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樹木希林の死因は乳がんの全身転移|発覚から最期、2018年の発表経緯まで徹底解説

胡桃沢 奏 胡桃沢 奏 • 更新: • 公開: • 読了約 15 分
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女優・樹木希林さんの死因は、乳がんが全身に転移したことによるものでした。2018年9月15日、75歳で亡くなった樹木さん。死去直後の報道では詳しい死因が明らかにされていませんでしたが、同月30日に営まれた葬儀で、関係者が「乳がんが原因の全身転移」と説明しました。

樹木さんは2004年に乳がんが発覚し、2005年1月には右乳房の全摘出手術を受けています。その後も再発や転移と向き合い、2013年には日本アカデミー賞の授賞式で自ら全身がんであることを公表しました。長期間にわたって治療を続けながら、映画やテレビへの出演を続けたことでも知られています。

【死因の真相】樹木希林は乳がんの全身転移によって亡くなった

樹木希林死因

樹木希林さんの直接的な死因として関係者が明らかにしたのは、乳がんが原因の全身転移です。

2018年9月15日に亡くなった樹木さんについて、翌16日に訃報が報じられました。しかし、当初の報道では詳しい死因は不明とされていました。長年にわたって全身がんを公表していたことは知られていたものの、亡くなった時点で死因の詳細は公表されていなかったためです。

状況が明らかになったのは、2018年9月30日。東京都港区南麻布の光林寺で営まれた葬儀において、関係者が死因について「乳がんが原因の全身転移」と説明しました。

この説明によって、2004年の乳がん発覚から続いていた長い闘病と、2013年に本人が明かした全身がんとのつながりが改めて注目されました。

つまり、樹木さんの死因は単に「がん」とだけ説明されるものではなく、最初に発症した乳がんが身体の複数の部位に転移し、その病気が最終的に命に関わったという経緯です。

なお、9月30日の説明は葬儀で関係者から明らかにされたものです。死亡直後の報道と葬儀当日の説明を区別することで、死因をめぐる情報がどのように公になったのかが分かります。

【闘病の始まり】2004年の乳がん発覚から2005年の右乳房全摘出まで

樹木希林さんが乳がんと診断されたのは2004年10月です。右胸にしこりを感じて病院を訪れ、自ら医師にがんではないかと尋ねたことが、本人のインタビューで語られています。

当時の診察では、医師は最初、がんではない可能性を伝えたといいます。しかし、樹木さんは自分の身体の異変を感じており、検査を受けた結果、乳がんと判明しました。

その後、2005年1月に右乳房の全摘出手術を受けます。手術を決断するまでのやり取りについても、後年のインタビューで本人が振り返っています。

樹木さんは手術後も仕事を続けましたが、病気との付き合いは終わりませんでした。2007年には再発が確認され、リンパ節などへの転移が判明。その後も放射線治療を受けるなど、長い治療生活が続きます。

2013年に報じられた主治医の説明によると、がんはリンパ節だけでなく、骨や副腎などを含む全身13カ所に転移していたとされています。2008年と2010年には、放射線を用いた治療も受けていました。

2018年の朝日新聞のインタビューでは、樹木さん自身が、がんと付き合って約13年になり、それまでに30カ所の治療を受けてきたと語っています。この「30カ所」は治療を受けた部位についての本人の説明であり、転移したがんの数が30カ所だったという意味ではありません。

【闘病年表】樹木希林の乳がん発覚から死去までの経緯

樹木希林さんの闘病生活は、2004年の乳がん発覚から2018年の死去まで、およそ14年間に及びました。本人のインタビュー、主治医の説明、当時の報道を整理すると、次のようになります。

時期 出来事 詳細・背景
2004年10月 乳がん発覚 右乳房のしこりをきっかけに検査を受け、乳がんと判明。
2005年1月 右乳房全摘出 乳がんの手術を受け、右乳房を全摘出。
2007年 がんの再発 主治医の説明によると、リンパ節などへの転移が確認された。
2008年 放射線治療 ピンポイント照射による治療を受けた。
2010年 追加の治療 再び放射線を用いた治療を受けた。
2013年3月 全身がんを公表 日本アカデミー賞授賞式で、自身が全身がんであることを明かした。
2013年11月 転移の状況を説明 副腎などへの転移や治療についてテレビ番組で語った。
2018年8月13日 左大腿骨骨折 骨折して入院。8月15日に手術を受けた。
2018年9月14日 自宅へ戻る 本人の希望により、家族の付き添いで自宅に戻った。
2018年9月15日 死去 午前2時45分、東京都内の自宅で家族に看取られ、75歳で亡くなった。
2018年9月30日 葬儀で死因が明らかに 関係者が乳がんによる全身転移と説明した。

