高田みづえさんの基本プロフィールを整理すると、次のとおりです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 名前 | 高田みづえ(たかだみづえ) |
| 生年月日 | 1960年6月23日 |
| 2026年10月現在の年齢 | 66歳 |
| 出身地 | 鹿児島県揖宿郡頴娃町(現・南九州市) |
| 結婚後の本名 | 日高みづえ |
| 職業 | 元歌手・元タレント・元相撲部屋のおかみ |
| 夫 | 元大関・若嶋津六夫(日高六男さん) |
| 長男 | 勝信(元俳優) |
| 長女 | アイリ(タレント) |
生年月日については、日外アソシエーツの人物データを掲載するコトバンクなどでも1960年6月23日と記録されています。
年齢を計算する際に注意したいのは、誕生日を迎えたかどうかです。
高田さんは2026年6月23日に66歳になりました。そのため、2026年10月31日現在も66歳です。
また、出身地の鹿児島県南九州市は、高田さんが生まれてから中学校を卒業するまで過ごした故郷です。2017年2月20日には、南九州市の観光大使に就任しています。
芸能界を引退した後も故郷とのつながりを大切にしていることは、2026年のラジオ出演で語った地元への思いからもうかがえます。
【歌手時代】高田みづえのヒット曲と紅白歌合戦での活躍

高田みづえさんは1977年、シングル「硝子坂」で歌手デビューしました。
デビュー前にはフジテレビのオーディション番組『君こそスターだ!』で注目を集めています。
当時のアイドル歌手の中でも、彼女は歌唱力と表現力に定評がありました。かわいらしい容姿だけでなく、安定した歌声で幅広い世代の支持を獲得していきます。
代表曲には、次のような楽曲があります。
| 発売年 | 代表曲 | 特徴 |
|---|---|---|
| 1977年 | 硝子坂 | デビュー曲 |
| 1977年 | だけど… | 初期の代表曲 |
| 1979年 | 潮騒のメロディー | 爽やかな歌謡曲 |
| 1980年 | 私はピアノ | 桑田佳祐作詞・作曲のカバー曲 |
| 1983年 | そんなヒロシに騙されて | サザンオールスターズの楽曲をカバー |
| 1984年 | 秋冬 | 最後の紅白歌唱曲 |
| 1985年 | カーテン・コール | 最後のシングル作品の一つ |
レコード会社のテイチクエンタテインメントによると、歌手活動8年間でシングル26枚、オリジナルアルバム10枚などを発表しています。
2021年には、引退までにリリースした作品の音源全183曲が音楽配信サービスで一挙解禁されました。その中には、過去にCD化されていなかった59曲も含まれています。
特に注目したいのが、NHK紅白歌合戦への出場歴です。
高田さんは1977年の第28回NHK紅白歌合戦で初出場を果たし、歌手生活8年間で合計7回出場しました。
最後の出場となったのは1984年の第35回大会です。
このとき歌った曲が「秋冬」でした。
当時、高田さんはこの紅白を最後の出演にすると心に決めていたとされています。歌唱中には涙をこらえきれなくなり、声を詰まらせる場面もありました。
歌手としての成功と、これから始まる結婚生活。その両方が重なった特別なステージだったのです。
【引退理由】若嶋津との馴れ初めと結婚式の視聴率30.2%
高田みづえさんが芸能界を引退した最大の転機は、元大関・若嶋津六夫さんとの結婚でした。
2人は同じ鹿児島県出身です。出会いのきっかけは、意外にも芸能界と相撲界の交流から生まれた新聞・雑誌の対談取材でした。
2026年10月24日放送のニッポン放送『徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー』でも、高田さん自身が出会いを振り返っています。
2人の出会いは新聞の対談取材高田さんの説明によると、初対面は若嶋津さんの支度部屋でした。
