高田みづえさんの旦那は、大相撲で元大関として活躍した若嶋津六夫(わかしまづ・むつお)さんです。本名は日高六男(ひだか・むつお)。1985年に結婚した2人は、歌手と人気力士という組み合わせで大きな注目を集めました。高田さんは結婚と同時に芸能界を引退し、その後は相撲部屋のおかみとして夫と弟子たちを支えてきました。
ただし、2026年現在の夫婦の歩みを語るうえで、重要な出来事があります。若嶋津さんは2026年3月15日、肺炎のため69歳で亡くなりました。その後、高田さんは同年8月25日放送のNHK『うたコン』で一夜限りの歌手復帰を果たしています。
この記事では、2人の馴れ初めや1985年の結婚、芸能界引退の背景、相撲部屋のおかみとして過ごした32年間、子どもたち、そして2026年の最新情報までを時系列で整理します。
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> - 旦那は元大関・若嶋津六夫さん: 本名は日高六男。2026年3月15日に69歳で亡くなった。
> - 1985年に結婚・芸能界引退: 9月27日の結婚披露宴はテレビ中継され、平均視聴率30.2%を記録した。
> - 32年間にわたり相撲部屋のおかみを務めた: 2021年12月の部屋継承を経て、2022年初場所後におかみを卒業した。2026年8月にはNHKで歌声を披露した。
【高田みづえの旦那は誰?】元大関・若嶋津六夫のプロフィールと経歴

高田みづえさんの夫だった若嶋津六夫さんは、昭和の大相撲を代表する人気力士の一人です。
現役時代は端正な顔立ちと、細身ながら俊敏な動きで人気を集め、「南海の黒豹」という愛称で親しまれました。
1957年1月12日、鹿児島県熊毛郡中種子町(種子島)に生まれ、1975年春場所で初土俵を踏みました。
1983年初場所で大関に昇進し、1984年には春場所と名古屋場所で2度の幕内優勝を達成しています。
特に1984年名古屋場所では全勝優勝を果たし、力士としての実力を全国に示しました。
若嶋津さんの基本プロフィールは次のとおりです。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 四股名 | 若嶋津六夫 |
| 読み方 | わかしまづ・むつお |
| 本名 | 日高六男 |
| 生年月日 | 1957年1月12日 |
| 出身地 | 鹿児島県熊毛郡中種子町 |
| 最高位 | 大関 |
| 幕内優勝 | 2回 |
| 主な愛称 | 南海の黒豹 |
| 現役引退 | 1987年7月場所 |
| 死去 | 2026年3月15日 |
| 享年 | 69歳 |
若嶋津さんは1987年7月場所で現役を引退した後、年寄・松ヶ根を襲名しました。
1990年には松ヶ根部屋を創設。2014年12月には年寄名跡の変更によって二所ノ関を襲名し、部屋も二所ノ関部屋へと改称されました。
親方としても後進の育成に力を注ぎ、小結・松鳳山ら複数の関取を育てています。
高田さんが長年支えてきたのは、単なる人気力士の夫ではありません。現役時代の実績と、引退後の指導者としての活動を持つ相撲界の重要人物でした。
【夫婦の馴れ初め】雑誌の対談から始まった2人の関係
高田みづえさんと若嶋津さんは、どちらも鹿児島県出身です。
2人の出会いについて、日刊ゲンダイの過去の報道では、結婚のおよそ3年半前に行われた雑誌の対談がきっかけだったと紹介されています。
当時、若嶋津さんはすでに高田さんのファンでした。
それ以前の雑誌インタビューでも、理想の女性として高田みづえさんの名前を挙げていたと報じられています。
対談を通じて2人は意気投合。同じ鹿児島県出身という共通点もあり、親しくなっていきました。
1984年末になると、2人の結婚に関する報道が出始めます。
当時、若嶋津さんは人気絶頂の大関。高田さんも歌手として確固たる地位を築いていました。
そのため、人気力士と人気歌手の交際は芸能界と相撲界の双方で大きな話題になりました。
1984年の紅白歌合戦で見せた涙1984年末の『第35回NHK紅白歌合戦』は、高田さんにとって特別なステージでした。
高田さんは、この紅白出演を最後にしようと決意し、ヒット曲「秋冬」を歌唱したとされています。
