県の公式プロフィールと知事メッセージでは、県民目線の政策づくりや、世代をつなぐ地域づくりへの姿勢が示されています。
【歴史と経緯】福井県令・参事・足羽県県令から始まった県政
福井県知事の歴史を正確に理解するには、現在の福井県が成立するまでの行政区画の変遷を知る必要があります。
1871年(明治4年)7月の廃藩置県後、現在の福井県に当たる地域には、福井県や敦賀県をはじめとする複数の行政区画が関係していました。同年11月20日には、越前国の一部を管轄する福井県が設置され、村田氏寿が初代の福井県参事に就任しました。
その後、1871年12月20日に福井県は足羽県へと改称され、村田氏寿は足羽県令となります。1873年1月14日には足羽県が敦賀県に合併され、独立した行政区画としての足羽県は廃止されました。
さらに1876年には敦賀県も廃止され、嶺北地域は石川県、嶺南地域は滋賀県に編入されました。現在の福井県の地域が、同じ行政区画にまとまっていたわけではありません。
この状況が変わったのが1881年(明治14年)です。2月7日、政府は福井県の再設置を布告しました。県庁は足羽郡福井に置かれ、石黒務が初代の福井県令として任命されます。
福井県史によれば、石黒は1881年3月に福井へ着任し、県政の基盤整備を進めました。福井県の再設置によって、嶺北と嶺南を含む県域が再び一つの行政単位としてまとまりました。
ここで押さえておきたいのが、県令と知事の違いです。県令は明治初期の地方行政における県の長官の呼称で、1886年7月19日の地方官制の改正に伴い、知事という名称に変わりました。
つまり、福井県知事の歴史を1886年から始めるだけでは、福井県参事や足羽県令が担った初期の行政の歴史を見落としてしまいます。
【歴代一覧を比較】官選39代38人・公選21代8人の掲載範囲
福井県の歴代知事一覧で特徴的なのが、官選39代38人、公選21代8人という集計です。
この数字は、知事という肩書だけで人物を数えたものではありません。初期の県行政を担った参事や県令も含めて、福井県の歴代行政責任者を整理したものです。
特に初期の村田氏寿は、福井県参事と足羽県令という異なる役職を務めています。役職や行政区画の変化を反映した歴代一覧では、就任した代数と実際の人物数が一致しない場合があります。
時代ごとの区分を整理すると、次のようになります。
| 時代・区分 | 役職・制度 | 主な人物・特徴 |
|---|---|---|
| 1871年11月 | 福井県参事 | 村田氏寿が初代参事に就任 |
| 1871年12月〜1873年 | 足羽県令 | 村田氏寿が県令を務め、後に敦賀県へ合併 |
| 1881年〜1886年 | 福井県令 | 福井県が再設置され、石黒務が就任 |
| 1886年〜1947年 | 官選知事 | 中央政府が任命。歴代一覧では39代38人と整理 |
| 1947年〜2026年 | 公選知事 | 住民による直接選挙。21代8人と整理 |
官選の39代38人という数字を理解する際には、1886年以降の知事だけでなく、その前段階の県令・参事まで掲載範囲に含まれている点が重要です。
一方、1947年以降の公選知事は、全国知事会の公式名簿によって就任期間を確認できます。こちらは選挙による再任も別の任期として掲載されているため、21代という数字と8人という人物数が異なります。
福井県の統計資料にも「福井県の歴代知事」という記録があり、1881年の再設置後からの就任・退任年月日が整理されています。初期の行政区画の変遷と、近代的な県知事の記録を組み合わせて見ることが、正確な歴代一覧の理解につながります。
【官選と公選の違い】福井県知事の選び方はどう変わった?