当時は相撲の場所中でも取材で支度部屋に入ることができ、高田さんは床山が若嶋津さんの髪を結っているところに挨拶に行ったそうです。
その際、高田さんが自分の名前を伝えると、若嶋津さんの顔が赤くなったといいます。
実は若嶋津さんは以前から高田さんのファンでした。
同じ鹿児島県出身という共通点もあり、2人の距離は次第に縮まっていきます。
高田さんは当時を振り返り、巡業や地方場所で離れていることが多かったものの、電話で話すうちに若嶋津さんの優しさに惹かれていったと語っています。
1985年2月、婚約と芸能界引退を同時発表1985年2月、高田さんは若嶋津さんとの婚約を発表しました。
同時に、歌手活動を含む芸能界からの引退も表明します。
当時の高田さんは人気絶頂。紅白歌合戦にも7回出場し、ヒット曲を次々と世に送り出していました。
そのため、結婚を機に芸能界を去るという決断は大きな話題になりました。
引退までの主なスケジュールは次のとおりです。
- 1984年12月: 第35回NHK紅白歌合戦に出場。「秋冬」を歌唱。
- 1985年2月: 若嶋津さんとの婚約と芸能界引退を発表。
- 1985年6月1日: 東京厚生年金会館でファイナルコンサートを開催。
- 1985年6月2日: 大阪フェスティバルホールでファイナルコンサートを開催。
- 1985年6月5日: フジテレビ『夜のヒットスタジオ』に出演。最後のシングル曲「カーテン・コール」などを披露。
- 1985年9月27日: 若嶋津さんと結婚。
引退の背景には、結婚後の生活を大切にし、力士である夫を支える人生への転換がありました。人気が落ちて仕事を失ったから引退したわけではありません。
結婚披露宴の視聴率は30.2%1985年9月27日、ホテルニューオータニで高田さんと若嶋津さんの結婚式・披露宴が行われました。
披露宴の様子はテレビ朝日系列でゴールデンタイムに生中継され、関東地区の平均視聴率は30.2%を記録しました。
当時の報道によると、披露宴には約1,500人が招待されました。
人気歌手と現役の大関という組み合わせは、芸能界と相撲界の双方から大きな注目を集めたのです。
【おかみ時代】松ヶ根部屋から二所ノ関部屋へ、2021年までの歩み
結婚後の高田みづえさんを語るうえで欠かせないのが、相撲部屋のおかみとしての活動です。
若嶋津さんは1987年7月場所後に現役を引退。その後、親方として後進の育成に携わりました。
1990年には松ヶ根部屋を創設し、高田さんも部屋のおかみとして弟子たちを支える立場になります。
松ヶ根部屋のおかみとしての仕事相撲部屋のおかみは、単に親方の妻というだけではありません。
力士たちの日常生活を支え、部屋の運営を円滑にする役割を担います。
高田さんも、歌手時代とはまったく異なる環境で生活することになりました。
特徴的だったのは、飾らない普段着の姿です。
割烹着やエプロン、ジーパン姿で部屋の仕事をこなしていたとされ、夫からは「お願いだからジーパンくらい新しいのを買ってくれ」と頼まれるほどだったというエピソードも伝えられています。
また、口下手な夫と弟子たちの間に立ち、意思疎通を助ける役割も果たしました。
結婚当初は元人気歌手という経歴や夫の知名度から周囲の注目を集め、外出を億劫に感じることもあったそうです。しかし、子どもが生まれてからは母親としての生活に気持ちを切り替え、地域にも徐々になじんでいきました。
2010年にはフジテレビの番組『芸能界の告白 大ヒットに隠された壮絶人生SP』にVTR出演。松ヶ根部屋から10年ぶりに新十両昇進を決めた松谷裕也(後の松鳳山)の苦労や、自身の結婚・引退について語りました。
2014年に二所ノ関部屋へ名称変更松ヶ根部屋は2014年12月1日、年寄名跡の変更に伴って二所ノ関部屋へと名称が変わりました。
日本相撲協会の公式発表によると、若嶋津さんが年寄「二所ノ関」を襲名したことによる変更です。
高田さんは、その後も二所ノ関部屋のおかみとして部屋を支え続けました。