司会の森光子さんによる紹介の後、歌唱中に涙をこらえきれなくなった高田さんの姿は、当時の視聴者にも強い印象を残しました。
その後、1985年2月に若嶋津さんとの婚約を正式発表。結婚と同時に芸能界を引退することも明らかにしました。
この婚約発表は、単なる結婚報告ではありませんでした。
人気歌手として築いてきたキャリアを手放し、夫の人生と相撲界を支える道へ進むという、大きな人生の転換点だったのです。
【1985年9月27日に結婚】披露宴の視聴率30.2%と芸能界引退の決断
高田みづえさんと若嶋津さんの結婚式・披露宴は、1985年9月27日に東京都千代田区のホテルニューオータニで行われました。
披露宴はテレビ朝日系列で生中継され、平均視聴率は30.2%(ビデオリサーチ・関東地区)を記録しました。
当時の芸能人の結婚披露宴中継の中でも、非常に高い数字です。
結婚までの芸能活動の終幕高田さんは婚約発表後、段階的に芸能活動を終えていきました。
1985年6月1日には東京厚生年金会館、翌2日には大阪フェスティバルホールでファイナルコンサートを開催。
さらに6月5日には、若嶋津さんとともにフジテレビ系『夜のヒットスタジオ』に出演しました。
番組では「高田みづえサヨナラ企画」が設けられ、ヒット曲メドレーや最後のシングル曲「カーテン・コール」などを披露しました。
この出演を最後に、芸能活動を停止しています。
1977年の「硝子坂」で歌手デビューして以来、紅白歌合戦にも7回出場した高田さん。
人気が衰えたから引退したのではなく、結婚という人生の選択に伴って、自ら芸能活動に区切りをつけたことが特徴です。
結婚披露宴が30.2%を記録した理由1985年当時、テレビで放送される有名人の結婚式は大きな娯楽コンテンツでした。
特に高田さんと若嶋津さんの場合、双方が異なる分野で高い知名度を持っていたことが注目を集めた背景にあります。
高田さんは歌謡界の人気歌手、若嶋津さんは大相撲の人気大関。
異なる世界で活躍する2人の結婚は、普段は相撲を見ない視聴者や歌謡曲に親しんできた視聴者にも関心を持たれる話題でした。
テレビ朝日による独占生中継で、披露宴は全国的な注目を集めました。
30.2%という数字は、2人が当時どれほど幅広い人気を得ていたかを示す記録でもあります。
【年表】高田みづえと若嶋津の結婚から2026年までの歩み
2人の人生を理解するには、歌手時代、結婚、相撲部屋の運営、そして晩年までを一続きの流れで見ることが大切です。
| 年月 | 出来事 | 詳細 |
|---|---|---|
| 1977年 | 高田みづえデビュー | 「硝子坂」で歌手デビュー |
| 1981年ごろ | 2人の出会い | 雑誌の対談をきっかけに親交を深める |
| 1984年12月 | 紅白歌合戦 | 「秋冬」を歌唱 |
| 1985年2月 | 婚約発表 | 芸能界引退も同時に発表 |
| 1985年6月 | 最終コンサート | 東京・大阪でファイナルコンサート |
| 1985年9月27日 | 結婚式・披露宴 | テレビ朝日系列で生中継、視聴率30.2% |
| 1987年7月 | 若嶋津が引退 | 年寄・松ヶ根を襲名 |
| 1990年2月 | 松ヶ根部屋創設 | 高田さんがおかみとして夫を支える |
| 2014年12月1日 | 二所ノ関部屋へ改称 | 若嶋津が年寄・二所ノ関を襲名 |
| 2017年2月 | 観光大使就任 | 南九州市の観光大使に就任 |
| 2021年12月24日 | 部屋の継承 | 放駒親方が二所ノ関部屋を継承 |
| 2022年1月 | おかみを卒業 | 約32年間の相撲部屋での役割に区切り |
| 2026年3月15日 | 若嶋津さん死去 | 肺炎のため69歳で死去 |
| 2026年8月25日 | 歌手としてテレビ出演 | NHK『うたコン』で一夜限りの復活 |
この年表から分かるのは、2人の結婚生活が芸能界から相撲界への転身と密接につながっていたことです。
高田さんの人生は、1985年の結婚で終わったのではありません。そこから32年間にわたる相撲部屋のおかみとしての新しいキャリアが始まりました。
【相撲部屋のおかみとして32年間】松ヶ根部屋から二所ノ関部屋へ