この年表で注目したいのは、2013年に全身がんを公表してから亡くなるまで約5年半の時間があったことです。

樹木さんは、全身がんを公表した後も俳優として活動を続けました。2015年公開の映画『あん』や、2018年公開の『万引き家族』など、晩年まで映画出演を重ねています。

病気の公表と仕事の継続が両立していたことから、外見やテレビ出演時の様子だけでは、実際の病状を判断できなかったことも分かります。

【全身がんとは】2013年の公表と乳がんの転移を正しく理解する

樹木希林さんの闘病について調べる際、よく目にするのが「全身がん」という言葉です。

2013年3月8日、樹木さんは日本アカデミー賞の授賞式で、自身が全身がんであることを公表しました。最優秀主演女優賞を受賞した際の発言が大きな話題となり、長年にわたって病気と付き合っていたことが広く知られるようになりました。

ただし、「全身がん」は医学的な正式病名ではありません。樹木さんが自身の病状を説明する際に用いた表現として理解する必要があります。

国立がん研究センターのがん情報サービスによると、転移とは、最初に発生したがんの細胞が血管やリンパ管などを通じて別の場所へ移動し、そこで増殖することです。乳がんの場合、骨や肺、肝臓、脳などに遠隔転移することがあります。

そのため、乳がんが別の臓器に転移した場合も、転移先で新たに発生した別種類のがんという意味ではありません。基本的には、乳がんから転移したがんとして扱われます。

樹木さんの場合も、最初に発症した乳がんを起点とする転移が、全身がんという本人の表現につながっていました。

2013年のテレビ番組で本人が語った内容によると、乳房を切除した後、皮膚への転移が見つかり、治療後にも複数の部位で転移が確認されたといいます。副腎への転移についても説明しており、放射線による治療を続けていました。

また、2013年3月14日には、主治医がテレビ朝日系の番組取材に応じ、転移が全身13カ所に及んでいたことを明らかにしています。

一方、2018年の朝日新聞のインタビューで本人が話した「30カ所の治療」と、主治医が説明した「13カ所の転移」は、異なる内容の数字です。両者を混同しないことが、闘病歴を正確に理解するうえで大切です。

なお、がんの転移があっても、治療内容や身体の状態は患者によって異なります。樹木さんが受けた治療や生活上の選択を、すべての乳がん患者に当てはまる方法として捉えることはできません。

【最期の経緯】左大腿骨骨折から自宅で家族に看取られるまで

樹木希林さんが亡くなる約1カ月前の2018年8月13日、左大腿骨を骨折しました。

8月15日に手術を受け、その後は入院してリハビリを続けていました。8月30日には、娘婿の本木雅弘さんがイベントで樹木さんの近況について説明し、一時は危篤状態に近い状況になったことを明かしています。

本木さんによると、樹木さんは以前から気管支が弱く、がんの影響もあって肺の状態にも不安があったといいます。意識がはっきりしている一方で、声が出にくいこともあったと報じられました。

その後、樹木さんは亡くなる前日の9月14日、本人の希望によって自宅へ戻りました。長女の内田也哉子さんが付き添い、家族と過ごせる環境に戻ったと日刊スポーツが報じています。

そして、2018年9月15日午前2時45分、東京都内の自宅で息を引き取りました。享年75歳。最期は家族に看取られての旅立ちでした。

この最期には、以前から樹木さんが語っていた希望も重なります。

2013年11月、フジテレビ系『ノンストップ!』の取材では、病院よりも自宅で最期を迎えたいという考えを明かしていました。また、孫の声が聞こえる場所で過ごしたいという思いも語っています。

自宅で家族に見守られながら亡くなったという経緯は、本人が以前から考えていた最期の迎え方と重なるものでした。

なお、左大腿骨の骨折については、後年、親交のあった浅田美代子さんがテレビ朝日のインタビューで、がんの骨転移によって骨が弱くなっていたことが関係していたと説明しています。単なる事故としてだけではなく、長期にわたる病気との関係も報じられました。