2021年、定年に伴い部屋を譲渡大きな節目となったのが2021年です。
若嶋津さんは65歳の定年を迎える時期に差しかかり、同年12月24日、日本相撲協会は二所ノ関部屋の継承を正式に発表しました。
部屋を引き継いだのは、元関脇玉乃島の放駒親方です。
日本相撲協会の発表では、12月2日の理事会で継承が承認され、12月24日付で正式に移行したことが記録されています。
ここで注意したいのは、2021年の部屋継承と、現在の二所ノ関部屋を混同しないことです。
このとき若嶋津さんが率いていた二所ノ関部屋は放駒部屋へと引き継がれました。一方、元横綱稀勢の里が師匠を務める現在の二所ノ関部屋は、別の部屋の継承・名称変更によって成立したものです。
つまり、高田さんのおかみとしての長年の部屋運営は、2021年の部屋継承をもって大きな区切りを迎えたということです。
【家族と故郷】長男・勝信と長女・アイリ、南九州市とのつながり
高田みづえさんと若嶋津さんの間には、長男と長女の2人の子どもがいます。
| 家族 | 名前 | 公表されている経歴 |
|---|---|---|
| 夫 | 若嶋津六夫(日高六男) | 元大関・元二所ノ関親方 |
| 長男 | 勝信 | 元俳優 |
| 長女 | アイリ | タレント・モデル |
長男の勝信さんは、かつて俳優として活動していました。
長女のアイリさんはタレントやモデルとして活動し、2021年10月に結婚したことを2022年に公表しています。
家族がそれぞれの人生を歩む中で、高田さん自身も母親として子どもたちを支えてきました。
特に長女のアイリさんは、2026年2月に第2子の妊娠を公表した際、母親である高田さんに育児面でも助けてもらったことを明かしています。
南九州市の観光大使にも就任高田さんは2017年2月20日、故郷である南九州市の観光大使に就任しました。
出生から中学校卒業までを過ごした土地への思いは強く、2026年10月24日のラジオ出演でも、故郷について語っています。
日刊スポーツの報道によると、高田さんは地元に帰ると元気をもらい、気持ちをリセットできると説明。小さな集落を活気づけ、地元の人たちが喜ぶようなことをしたいという思いを明かしました。
芸能界での成功、相撲部屋のおかみとしての経験、そして故郷とのつながり。高田さんの人生には、鹿児島という土地が一貫して存在しています。
【2026年最新】高田みづえの現在は?夫との別れと歌手復帰の可能性
2026年10月現在の高田みづえさんを語るうえで、見逃せない出来事が2つあります。
それは、夫・若嶋津さんとの死別と、長年離れていた音楽番組への出演です。
2026年3月、夫の若嶋津さんが69歳で死去2026年3月15日、元大関若嶋津こと日高六男さんが肺炎のため、千葉県内の病院で亡くなりました。69歳でした。
日本相撲協会が翌16日に発表し、喪主は妻のみづえさんが務めました。
若嶋津さんは現役時代に2度の幕内優勝を果たし、引退後は親方として松鳳山ら多くの関取を育てました。
高田さんにとって、夫は結婚後の人生をともに歩んできた大切な存在でした。
2017年に若嶋津さんが倒れて以降、療養生活を支えてきたことも報じられています。
2026年10月24日のニッポン放送出演では、若嶋津さんとの人生を「親方が導いてくれた人生」と振り返りました。
また、おかみとしての経験についても、誰もが経験できる場所ではなく、さまざまなことを学ばせてもらったと語っています。
2026年8月25日、NHK『うたコン』で一夜限りの復活夫との別れから数か月後、高田さんはNHKの音楽番組『うたコン』に出演しました。
2026年8月25日に放送された特別企画のタイトルは「高田みづえ 一夜限りの復活SP」です。
番組では、NHKに保存されている過去の映像や紅白歌合戦の舞台裏映像が紹介され、本人もスタジオに登場しました。
披露した楽曲は次の2曲です。
- デビュー曲「硝子坂」
- ヒット曲「私はピアノ」
高田さんにとって、2015年の『第47回思い出のメロディー』以来、約11年ぶりの生歌唱となりました。
