歌手・増田惠子(増田恵子)の夫、桑木知二さんの死因は膵臓がんです。桑木さんは2024年8月21日、70歳で亡くなりました。2002年に結婚してから約22年間、夫婦として歩んできた2人にとって、突然知らされた病気と別れはあまりにも大きな出来事でした。
2026年1月23日放送のテレビ朝日系「徹子の部屋」では、増田惠子が夫の膵臓がん発覚の経緯や抗がん剤治療を選ばなかった理由、自宅で過ごした最期の日々を語りました。加えて、ピンク・レディーのデビュー50周年を迎えた2026年には、歌手として新たな活動も続けています。夫の死因から闘病の経過、亡き夫への思い、現在の活動まで詳しく整理します。
【結論】増田恵子の夫の死因は膵臓がん!桑木知二さんは70歳で逝去

増田惠子の夫・桑木知二さんは、2024年8月21日の夜、膵臓がんのため70歳で亡くなりました。
この訃報が公表されたのは、亡くなってから約1か月半後の2024年10月7日です。所属事務所の株式会社佐藤企画と有限会社ケイ・オフィスが訃報を発表し、増田本人も公式コメントを寄せました。
所属事務所の発表によると、通夜と葬儀は親族のみで執り行われ、訃報の連絡も法要後となりました。公表が亡くなった直後ではなかったのは、夫婦の時間や家族の事情を大切にしたためです。
増田は公式ブログでも、夫が亡くなったことを報告しています。最期の3時間は夫の手を握り、声を掛け続けながら看取ったと明かしました。
また、夫が亡くなったことについて、悲しみだけでなく、痛みから解放された安らかな表情を見て心が静まったとも記しています。
桑木さんの死去について、押さえておきたい基本情報は次のとおりです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名 | 桑木知二さん |
| 妻 | 増田惠子(ピンク・レディーのケイ) |
| 結婚時期 | 2002年6月 |
| 死因 | 膵臓がん |
| 逝去日 | 2024年8月21日 |
| 享年 | 70歳 |
| がん発覚 | 2024年3月6日 |
| 病状 | 肝臓への転移によりステージ4と診断 |
| 訃報公表 | 2024年10月7日 |
| 葬儀 | 親族のみで執り行われた |
なお、桑木さんは増田より4歳年上で、音響会社の経営や映像作品のミキサーなどに携わっていた人物として報じられています。芸能活動を続ける増田を支えたパートナーでもありました。
【発覚の経緯】目の異常から膵臓がんが見つかり、肝臓にも転移
桑木さんの膵臓がんが発覚した経緯には、本人も増田も予想していなかった展開がありました。
増田が2024年10月に公式ブログで公表した内容と、2026年1月の「徹子の部屋」での証言を照らし合わせると、病気が見つかるまでの経過が分かります。
2023年5月ごろから体力の変化増田のブログによると、最初に変化を感じたのは2023年5月ごろでした。一緒に歩いていると桑木さんの息が上がり、先に行ってほしいと伝えることがあったそうです。
当時は運動不足ではないかと夫婦で話し、深刻な病気を疑う状況ではありませんでした。
2023年12月ごろ、物が二重に見える症状が出現次に気になったのは、物が二重に見える複視、いわゆるダブルビジョンでした。
桑木さんは映像作品のミキサーの仕事をしており、仕事で目を酷使したことが原因ではないかと考えていたといいます。仕事が一段落してから病院に行くつもりだったことも、増田が明かしています。
2024年2月、脳ドックと眼科を受診2024年2月には脳ドックと眼科を受診しましたが、当初は原因が分かりませんでした。
2026年の「徹子の部屋」で増田が説明したところによると、複視の原因は後に橋本病と判明しています。甲状腺の機能低下に関連した症状で、薬の投与によって目の不調は改善したそうです。
つまり、目の症状そのものが膵臓がんによって引き起こされたと確認されたわけではありません。検査を受けたことが、結果的に膵臓がんの発見につながりました。
2024年3月6日、膵臓がんが判明2024年3月6日、主治医のいる大学病院で詳しい検査を受けた結果、膵臓がんが見つかりました。
増田の公式ブログによると、発見時の病期はステージ2bでした。夫婦にとって、思いもよらない診断だったといいます。
4月初旬、肝臓への転移が判明してステージ4にその後の検査で肝臓への転移が確認され、病状はステージ4へと進みました。増田は4月初旬ごろに末期と診断されたことを公表しています。
3月に病気が見つかってから、わずかな期間で状況が大きく変化したことになります。
膵臓がんは初期には自覚症状が乏しいこともあり、発見時に進行しているケースがあります。ただし、桑木さんの経過をすべての膵臓がん患者に当てはめることはできません。
【闘病生活】抗がん剤治療を選ばなかった理由とは?
