丸山桂里奈さんの現役時代といえば、2011年FIFA女子ワールドカップ準々決勝のドイツ戦で決めた劇的な決勝ゴールを思い浮かべる人も多いでしょう。なでしこジャパンの一員として世界一を経験し、アテネ・北京・ロンドンと3大会連続でオリンピックに出場した丸山さんは、日本女子サッカーの歴史に名を残したフォワードです。
しかし、その華やかな実績の裏には、右ひざの前十字靭帯損傷、長期間のリハビリ、海外クラブへの移籍、そして2016年の現役引退という転機がありました。2026年現在はタレントとしてテレビ番組などで活躍していますが、現役時代のプレーや所属チーム、代表成績を振り返ると、現在の明るいキャラクターとはまた違ったアスリートとしての一面が見えてきます。
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> - 現役時代のポジション: 主にフォワードとしてプレーし、スピードと裏への抜け出しを武器に活躍。
> - 代表での実績: なでしこジャパンとして2011年女子W杯優勝、2012年ロンドン五輪銀メダルを獲得。
> - 最大の転機: ドイツ戦の決勝ゴール、前十字靭帯損傷からの復帰を経て、2016年シーズン限りで現役を引退。
【現役時代の原点】丸山桂里奈のポジションはフォワード!若い頃からのプレースタイル

丸山桂里奈さんは、1983年3月26日生まれ、東京都出身の元女子サッカー日本代表選手です。日本体育大学でサッカーに取り組み、2002年に女子日本代表へ初選出されました。
現役時代の主なポジションはFW(フォワード)です。
日本体育大学のロンドン五輪選手紹介では、丸山さんの特徴として、相手守備陣の背後へ抜け出す動きと縦方向へのスピードが挙げられています。
特に、相手ディフェンスの裏を狙う動きや、途中出場から攻撃の流れを変えるプレーが持ち味でした。2011年女子W杯のドイツ戦で見せた得点シーンにも、こうした攻撃的な特徴が表れています。
また、プロフィールによってはボランチとしての経験も紹介されていますが、国際大会や代表選手としての主な登録ポジションはフォワードです。
若い頃から競技に打ち込み、2005年にはLリーグ(現在のなでしこリーグ)で新人王を獲得。日本代表としての実績だけでなく、国内リーグでも評価された選手でした。
丸山さんのプレースタイルを理解するうえで重要なのは、必ずしも長時間ピッチに立つことだけを役割としていなかった点です。スピードを生かして相手の守備ラインを崩す能力は、試合途中から投入される選手としても大きな武器になりました。
【所属チームの歴代】TEPCOマリーゼからアメリカ、千葉、大阪高槻へ
丸山桂里奈さんのサッカー経歴を振り返ると、国内だけでなくアメリカのクラブでもプレーした経験があることが分かります。
所属事務所ホリプロの公式プロフィールには、主な所属チームと在籍期間が掲載されています。
丸山桂里奈の所属チーム年表| 時期 | 所属チーム | 主な経歴 |
|---|---|---|
| 2005~2009年 | TEPCOマリーゼ | 国内リーグで活躍。2005年新人王 |
| 2010年 | フィラデルフィア・インデペンデンス | アメリカ女子サッカーに挑戦 |
| 2010~2011年 | ジェフユナイテッド市原・千葉レディース | 国内リーグに復帰 |
| 2012~2016年 | スペランツァFC大阪高槻 | ロンドン五輪出場を経て現役生活を継続 |
2005年、丸山さんは日本体育大学から東京電力に入社し、TEPCOマリーゼに加入しました。
この時期は、選手としての基礎を固め、国内リーグで実績を積み上げた重要な時期です。同年にはLリーグ新人王を受賞しています。
フィラデルフィア・インデペンデンス時代2010年にはアメリカのフィラデルフィア・インデペンデンスへ移籍しました。
日本とは異なる環境でプレーした経験は、丸山さんのキャリアにおける大きな挑戦でした。日本体育大学の選手紹介によれば、同クラブでは4試合に出場しています。
その後、ジェフユナイテッド市原・千葉レディースへ移籍し、日本でのプレーを再開しました。
スペランツァFC大阪高槻時代2012年からはスペランツァFC大阪高槻に所属します。