高田みづえさんが芸能界引退後に選んだのは、相撲部屋のおかみという仕事でした。
若嶋津さんは1987年に現役を引退し、1990年2月に松ヶ根部屋を創設します。
この部屋で高田さんは、力士たちの生活を支えるおかみとして活動するようになりました。
おかみの仕事は力士たちの生活を支えること相撲部屋のおかみは、単に親方の妻という立場ではありません。
力士たちの生活環境を整え、部屋の運営を支え、地域や後援者との関係を築く役割も担います。
Number Webの2022年のインタビューでは、高田さんが当時のおかみ生活について語っています。
日常的には割烹着やエプロン、ジーパン姿で働き、弟子たちの世話をしていたそうです。
夫からは「お願いだからジーパンくらい新しいのを買ってくれ」と頼まれるほど、飾らない生活を送っていました。
また、力士たちの布団カバーやシーツの洗濯、成人式の赤飯、クリスマスのプレゼントなど、生活に密着した細やかな気配りも行っていたと紹介されています。
高田さん自身、歌手時代の知名度が先行することに難しさを感じた時期もありました。
しかし、取材の中では、歌手だったことを引きずらず、徹底的に裏方に徹しようと考えたことを振り返っています。
2014年に二所ノ関部屋へ名称変更松ヶ根部屋は2014年12月1日、若嶋津さんが年寄・二所ノ関を襲名したことに伴い、二所ノ関部屋へと名称が変更されました。
二所ノ関という名称は、横綱大鵬などを輩出した伝統ある名跡です。
若嶋津さんにとって、その名跡を継承することは親方としての大きな節目でした。
高田さんも、部屋のおかみとして引き続き力士たちを支えました。
2021年12月の部屋譲渡と2022年のおかみ卒業2021年12月24日、日本相撲協会は二所ノ関部屋の継承を発表しました。
元関脇・玉乃島の放駒親方が部屋を引き継ぎ、若嶋津さんが率いてきた部屋は放駒部屋となりました。
一方、若嶋津さんは2022年1月に65歳の定年を迎えました。
高田さんも2022年初場所を最後に、おかみとしての役割を終えています。
Number Webは、彼女が約32年間にわたって相撲部屋を支えてきた歩みを紹介しました。
なお、ここで注意したいのが「二所ノ関部屋」という名称です。
現在の二所ノ関部屋は、元横綱・稀勢の里が師匠を務める部屋です。若嶋津さんが率いていた旧二所ノ関部屋とは、2021年の継承に伴って別の部屋となっています。
同じ名称が引き継がれたため、インターネット上では両者が混同されることがありますが、部屋の系譜を区別する必要があります。
【子供は2人】長男・勝信と長女・アイリ、家族の歩み
高田みづえさんと若嶋津さんの間には、2人の子どもがいます。
- 長男:勝信さん
- 長女:アイリさん
2人の子どもは、それぞれ異なる形で人生を歩んでいます。
長男の勝信さんは元俳優として活動していました。長女のアイリさんはタレント・女優として活動しています。
アイリさんは2021年10月に結婚したことを2022年に公表し、2024年4月には第1子となる女児の出産を報告しています。
2026年2月には第2子の妊娠も公表しました。
若嶋津さんの葬儀に関する2026年3月の日刊スポーツの記事では、家族への思いを語る高田さんの姿も報じられています。
同記事によると、若嶋津さんは生前、自分の幸せについて尋ねられた際、子どもたちと妻の名前を挙げていたそうです。
夫婦にとって、子どもたちは人生の大きな支えだったことがうかがえます。
なお、長男の現在の仕事や結婚生活など、詳細な私生活については公表情報が限られています。家族の情報を調べる際は、長男と長女の経歴を混同しないことも大切です。
高田みづえは2017年に南九州市の観光大使に就任高田さんは鹿児島県の旧頴娃町、現在の南九州市の出身です。
2017年2月20日、南九州市の観光大使に就任しました。
南九州市の公式広報誌でも、観光大使としての活動が紹介されています。
2022年には市役所を訪れ、故郷への感謝や地域に貢献したいという思いを伝えました。
芸能界を引退した後も、故郷とのつながりを大切にしてきたことが分かります。
【2026年最新】若嶋津の死去と高田みづえの歌手復帰