桑木さんの闘病で特に注目されたのが、抗がん剤治療を受けないという夫婦の決断です。
増田は2024年12月30日公開の「文春オンライン」の対談記事で、夫婦が治療方針を決めるまでの葛藤を詳しく語っています。
医師から示された2つの選択肢ステージ4と診断された後、医師からは抗がん剤治療を勧められました。
増田は、治療方針を決める前夜、夫に抗がん剤を受けてほしいという気持ちを伝えたそうです。夫婦で以前から死生観について話し合っていたものの、実際に病気と向き合うと、簡単には決断できなかったと振り返っています。
翌日の医師との面談では、抗がん剤を使わない場合は4か月、使用した場合は13か月という見通しが示されたと、増田は対談で明かしました。
ここで重要なのは、この数字が桑木さんの当時の病状を踏まえて医師から説明された見通しであり、膵臓がん患者全員に共通する生存期間ではないという点です。
夫婦が選んだのは生活の質を大切にする生き方桑木さんはもともと薬をできるだけ飲みたくないと考える人だったと増田は説明しています。抗がん剤についても、本人なりの考えを持っていました。
増田自身は、夫に治療を受けてほしいという気持ちを伝えました。しかし、最終的には夫の希望を尊重し、夫婦で話し合ったうえで、抗がん剤治療を選ばない方針に至りました。
そのときの思いを、増田は公式ブログで次のように表現しています。
「命の長さではなく、生活の質を選ぼう!」
残された時間を、できるだけ元気に、笑顔で過ごすことを大切にしたのです。
2026年の「徹子の部屋」でも、夫の意向を尊重して抗がん剤治療を受けず、自宅で過ごす時間を大切にしたことを振り返っています。
約5か月の自宅療養と夫婦の日常桑木さんは抗がん剤治療を受けず、約5か月にわたる自宅療養生活を送りました。
増田によれば、病気が見つかった後も、夫は比較的元気に過ごしていた時期がありました。がんと診断されたことが信じられないほどだったと、公式ブログにも記しています。
また、夫婦は日常の時間を大切にし、食事や会話を楽しみながら過ごしていたそうです。
これは、病気を軽視したということではありません。医師から説明を受け、本人の価値観と夫婦の考えをすり合わせたうえで選択した治療方針でした。
なお、抗がん剤治療を受けるかどうかは、がんの種類や進行度、全身状態、本人の希望によって判断が異なります。桑木さんの選択を、ほかの患者にとっての治療指針として捉えるべきではありません。
【最期の日々】亡くなる3日前のライブと増田恵子の決意
桑木さんが亡くなったのは2024年8月21日でした。増田はその3日後となる8月24日、横浜で予定されていたライブに出演しています。
このライブに向けて、桑木さんは「必ず観に行くからね」と増田に伝えていたそうです。しかし、その約束がかなうことはありませんでした。
増田は公式ブログで、夫が亡くなったことも、病気になったことも、当時は誰にも伝えられなかったと告白しています。
医師からは仕事をキャンセルした方がよいと助言されていましたが、増田は歌うことが自分を支えてくれると考え、ステージに立つことを選びました。
夫も「歌いなさい」「絶対に観に行くから」と背中を押していたといいます。
ライブ当日、増田は夫に包まれているような不思議な安心感を覚えたとブログに記しました。夫が好きだった歌をこれからも続けていくという思いは、その後の活動にもつながっています。
所属事務所が訃報を発表したのは10月7日。増田は夫の死から時間が経ってから、ファンや関係者に向けて正式に報告しました。
この経緯からも、桑木さんの最期の時間を守りながら、自分自身も歌手としての責任を果たそうとしていた増田の姿が伝わってきます。
【2026年・徹子の部屋】亡き夫への思いと心に残った言葉
2026年1月23日、増田惠子はテレビ朝日系「徹子の部屋」に出演しました。
番組のテーマは「デビュー50年!亡き夫に誓い笑顔で」。夫との結婚生活や闘病中の思い出、そして死別後の暮らしについて語りました。
夫から贈られた「素敵な笑顔」という言葉番組で増田が振り返ったのは、自宅療養中のある日の出来事です。
増田が料理をしていたとき、夫はソファに座って会話を楽しんでいました。増田が返事をするために振り返ったところ、桑木さんから思いがけない言葉を掛けられたそうです。