このクラブは2016年シーズンから「コノミヤ・スペランツァ大阪高槻」という名称で活動しました。
前十字靭帯損傷からの復帰、ロンドン五輪出場、そして現役引退までを過ごした、丸山さんにとって重要な所属先です。
【なでしこジャパン代表歴】アテネ・北京・ロンドン五輪とW杯優勝の実績
丸山桂里奈さんの代表デビューは2002年です。
所属事務所の公式プロフィールによると、同年10月2日の第14回アジア競技大会、北朝鮮戦でなでしこジャパンの代表デビューを果たしました。
その後、女子ワールドカップとオリンピックという国際舞台で経験を重ねていきます。
主な日本代表・国際大会の実績- 2002年: 第14回アジア競技大会で代表デビュー
- 2003年: 第4回FIFA女子ワールドカップ出場
- 2004年: アテネオリンピック出場
- 2008年: 北京オリンピック出場
- 2011年: FIFA女子ワールドカップ・ドイツ大会優勝
- 2012年: ロンドンオリンピック銀メダル
特に注目したいのは、3大会連続のオリンピック出場です。
アテネ大会では7位、北京大会では4位、ロンドン大会では銀メダルを獲得しました。日本オリンピック委員会(JOC)の大会記録にも、3大会への出場とロンドン大会の銀メダルが記録されています。
国際Aマッチの出場数は70試合?79試合?丸山さんの代表成績について調べると、70試合14得点と79試合14得点という2種類の数字が見つかります。
これは、掲載時期による違いを理解すると整理できます。
日本体育大学のロンドン五輪選手紹介には、国際Aマッチ通算70試合14得点と記載されています。一方、2016年の引退時に報じられたデイリースポーツなどの記事では、最終的な代表通算成績として79試合14得点が紹介されています。
したがって、現役引退時点の代表通算成績は79試合14得点と整理するのが適切です。
14得点という数字も、代表選手として長年プレーした実績を示しています。
2011年のドイツ戦だけでなく、2002年から積み重ねてきた代表活動全体が、丸山さんのサッカー人生を形作りました。
【2011年女子W杯ドイツ戦の決勝ゴール】丸山桂里奈が歴史を変えた108分
丸山桂里奈さんの現役時代を語るうえで、最も象徴的な試合が2011年7月9日のFIFA女子ワールドカップ準々決勝、日本対ドイツ戦です。
この試合はドイツ開催で、ドイツは大会連覇を狙う強豪でした。さらに地元開催ということもあり、日本にとって厳しい試合が予想されていました。
試合は90分間で決着がつかず、延長戦へ突入します。
ゴールまでの流れ丸山さんは後半開始時に大野忍選手ではなく、正確にはFW永里優季選手との交代でピッチに入りました。
そして延長後半の108分、試合を決める瞬間が訪れます。
澤穂希選手からパスを受けた丸山さんは、ゴール方向へ持ち込み、相手ゴールキーパーの位置を確認。最後はゴールの逆サイドを狙ったシュートを決めました。
試合結果は日本1-0ドイツ。
丸山さんのゴールが、そのまま日本の勝利を決定づけました。
FIFAが2021年に公開した本人の振り返り記事でも、この場面について詳しく紹介されています。
丸山さんは、ボールを運びながらゴールキーパーを見て、普段ならニアサイドを狙うところを、その瞬間の判断でファーサイドに打ったと振り返っています。
この証言からも、偶然ボールがゴールに入ったのではなく、相手の位置を確認したうえで選択したシュートだったことが分かります。
決勝ゴールの真相で知っておきたい3つの事実- ゴールを決めたのは2011年7月9日の準々決勝。
- 得点時間は延長後半108分。
- 澤穂希選手のパスを受け、丸山さんが自らシュートを決めた。
ここで注意したいのは、「決勝ゴール」という言葉の意味です。
この得点は大会の決勝戦で決めたゴールではありません。ドイツとの準々決勝を決着させた決勝点です。
日本はこの勝利で準決勝へ進み、スウェーデンを3-1で破って決勝進出。決勝ではアメリカと2-2で引き分け、PK戦を制して初優勝を果たしました。
JFAの大会記録にも、ドイツ戦の108分に丸山さんが得点したこと、そして日本が2011年大会を制したことが記録されています。
丸山さんの一撃は、日本の女子サッカーが世界一に到達する道を切り開いた象徴的なゴールだったのです。
