若嶋津さんは、鹿児島県出身の元大相撲力士です。現役時代は端正な顔立ちと俊敏な取り口で人気を集め、「南海の黒豹(なんかいのくろひょう)」という愛称で親しまれました。
日本相撲協会の公式プロフィールによると、1957年1月12日生まれ。身長188センチ、体重118キロで、得意技は左四つ、上手投げ、吊りです。最高位は大関で、幕内最高優勝は2回。大関としても28場所を務めた実力者でした。
名前については、少し注意が必要です。日本相撲協会の公式記録では、四股名は若嶋津六夫(わかしまづ・むつお)、本名は日高六男(ひだか・むつお)と記載されています。「六夫」と「六男」は表記が異なりますが、読みはいずれも「むつお」です。
つまり、検索で見かける「若嶋津の日高六男さん」とは、同一人物を指しています。結婚後の高田さんの姓は日高となり、報道では日高みづえさんと紹介されることもあります。
若嶋津さんの相撲人生を語るうえで欠かせないのが、1984年の活躍です。春場所で14勝1敗の初優勝を果たし、続く同年7月の名古屋場所では15戦全勝で2度目の幕内優勝を達成しました。翌1985年には高田みづえさんとの婚約・結婚が大きな話題になっています。
【夫婦の馴れ初め】高田みづえと若嶋津は新聞の対談取材で出会った

2人の出会いは、芸能界と大相撲をつなぐ新聞の対談取材でした。
2026年10月24日放送のニッポン放送「徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー」で、高田さん自身が若嶋津さんとの出会いを振り返っています。
当時、仕事で忙しい日々を送っていた高田さんは、新聞の対談取材で相撲の支度部屋を訪問。そこで、床山に髪を結ってもらっていた若嶋津さんと初めて顔を合わせました。
高田さんが自己紹介すると、若嶋津さんの顔が赤くなったといいます。その初々しい反応が、高田さんに強い印象を残しました。
さらに、2人は同じ鹿児島県出身。若嶋津さんがもともと高田さんのファンだったことも、後に明らかになっています。
高田さんは、当時の交際について、電話で話すことが多く、巡業や地方場所で離れている時間も電話を通して相手の優しさを知ったと語っています。
結婚前のデートは映画を見た1回だけ?2025年4月30日放送のテレビ朝日系特番でも、高田さんは結婚前の交際エピソードを披露しました。
意外なことに、2人が実際に出かけたデートは、新宿で映画を見た1回だけだったそうです。作品は人気映画シリーズの「インディ・ジョーンズ」。一方、電話での会話は何度も重ねていたといいます。
高田さんは若嶋津さんについて、無口な人だったため、自分が一人でしゃべっていることが多かったと笑顔で振り返りました。
プロポーズについても、明確な言葉を覚えているわけではないと説明しています。若嶋津さんが1984年の名古屋場所で全勝優勝した後、「事務所の社長さんにごあいさつに行ってもいい?」と申し出たことが、結婚への意思表示だったのではないかと振り返っています。
交際期間の長さやデートの回数だけでは測れない、2人の関係性がうかがえるエピソードです。
1985年9月27日に結婚!披露宴も大きな話題に高田さんと若嶋津さんは、1985年9月27日、東京・ホテルニューオータニで結婚式を挙げました。
当時、高田さんは25歳、若嶋津さんは28歳。人気歌手と現役大関の結婚ということもあり、披露宴には各界の著名人など約1500人が出席したと日刊ゲンダイが伝えています。
テレビ朝日系列で生中継された披露宴は、視聴率30.2%を記録。2人の結婚が当時どれほど注目されていたかを示す数字です。
芸能界のスターと相撲界の人気力士という組み合わせは、当時の芸能ニュースでも大きく取り上げられました。
【経歴・年表】若嶋津の大関時代から2026年3月の訃報まで
若嶋津さんは、現役力士として大関まで上り詰めた後、親方として相撲部屋を経営し、後進の育成に力を注ぎました。
高田さんの人生とも深く重なる、若嶋津さんの主な出来事を時系列で整理します。
| 時期 | 出来事 | 詳細 |
|---|---|---|
| 1957年1月12日 | 誕生 | 鹿児島県出身 |
| 1975年3月 | 初土俵 | 二子山部屋に入門 |
| 1981年1月 | 新入幕 | 幕内力士となる |
| 1983年1月 | 大関昇進 | 最高位の大関へ |
| 1984年 | 幕内優勝2回 | 7月場所は15戦全勝 |