官選知事と公選知事の最大の違いは、知事を誰が選ぶのかという点です。
官選知事は、中央政府が任命する地方行政の責任者でした。一方、公選知事は、県民が選挙で直接選ぶ地方自治体の代表者です。
この違いは単なる選出方法の変更ではありません。地方行政の意思決定と住民参加の仕組みそのものが変わったことを意味しています。
官選知事:中央政府による任命制戦前の都道府県知事は、中央政府から任命される官吏でした。内務省を中心とした中央官庁の人事や行政方針が、地方の行政運営に強く反映される仕組みです。
知事は地方行政の責任者であると同時に、国の政策を地域で実施する役割を担っていました。
福井県でも、石黒務をはじめとする歴代の官選知事が中央政府の任命によって就任しています。官僚としての経験や行政組織内での経歴を持つ人物が多かったことも、この制度の特徴です。
公選知事:県民による直接選挙転換点となったのは1947年です。日本国憲法の地方自治の考え方を具体化する地方自治法が制定され、都道府県知事は住民の直接選挙で選ばれる制度へ移行しました。
福井県では、小幡治和が1947年4月16日に初の公選知事として就任しています。
公選制では、県民が選挙を通じて知事を選び、政策や県政運営に対して意思を示せます。知事は選挙で示された民意を背景に県政を運営し、次の選挙で改めて審判を受けます。
また、戦後の地方自治制度では、県議会の役割も強化されました。知事と県議会がそれぞれの権限を持ち、予算や条例などをめぐって県政を進める仕組みが整えられています。
官選と公選の違いをまとめると、次のようになります。
- 選出方法:官選は中央政府による任命、公選は県民による直接選挙。
- 行政上の位置づけ:官選は国の地方行政機構の一員、公選は地方自治体の長。
- 政治的な基盤:官選は中央政府の任命、公選は選挙による住民の信任。
- 制度の転換:1947年の地方自治制度改革が大きな節目。
なお、1886年に県令から知事へ名称が変わったことと、1947年に官選から公選へ変わったことは、別々の制度上の出来事です。名称変更だけで知事が選挙で選ばれるようになったわけではありません。
【公選知事の歴代】福井県を率いた8人と21代の内訳
1947年以降の公選知事は、2026年現在までに8人です。全国知事会の歴代公選知事名簿を基に、人物と就任した任期の数を整理すると、次のようになります。
- 小幡治和:2期。1947年に初の公選知事として就任。
- 羽根盛一:1期。1955年に就任。
- 北栄造:2期。1959年に就任。
- 中川平太夫:5期。1967年から1987年まで県政を担当。
- 栗田幸雄:4期。1987年から2003年まで県政を担当。
- 西川一誠:4期。2003年から2019年まで県政を担当。
- 杉本達治:2期。2019年に初当選し、2025年12月に辞職。
- 石田嵩人:1期。2026年1月28日に就任した現職。
この内訳を合計すると、2+1+2+5+4+4+2+1で21期となります。つまり、21代8人という表記は、21人の知事がいたという意味ではありません。
同じ人物が選挙で再選されると、新しい任期として数えられます。そのため、人物数は8人でも、任期の合計は21になります。
最多の5期を務めた中川平太夫公選知事の歴代で特に長い在任期間を持つのが、中川平太夫です。1967年から1987年まで5期にわたって知事を務めました。
次いで栗田幸雄と西川一誠が、それぞれ4期を担当しています。栗田は1987年から2003年、西川は2003年から2019年まで県政を担いました。
この3人の在任期間を比較すると、福井県では長期にわたって同じ知事が県政を担った時代があったことが分かります。
一方、2019年以降は杉本達治、石田嵩人へと知事が交代しています。特に2026年の選挙では、新人3人が立候補し、石田氏が初当選しました。
歴代知事を比較する際には、単純な人物数だけでなく、在任期間、再選回数、就任時代の行政課題を合わせて確認することが大切です。
【制度の変遷】歴代知事一覧で間違えやすい3つのポイント
福井県知事の歴史を調べる際には、数字や役職名の違いから誤解が生じやすい部分があります。特に注意したいのは、次の3点です。