【前十字靭帯損傷からの復帰】選手生命を脅かした大けがとロンドン五輪
ドイツ戦のヒーローとなった丸山さんですが、その翌年には選手生命を左右する大きなけがに見舞われます。
2011年9月、ロンドンオリンピックのアジア最終予選、中国戦で右ひざの前十字靭帯を損傷しました。
前十字靭帯は、膝関節の安定性を保つ重要な靭帯です。サッカーでは急な方向転換やストップ、ジャンプからの着地などで大きな負荷がかかります。
このけがは全治約6カ月と診断され、手術にも踏み切りました。
リハビリから代表復帰まで丸山さんは手術後、ロンドン五輪出場を目標にリハビリを続けました。
日本体育大学の選手紹介によると、当初は長期間の離脱が見込まれていたものの、懸命なリハビリによって復帰を果たしています。
2012年4月には所属チームで練習に合流。6月のスウェーデン遠征で代表に復帰し、7月にはロンドンオリンピックのメンバーに選出されました。
所属先を通じた2012年の発表では、本人もリハビリの苦労や、支えてくれた人々への感謝を語っています。
けがをした時点では、翌年のロンドン五輪への出場が危ぶまれていました。しかし、復帰を諦めずにトレーニングを続けた結果、代表入りを実現したのです。
ロンドン五輪では銀メダルを獲得2012年のロンドンオリンピックで、なでしこジャパンは決勝へ進出しました。
アメリカとの決勝戦では1-2で敗れたものの、日本女子サッカー史上初となるオリンピック銀メダルを獲得しています。
丸山さん自身にとっても、けがからの復帰後に再び世界の舞台へ立ったことは、大きな意味を持つ経験でした。
2011年のW杯優勝だけでなく、困難を乗り越えて2012年の五輪に出場したことも、現役時代を評価するうえで欠かせない実績です。
【2016年引退までの経緯】最後の所属先と現役生活の幕引き
丸山桂里奈さんは2016年シーズンを最後に、プロサッカー選手としての現役生活に終止符を打ちました。
引退発表までの経緯には、少し意外なエピソードもあります。
2016年1月に引退の意思を表明2016年1月16日、丸山さんは自身のSNSで、その年を最後のシーズンにする意向を示しました。
日刊スポーツの当時の報道でも、本人が2016年を現役最後の年にすると表明したことが伝えられています。
その後、9月30日に所属するコノミヤ・スペランツァ大阪高槻が正式に引退を発表しました。
同日、丸山さん自身も公式ブログで報告しています。
ブログでは、サッカーを始めてから22年近くになることに触れ、小学校、中学校、高校、大学、マリーゼ、フィラデルフィア、ジェフ、そして高槻と、これまでの所属先を振り返りました。
また、監督やコーチ、スタッフ、サポーター、チームメートへの感謝を記しています。
引退理由について本人が後年語ったこと2016年の引退については、2024年のテレビ番組出演時にも本人が振り返っています。
その際、SNSにその年を最後にできるよう頑張るという趣旨の投稿をしたところ、インターネットニュースになり、引退する流れになったと説明しました。
当初から長期的に引退計画を立てていたというより、発信をきっかけに周囲の受け止め方も変わり、現役生活の区切りへ進んだというエピソードです。
最後の試合は2016年11月20日丸山さんの現役最後の試合は、2016年11月20日に行われた、なでしこリーグの入れ替え戦第2戦でした。
対戦相手はちふれASエルフェン埼玉。丸山さんは後半途中までプレーしましたが、チームは0-1で敗戦。
2試合合計でも1-5となり、所属するコノミヤ・スペランツァ大阪高槻の2部降格が決まりました。
試合後、丸山さんはSNSで応援への感謝を伝えています。
華々しいW杯優勝とは対照的な幕切れでしたが、国内リーグで最後までプレーを続けたことも、現役時代の大切な一面です。
引退時に報じられた主な通算成績は、なでしこリーグ192試合59得点、日本代表79試合14得点でした。
【2026年現在】丸山桂里奈は何をしている?現役時代との違い
2016年にサッカー選手を引退した丸山桂里奈さんは、現在、タレントとしてテレビや各種メディアで活動しています。
2026年10月時点で確認できる所属事務所ホリプロの公式プロフィールでは、TBSの『ラヴィット!』月曜レギュラーとして紹介されています。