今回の出演については、若嶋津さんの四十九日を終えたころに、以前のマネージャーなどから出演の話をもらったことがきっかけだったと説明しています。
そして、ありがたい機会だと感じ、一歩前に踏み出してみたいと思ったことを明かしました。
放送後には、歌声が変わらないことや久しぶりのテレビ出演を喜ぶ反響が寄せられました。
オリコンニュースも、当時の視聴者やファンから歓迎する声が集まったことを報じています。
10月24日にはニッポン放送に41年ぶりの生出演さらに注目されたのが、2026年10月24日のラジオ出演です。
高田さんはニッポン放送『徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー』にゲスト出演しました。
1985年の芸能界引退以来、同局への出演は実に41年ぶりです。
番組は午前5時から7時40分までの生放送で、高田さんは冒頭からエンディングまで出演しました。
パーソナリティーを務めた徳光和夫さんは、1985年のファイナルコンサートでも司会を務めた人物です。
番組では、若嶋津さんとの出会い、歌手デビューまでの経緯、『カックラキン大放送!!』の思い出、森昌子さんとの交流などについて語りました。
この出演で特に印象的だったのは、今後の歌手活動についての発言です。
日刊スポーツの取材によると、高田さんは故郷を活気づけ、地元の人たちが喜ぶようなことをしたいという希望を語りました。
一方、紅白歌合戦への出場やコンサート復帰を期待する声に対しては、完全復活について「そこまでは…。そんな気持ちにはまだ」と説明しています。
さらに、現在については、心地よく幸せな日々を過ごしているという思いを明かしました。
つまり、2026年10月現在の高田さんは、芸能界に本格復帰したわけではありません。
テレビとラジオに出演し、かつての歌声を披露したことは大きなニュースですが、本人は継続的な歌手活動について慎重な姿勢を示しています。
今後の活動については、故郷への貢献や本人の気持ちを尊重しながら見守る必要があります。
【高田みづえ年齢】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:高田みづえは2026年10月現在何歳ですか?
A1:1960年6月23日生まれの66歳です。2026年6月23日に66歳の誕生日を迎えています。
Q2:高田みづえはなぜ芸能界を引退したのですか?
A2:1985年2月、当時大関だった若嶋津六夫さんとの婚約発表と同時に芸能界引退を表明しました。結婚後は夫を支え、相撲部屋のおかみとして活動する人生を選びました。
Q3:高田みづえは現在、歌手活動に復帰していますか?
A3:2026年8月25日にNHK『うたコン』で一夜限りの復活を果たし、10月24日にはニッポン放送のラジオ番組に41年ぶりに出演しました。ただし、本人は本格的な歌手復帰について、まだその気持ちはないと語っています。
高田みづえさんは、1960年6月23日生まれの66歳です。
1977年に「硝子坂」でデビューし、「私はピアノ」「そんなヒロシに騙されて」などのヒット曲を世に送り出しました。NHK紅白歌合戦には7回出場し、人気歌手として昭和の歌謡界を彩りました。
1985年には若嶋津さんとの婚約を機に芸能界を引退。その後は松ヶ根部屋、二所ノ関部屋のおかみとして、夫とともに相撲界を支えてきました。
2021年の部屋継承、2026年3月の夫との死別を経て、同年8月には『うたコン』で歌声を披露。10月には41年ぶりにニッポン放送にも出演しました。
現在の高田さんは、歌手としての完全復帰を決めたわけではありません。故郷への思いを語りながら、自分らしい生活を大切にしています。
66歳を迎えた高田みづえさんの人生は、歌手としての成功だけでなく、家族や相撲部屋を支えた年月、そして新たな一歩を踏み出す姿まで含めて、多くの人の記憶に残るものとなっています。