「ケイ、そんなに素敵な笑顔をしてくれるの」
増田は、そのときの夫の表情を、今まで見たことのないような優しい顔だったと振り返っています。
桑木さんは、自分ががんになったことについて、増田に「ごめんね」などと後ろ向きな言葉をほとんど口にしなかったそうです。
夫の言葉は、亡くなった後も増田の心に残り続けています。
「今日はどう?」と聞かないでほしいと言われた理由同じ番組では、闘病中の夫婦の会話についても語られました。
増田は夫の体調が心配で、毎日「今日はどう?」「どこか痛くない?」と尋ねていたそうです。
しかし、あるとき桑木さんから、痛みについて聞かれると自分で痛い場所を探してしまうため、そうした質問はしないでほしいと伝えられました。
増田は夫の言葉を受け止め、それ以降は体調を細かく尋ねることを控えたといいます。
相手を心配する気持ちが、必ずしも相手にとって負担のない形で伝わるとは限りません。2人のやり取りには、残された時間を穏やかに過ごそうとする夫婦の思いやりが表れています。
毎朝、夫の遺影に語りかける日々増田は番組で、夫から褒められた笑顔をこれからも大切にしたいと話しました。
毎朝、夫の遺影に向かって「今日の私も、褒めてくれた笑顔が健在ですか」と尋ねてから1日を始めることも明かしています。
夫の分まで生きていかなければという思いが、現在の増田を支えているのでしょう。
また、番組では中島みゆきの楽曲「慕情」についても触れました。夫の死後、歌詞の意味が改めて心に響き、夫への思いを込めた大切な曲になったと語っています。
2026年の「徹子の部屋」は、夫の死因や治療の経緯を改めて振り返るだけでなく、増田が悲しみとともにどう生きているかを伝える放送となりました。
【2026年現在】増田恵子は何をしている?ピンク・レディー50周年の活動
夫との別れを経験した増田惠子ですが、2026年現在も歌手として活動を続けています。
2026年は、ピンク・レディーのデビュー50周年と、増田自身のソロデビュー45周年が重なる節目の年です。
ピンク・レディーは2026年8月25日にデビュー50周年増田惠子は1976年、ピンク・レディーのケイとして「ペッパー警部」でデビューしました。
ビクターエンタテインメントの公式発表によると、2026年8月25日にデビュー50周年を迎えています。
記念企画として「ピンク・レディー伝説 今も そして永遠に… Legend, Now and Forever」というトリビュートプロジェクトが展開され、8月25日には東京・LINE CUBE SHIBUYAでトリビュートコンサート、翌26日にはトリビュートアルバムが発売されました。
この企画は、ピンク・レディーの楽曲を次の世代へ歌い継ぐことを目的としたものです。
ソロデビュー45周年と新曲「貴方は彼方へ」増田はピンク・レディーの解散後、1981年11月に「すずめ」でソロデビューしました。
2026年はソロデビュー45周年にもあたり、記念作品として新曲「貴方は彼方へ」を発表しています。
増田の公式サイトによると、この楽曲は増田自身が書いた手紙をもとに、シンガーソングライターの竹原ピストルが歌詞とメロディーを手掛けた作品です。
大切なパートナーを失った人の喪失感に寄り添う楽曲として紹介され、8月5日に配信、8月19日にCDシングルがリリースされました。
夫との別れを経験した増田が、音楽を通して新しい表現に取り組んでいることが分かる作品です。
2026年後半から2027年にかけても公演を予定2026年10月31日時点で、増田の公式サイトには複数の活動予定が掲載されています。
- 2026年10月25日:ヤマハ ジャズ フェスティバルに出演。
- 2026年12月14日:ウェスティン都ホテル京都でクリスマスディナーショーを開催予定。
- 2027年2月9日・10日:「I Love Singing スペシャル!~ソロ、カバー、そしてピンク・レディー~Vol.2」を開催予定。
こうした活動からは、増田が夫との思い出を大切にしながら、歌手としての歩みを止めていないことが伝わります。
夫が好きだった歌を続けることは、増田にとって単なる仕事ではなく、亡き夫とのつながりを感じられる大切な時間でもあるのでしょう。
【誤解を整理】増田恵子の夫の死因や闘病について知っておきたいこと