TBSの番組公式ページでも、本並健治さんとともに月曜レギュラーとして名前が掲載されています。
また、テレビ愛知では2026年9月に『丸山桂里奈のチャレンジSDGs』が放送されました。スポーツの力を通じて社会課題を考える内容で、元アスリートとしての経験を生かした活動の一つです。
現役時代と現在の活動を比較| 項目 | 現役時代 | 2026年現在 |
|---|---|---|
| 主な活動 | 女子サッカー選手 | タレント・テレビ出演 |
| 所属・活動の中心 | TEPCOマリーゼ、大阪高槻など | ホリプロ |
| 主な実績 | W杯優勝、五輪銀メダル | バラエティー、情報番組など |
| サッカーとの関係 | 日本代表として競技に参加 | 元日本代表として経験を発信 |
| メディアでの役割 | アスリートとして取材・報道の対象 | 番組出演者として幅広く活動 |
現役時代の丸山さんは、スピードと得点力を武器に結果を求められる競技者でした。
一方、現在はテレビ番組での明るいトークや独特の発想、元アスリートとしての経験を生かしたコメントなどが活動の中心です。
特に『ラヴィット!』のようなバラエティー番組では、サッカー選手時代とは異なる個性が視聴者に親しまれています。
ただし、現在のタレント活動と現役時代の実績は、別々に評価する必要があります。テレビで見せる親しみやすいキャラクターだけでは、W杯優勝や五輪銀メダルを経験した競技者としての実績は語り尽くせません。
丸山さんのキャリアは、トップアスリートとしての経験を持ちながら、引退後に活動領域を広げた例として見ることができます。
【丸山桂里奈現役時代】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:丸山桂里奈の現役時代のポジションは何ですか?
A1:主なポジションはフォワード(FW)です。相手ディフェンスの裏へ抜け出すスピードと攻撃力を武器にしていました。
Q2:丸山桂里奈は日本代表で何試合に出場しましたか?
A2:引退時点の国際Aマッチ通算成績は79試合14得点です。日本体育大学の2012年の選手紹介には70試合14得点と掲載されており、こちらは当時の記録として区別できます。
Q3:丸山桂里奈がドイツ戦で決めたゴールは何年ですか?
A3:2011年7月9日のFIFA女子ワールドカップ準々決勝です。延長後半108分に澤穂希選手からのパスを受けて決勝点を決め、日本は開催国ドイツに1-0で勝利しました。
Q4:丸山桂里奈はなぜ現役を引退したのですか?
A4:2016年シーズン限りで引退しました。本人は2024年の番組出演で、SNSへの投稿がニュースになったことをきっかけに引退する流れになったと振り返っています。
Q5:丸山桂里奈は現在もサッカーをしていますか?
A5:2016年に競技選手としての現役生活を終えています。2026年現在はタレントとして活動し、『ラヴィット!』などのテレビ番組に出演しています。
丸山桂里奈さんの現役時代は、2011年女子ワールドカップのドイツ戦で決めた決勝ゴールだけでは語れません。
2002年の日本代表デビューから、TEPCOマリーゼ、フィラデルフィア・インデペンデンス、ジェフユナイテッド市原・千葉レディース、スペランツァFC大阪高槻でのプレーまで、国内外で経験を重ねてきました。
特に印象的なのは、右ひざの前十字靭帯損傷という大けがから復帰し、2012年ロンドンオリンピックの代表メンバーに選ばれたことです。
引退時の代表通算成績は79試合14得点。2016年11月に最後の試合を終え、競技者としてのキャリアに区切りをつけました。
2026年現在はタレントとして活躍していますが、テレビで見せる明るい姿の背景には、世界一を経験したアスリートとしての努力と、けがを乗り越えた経験があります。
丸山桂里奈さんの現役時代を知る際には、2011年のドイツ戦だけでなく、代表歴、所属チーム、負傷からの復帰、そして引退までの流れを合わせて見ることが大切です。そうすることで、なでしこジャパンの歴史における彼女の存在感が、より鮮明に見えてきます。
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