| 1985年9月27日 | 高田みづえさんと結婚 | 同年に高田さんは芸能界引退 |
| 1987年7月 | 現役引退 | 年寄・松ケ根を襲名 |
| 1990年2月 | 松ケ根部屋創設 | 高田さんがおかみとして活動 |
| 2014年12月 | 二所ノ関襲名 | 二所ノ関の名跡を継承 |
| 2017年10月19日 | 路上で倒れる | 頭部の手術を受け療養生活へ |
| 2021年12月 | 名跡交換 | 元稀勢の里の荒磯親方と交換 |
| 2022年1月 | 協会定年 | 高田さんもおかみを卒業 |
| 2023年7月 | 協会を退職 | 日本相撲協会を退職 |
| 2026年3月15日 | 死去 | 肺炎のため69歳で死去 |
| 2026年8月25日 | 高田さんテレビ出演 | NHK「うたコン」で歌唱 |
| 2026年10月24日 | 高田さんラジオ出演 | ニッポン放送で夫との出会いを回想 |
年表の基礎となる力士の成績・昇進記録は日本相撲協会の公式プロフィール、部屋の創設や親方としての歩みは報道各社の記録に基づいています。
特に注目したいのは、1987年の引退から1990年の部屋創設までの期間です。現役を退いた若嶋津さんは、年寄・松ケ根を襲名し、指導者として新しい人生を歩み始めました。
そして、2014年には二所ノ関の名跡を継承。元大関としての実績だけでなく、相撲界の運営や後進育成にも関わる存在になっていきました。
【芸能界引退の理由】人気絶頂の高田みづえが歌手を辞めた決断
高田みづえさんが芸能界を引退したのは、1985年。歌手として人気を集めていた時期の決断でした。
1977年に「硝子坂」でデビューすると、その歌唱力と親しみやすいキャラクターで人気を獲得。1980年には「私はピアノ」が大ヒットし、「そんなヒロシに騙されて」などの楽曲でも知られています。
NHK紅白歌合戦には、8年間の歌手生活で計7回出場。1985年の結婚を機に芸能活動に区切りをつけました。
引退の決め手は家庭と歌手活動の両立の難しさ高田さんは2025年のテレビ出演で、引退について率直な気持ちを明かしています。
歌手になることに憧れ、努力してきたため、引退に迷いがなかったわけではありません。それでも、結婚後に歌手活動と新しい生活を両立することは難しいと考え、決断したと説明しています。
同番組では、若嶋津さんと出会い、「親方に巡り会い、愛が勝ったみたいな」と当時の気持ちを表現しました。
この決断で興味深いのは、単に芸能界を離れたということではありません。高田さんは、歌手として築いた知名度を前面に出すのではなく、相撲部屋を支える立場へと自らの役割を変えていきました。
実際、引退後は長い間、歌手としての活動を控えていました。相撲部屋の千秋楽の祝賀会などでも、当初は高田みづえという名前が目立たないように一線を引いていたと、本人が振り返っています。
一方、夫が部屋を持って約10年が経過した頃、弟子や関係者に喜んでもらえるならと、千秋楽の席で「硝子坂」を歌うようになったそうです。歌手としての自分を完全に否定したのではなく、新しい生活の中で歌との関係を再構築したことが分かります。
【おかみとして32年間】松ケ根部屋・二所ノ関部屋を支えた高田みづえ
高田みづえさんの結婚後の人生を語るうえで欠かせないのが、相撲部屋のおかみとしての活動です。
1987年に若嶋津さんが現役を引退し、1990年2月に松ケ根部屋を創設。高田さんは部屋のおかみとなり、弟子たちの生活や部屋の運営を支える立場になりました。
松ケ根部屋の創設当初は弟子3人からのスタートNumber Webの2022年のインタビュー記事によると、松ケ根部屋の創設当初は、弟子3人と元力士のマネージャーという小さな体制でした。
高田さんは、歌手だったことを当初はハンデに感じたと振り返っています。自分の名前が目立つことで、相撲部屋の親方や弟子たちの存在が薄れてしまうことを気にしていたそうです。
そこで意識したのが、裏方に徹することでした。
部屋での食事の準備、弟子たちへの気配り、地域との交流など、相撲部屋の日常を支える役割を担いました。華やかなステージで歌っていた女性が、相撲界の伝統的な生活環境に身を置き、家族のような共同生活を支えていったのです。
Number Webの記事では、町内会やPTAの役員も経験したことが紹介されています。単に親方の妻という立場にとどまらず、地域社会の一員としても活動していたことが分かります。