2026年の高田みづえさんを語るうえで、若嶋津さんの死去は避けて通れません。
2026年3月15日、若嶋津さんは肺炎のため千葉県内の病院で亡くなりました。69歳でした。
日刊スポーツやスポニチなどの報道によると、若嶋津さんは2017年10月に千葉県船橋市内で倒れ、頭部の手術を受けた後、長く療養生活を送っていました。
高田さんはその後も夫を支え続けていました。
3月24日に営まれた葬儀では高田さんが喪主を務め、参列者に夫への感謝を伝えています。
2026年8月25日、NHK『うたコン』で一夜限りの復活若嶋津さんの死去から約5か月後、高田さんはNHK総合の音楽番組『うたコン』に出演しました。
放送日は2026年8月25日。
番組タイトルは「高田みづえ 一夜限りの復活SP」です。
披露した曲は、デビュー曲の「硝子坂」とヒット曲「私はピアノ」。
1985年の芸能界引退以来、長い時間を経て再びNHKのステージに立ちました。
ORICON NEWSによると、高田さんは今回の出演について、夫の四十九日が終わった頃に出演の話を受けたと説明しています。
そして、再び一歩踏み出してみたいという気持ちがあったことも語りました。
この出演は、単なる懐かしの歌手の再登場ではありません。
約40年にわたり芸能界から距離を置き、夫と相撲部屋を支えてきた高田さんが、自分自身の原点である歌と向き合う機会になりました。
ただし、番組名にもあるとおり一夜限りの復活として紹介されたもので、継続的な芸能活動再開が発表されたわけではありません。
2026年10月現在、高田さんの今後の活動については、こうした公表された出演情報を中心に見ることができます。
【高田みづえ旦那】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:高田みづえの旦那は誰ですか?
A1:元大相撲大関の若嶋津六夫さんです。本名は日高六男。1985年9月27日に高田みづえさんと結婚しました。2026年3月15日に肺炎のため69歳で亡くなっています。
Q2:高田みづえと若嶋津はいつ結婚しましたか?
A2:1985年9月27日です。ホテルニューオータニで結婚式と披露宴が行われ、テレビ朝日系列で生中継されました。平均視聴率は30.2%を記録しています。
Q3:高田みづえの子供は何人ですか?
A3:長男の勝信さんと長女のアイリさんの2人です。長男は元俳優、長女はタレント・女優として活動しています。
Q4:高田みづえは現在も相撲部屋のおかみですか?
A4:いいえ。2021年12月に部屋が放駒親方へ継承され、2022年初場所後に約32年間のおかみ生活を終えました。
Q5:高田みづえは2026年に芸能界復帰しましたか?
A5:2026年8月25日、NHK『うたコン』の「一夜限りの復活SP」に出演し、「硝子坂」と「私はピアノ」を披露しました。ただし、継続的な芸能活動再開が発表されたわけではありません。
高田みづえさんの旦那は、元大関・若嶋津六夫さんです。
2人は1985年に結婚し、高田さんは人気歌手としてのキャリアに区切りをつけ、相撲部屋のおかみとして夫と弟子たちを支える人生を選びました。
その歩みには、次のような大きな節目がありました。
- 1985年2月:婚約発表と芸能界引退表明
- 1985年9月27日:結婚式・披露宴
- 1987年7月:若嶋津が現役引退
- 1990年2月:松ヶ根部屋を創設
- 2014年12月:二所ノ関部屋へ改称
- 2021年12月:部屋の継承
- 2022年1月:高田みづえがおかみを卒業
- 2026年3月:若嶋津が69歳で死去
- 2026年8月:高田みづえがNHKで一夜限りの歌手復帰
特に注目したいのは、芸能界引退後の32年間です。
華やかな歌手活動とは異なる場所で、力士たちの生活を支え、夫の親方としての仕事を支え続けました。
そして夫を見送った2026年、再び歌手としてステージに立った高田さん。
若嶋津さんとの結婚をきっかけに始まった人生は、相撲部屋のおかみとしての役割を終えた後も続いています。
2人の歴史を振り返ると、1985年の結婚披露宴の視聴率30.2%という華やかな記録だけでは見えてこない、長い夫婦の歩みが浮かび上がります。
主な事実確認資料・報道