【人物プロフィール】本名・内田啓子と旧芸名・悠木千帆、家族との関係

樹木希林さんは、1943年1月15日生まれ。東京都出身の女優で、本名は内田啓子(うちだ・けいこ)です。旧姓は中谷で、芸能活動の初期には悠木千帆(ゆうき・ちほ)という芸名を使用していました。

1961年に文学座付属演劇研究所へ入所し、女優としての活動を開始。テレビドラマ『時間ですよ』『寺内貫太郎一家』などで独特の存在感を発揮し、幅広い世代に知られるようになりました。

1977年には芸名を樹木希林に変更。その後もテレビドラマや映画、CMなどで活躍し、名脇役として日本映画界に欠かせない存在となりました。

晩年の代表作には『歩いても 歩いても』『あん』『日日是好日』『万引き家族』などがあります。病気を公表した後も作品への出演を続け、2018年には『万引き家族』での演技も高く評価されました。

家族については、1973年にロックミュージシャンの内田裕也さんと再婚し、長女の内田也哉子さんをもうけています。内田裕也さんとは長年別居生活を続けていましたが、夫婦関係は継続していました。

内田也哉子さんはエッセイストとして活動し、俳優の本木雅弘さんと結婚しています。樹木さんにとって本木さんは娘婿にあたります。

また、2018年9月の訃報や葬儀の報道では、内田也哉子さんや本木雅弘さんら家族が、最期まで樹木さんを見守っていたことが伝えられました。

本名の内田啓子、旧芸名の悠木千帆、そして樹木希林という名前の変遷を知ることで、長い芸能生活と一人の女性としての歩みを理解する手がかりになります。

【樹木希林死因】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:樹木希林の死因は何ですか?
A1:乳がんが原因の全身転移です。2018年9月30日に東京都港区の光林寺で営まれた葬儀で、関係者が死因を明らかにしました。

Q2:樹木希林の乳がんはいつ発覚しましたか?
A2:2004年10月です。右乳房のしこりをきっかけに検査を受けて乳がんと判明し、2005年1月には右乳房の全摘出手術を受けました。

Q3:樹木希林が全身がんを公表したのはいつですか?
A3:2013年3月8日の日本アカデミー賞授賞式です。自身が全身がんであることを明かし、長年にわたる闘病が広く知られるようになりました。

Q4:樹木希林は何歳で亡くなりましたか?
A4:75歳です。1943年1月15日生まれで、2018年9月15日に亡くなりました。

Q5:樹木希林はどこで亡くなりましたか?
A5:東京都内の自宅です。2018年9月15日午前2時45分、家族に看取られながら亡くなりました。亡くなる前日の9月14日に、本人の希望で自宅へ戻っていました。

Q6:樹木希林の左大腿骨骨折とがんには関係がありましたか?
A6:後年の浅田美代子さんの証言では、がんの骨転移によって骨が弱くなっていたことが骨折に関係していたとされています。2018年8月13日に骨折し、15日に手術を受けました。

樹木希林さんの死因は、乳がんが原因の全身転移でした。2004年10月の乳がん発覚、2005年1月の右乳房全摘出、2007年の再発と転移、2013年の全身がん公表を経て、約14年間にわたって病気と向き合っていました。

2018年8月には左大腿骨を骨折して入院しましたが、9月14日に本人の希望で自宅へ戻り、翌15日午前2時45分に家族に看取られながら75歳で亡くなりました。

死去直後は詳しい死因が公表されていませんでしたが、9月30日の葬儀で関係者が乳がんによる全身転移と説明したことで、病気の経緯と最期の状況が明らかになりました。

樹木さんの闘病歴を理解する際には、2004年の発覚と2005年の手術を区別すること、「全身がん」は本人が用いた表現であること、そして2018年9月15日の訃報と9月30日の死因説明を混同しないことが大切です。

病気を公表した後も映画やテレビへの出演を続け、最後まで俳優として存在感を示した樹木希林さん。その人生は、数々の作品とともに、今も多くの人々の記憶に残っています。

主な事実確認資料: 朝日新聞デジタルの2018年インタビュー、日刊スポーツの2018年9月16日・17日・30日付報道、デイリースポーツの2013年3月14日付主治医取材、テレビ朝日ニュース、国立がん研究センター「がん情報サービス」。

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コンテンツディレクター 胡桃沢 奏
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