1. 県令と知事は同じ名称ではない県令は、明治初期に県の行政を担当した長官の名称です。1886年の地方官制改正によって知事という呼称に変わりました。
したがって、1871年の福井県参事や足羽県令を、1886年以降の知事と完全に同じ制度上の役職として扱うのは正確ではありません。歴代一覧では行政責任者として連続性を持たせて整理されていますが、時代ごとの法制度は異なります。
2. 39代38人は39人という意味ではない39代38人という数字は、代数と人物数を分けた表現です。初期の村田氏寿のように、行政区画の改称に伴って役職名が変わった人物もいます。
また、福井県の歴代知事を扱う資料によって、掲載開始時期が異なることにも注意が必要です。1881年の福井県再設置以降を対象とする統計資料と、1871年の参事や足羽県令まで含める歴代一覧では、掲載範囲が一致しません。
3. 21代8人は21人の知事がいたという意味ではない公選知事の21代は、就任した任期の数です。同じ知事が複数回当選すれば、その回数だけ任期が積み重なります。
中川平太夫の5期、栗田幸雄と西川一誠の各4期が、その典型例です。人物数と任期数を区別すれば、歴代一覧の数字に矛盾がないことが分かります。
歴代知事を調べるときは、次の順番で資料を確認すると整理しやすくなります。
- 県令・参事を含む初期の行政責任者を確認する。
- 1881年の福井県再設置と1886年の知事への名称変更を区別する。
- 1947年以降の公選知事は、全国知事会の就任期間と期数で照合する。
- 人物数と任期数を分けて比較する。
このように、行政区画の成立、役職名の変化、選挙制度の導入という3つの視点を持つことで、福井県知事の歴代一覧を正確に読み取れます。
【福井県知事】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:2026年現在の福井県知事は誰ですか?
A1:2026年10月現在の福井県知事は石田嵩人です。2026年1月25日の知事選挙で初当選し、1月28日に就任しました。
Q2:福井県知事の歴代は全部で何人ですか?
A2:歴代一覧の区分では、官選が39代38人、公選が21代8人です。ただし、官選側には福井県参事、足羽県県令、福井県令なども含まれます。官選と公選では集計の区分を分けて理解する必要があります。
Q3:官選知事と公選知事の違いは何ですか?
A3:官選知事は中央政府から任命される仕組みで、公選知事は県民が直接選挙で選ぶ仕組みです。1947年の地方自治制度改革によって、都道府県知事は公選制へ移行しました。
Q4:福井県の初代知事は誰ですか?
A4:制度や掲載範囲によって答えが異なります。初期の福井県参事としては村田氏寿、1881年に再設置された福井県の県令としては石黒務が挙げられます。初代公選知事は小幡治和です。
Q5:福井県で最も長く知事を務めた公選知事は誰ですか?
A5:中川平太夫です。1967年から1987年まで5期にわたって知事を務めました。
福井県知事の歴史は、1871年の廃藩置県後に設置された福井県参事や足羽県県令から始まり、1881年の福井県再設置、1886年の県令から知事への名称変更、1947年の公選制への移行という流れで整理できます。
歴代一覧の集計では、官選が39代38人、公選が21代8人です。特に公選知事は、8人が合計21期を担当してきたという点が重要です。
2026年現在は石田嵩人が現職を務めています。外務省での経験を持つ新しい知事のもと、福井県政は次の段階に入っています。
歴代知事を調べる際には、単に名前を並べるだけでなく、県令・参事・知事という役職の違い、官選・公選という選出制度の違い、そして人物数と任期数の違いを押さえることが大切です。これらを区別すれば、福井県の行政史と歴代知事の位置づけを、より正確に理解できます。
主な確認資料: 福井県公式「知事プロフィール」「福井県史」通史編5、福井県統計資料「福井県の歴代知事」、全国知事会「歴代公選知事名簿」、国立公文書館「地方自治法が制定される」、JACAR「都道府県知事」。