桑木さんの死去に関する情報を調べる際には、いくつかの点を区別する必要があります。
目の不調が膵臓がんの直接的な症状だったのか膵臓がんが見つかるきっかけは、物が二重に見えるという目の不調でした。しかし、増田の説明では、その複視の原因は橋本病と判明しています。
したがって、目の症状を膵臓がんの直接的な症状だったと断定するのは正確ではありません。
抗がん剤治療を受けなかったのはなぜか抗がん剤治療を選ばなかったのは、桑木さん本人の希望と、夫婦の話し合いによるものです。
増田は治療を受けてほしいと願っていましたが、最終的には夫の価値観を尊重しました。治療を拒否したという単純な説明ではなく、医師の説明を受けたうえで、残された時間の過ごし方を選んだという経緯があります。
なぜ訃報は約1か月半後に発表されたのか桑木さんは2024年8月21日に亡くなりましたが、所属事務所からの発表は10月7日でした。
葬儀は親族のみで行われ、訃報の連絡も法要後とされています。増田自身も公式ブログで、夫の死をすぐに周囲へ伝えられなかった心境を説明しています。
発表が遅れたことを、夫婦関係や家庭の問題と結び付ける根拠はありません。
情報を見極める際には、本人の公式ブログ、所属事務所の発表、テレビ番組の公式情報、放送内容を伝えた報道記事を優先することが大切です。
【増田恵子夫死因】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:増田恵子の夫の死因は何ですか?
A1:膵臓がんです。夫の桑木知二さんは2024年8月21日、70歳で亡くなりました。所属事務所と増田本人が2024年10月7日に公表しています。
Q2:桑木知二さんはいつ膵臓がんが発覚しましたか?
A2:2024年3月6日です。増田の公式ブログによると、当初はステージ2bと診断され、その後、肝臓への転移が確認されて4月初旬にはステージ4と診断されました。
Q3:桑木知二さんは抗がん剤治療を受けましたか?
A3:受けていません。夫婦で医師の説明を聞き、本人の希望も踏まえて生活の質を優先する方針を選びました。
Q4:増田恵子と桑木知二さんはいつ結婚しましたか?
A4:2002年6月です。2024年6月には結婚22周年を迎え、23年目に入ったことを増田自身が報告していました。
Q5:2026年の「徹子の部屋」では何を語りましたか?
A5:2026年1月23日の放送で、夫の膵臓がん発覚から最期の日々、自宅療養中の思い出、夫から褒められた笑顔について語りました。毎朝、夫の遺影に話しかける習慣も明かしています。
Q6:増田恵子は2026年現在も芸能活動をしていますか?
A6:はい。ピンク・レディーのデビュー50周年とソロデビュー45周年を迎え、新曲「貴方は彼方へ」の発表やコンサート出演など、音楽活動を続けています。
増田惠子の夫・桑木知二さんの死因は膵臓がんでした。2024年3月6日に病気が発覚し、肝臓への転移によって4月初旬にはステージ4と診断され、8月21日に70歳で亡くなっています。
夫婦は抗がん剤治療による延命だけを目指すのではなく、残された時間を笑顔で過ごすことを選びました。約5か月の自宅療養生活には、2人が大切にしていた価値観が表れています。
2026年1月の「徹子の部屋」では、夫から贈られた笑顔への言葉や、日々の暮らしの思い出が語られました。毎朝、遺影に向かって話しかけるというエピソードからも、夫への深い愛情が伝わります。
そして2026年、増田惠子はピンク・レディーのデビュー50周年、ソロデビュー45周年という大きな節目を迎えました。
夫が愛した歌をこれからも歌い続けるという思いは、増田にとって大切な人生の支えになっています。桑木さんとの22年間の結婚生活は終わりましたが、その思い出と音楽は、これからも増田の活動の中に生き続けていくのでしょう。
主な情報源・報道資料
- 増田惠子オフィシャルブログ「Yes!My Life」2024年10月7日「大切なお知らせ」
- 所属事務所による2024年10月7日付の訃報
- テレビ朝日「徹子の部屋」2026年1月23日放送内容
- スポニチアネックス 2026年1月23日付報道
- 文春オンライン 2024年12月30日付インタビュー
- ビクターエンタテインメント、増田惠子オフィシャルサイトの2026年発表