松ケ根部屋から二所ノ関部屋へ若嶋津さんは2014年に年寄・二所ノ関を襲名し、部屋の名称も松ケ根部屋から二所ノ関部屋へと変わりました。
「松ケ根部屋のおかみ」という表現が現在も検索されるのは、高田さんが長年にわたって同部屋を支えたことが理由です。ただし、後年は二所ノ関部屋のおかみとして活動していたため、時期によって呼び方が異なります。
その後、2021年12月には元横綱・稀勢の里の荒磯親方と名跡を交換。若嶋津さんは二所ノ関部屋の師匠を退きました。
2022年1月には日本相撲協会の定年を迎え、高田さんも32年間続けたおかみの仕事を卒業しました。なお、若嶋津さんが日本相撲協会を正式に退職したのは2023年7月です。定年と協会からの退職は別の時期であり、混同しやすいポイントです。
2017年の事故と高田みづえの献身的な支え夫婦にとって大きな転機となったのが、2017年10月19日の出来事でした。
若嶋津さんは千葉県船橋市内の路上で倒れ、頭部の手術を受けました。その後は療養とリハビリを続ける生活となり、高田さんは夫を支え続けました。
2026年3月の訃報を伝えた報道では、高田さんが約8年半にわたって介護を続けていたことも紹介されています。
2026年8月のテレビ出演では、夫の最期まで枕元で歌を聴かせていたことを明かしました。デビュー曲「硝子坂」を流すと、若嶋津さんの唇が曲を口ずさむように動いていたと振り返っています。
長い療養期間をともに過ごした夫婦にとって、歌は単なる仕事や趣味ではなく、2人の出会いや若い頃の記憶をつなぐものでもあったのでしょう。
【子供は何人?】長男と長女アイリ、それぞれの現在
高田みづえさんと若嶋津さんの間には、長男と長女の2人の子供がいます。
長女は、モデルや女優として活動するアイリさんです。長男についても、過去に芸能活動をしていた勝信さんとして報じられています。
ただし、長男は現在、芸能活動を中心に公の場へ出ている人物ではありません。家族の近況をすべて公表しているわけではないため、詳細な私生活については報道されている範囲に限られます。
長女アイリは女優・モデルとして活動アイリさんは、高田みづえさんと若嶋津さんの長女です。2021年10月に俳優の春山翔さんとの結婚を発表し、2024年4月には第1子となる女児の出産を報告しました。
さらに、2026年2月には第2子の妊娠を公表。両親についても触れ、妊娠中に母親の高田さんに助けてもらったことを自身のSNSで明かしました。
この報告からも、高田さんが母親として娘の家庭を支えている様子がうかがえます。
高田さんと若嶋津さんは、結婚後に2人の子供を育てながら相撲部屋を運営してきました。華やかな芸能界から相撲界へと生活の場を移した高田さんにとって、家庭と部屋の両方を支えることが長年の生活の中心だったと考えられます。
【高田みづえの現在2026】夫との死別後、歌手として再び表舞台へ
2026年3月15日、若嶋津さんは肺炎のため、千葉県鎌ケ谷市内の病院で亡くなりました。69歳でした。
スポニチの報道によると、亡くなったのは午前11時34分。前年夏から体調を崩して入院しており、家族に見守られながら最期を迎えたといいます。
高田さんは夫への感謝を込めて、「親方には、ありがとうという気持ちです」と語りました。
2026年8月25日、NHK「うたコン」で歌声を披露若嶋津さんの死去から約5か月後、高田さんはNHKの音楽番組「うたコン」に生出演しました。
2026年8月25日の放送は「高田みづえ 一夜限りの復活SP」として紹介され、デビュー曲「硝子坂」とヒット曲「私はピアノ」を披露しました。
高田さんは、歌手引退後に長年おかみとして生活してきたこともあり、再び大勢の前で歌うことに緊張した様子を語っています。
番組では亡き夫への思いも明かしました。若嶋津さんが特に好きだった曲として「硝子坂」を挙げ、療養中も枕元で曲を流していたことを振り返っています。
歌を聴いた夫が唇を動かしていたという思い出を語る場面では、涙を見せました。
2026年10月24日、41年ぶりにニッポン放送へ出演さらに、2026年10月24日には、ニッポン放送「徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー」に生出演しました。
同局への出演は41年ぶり。番組では、若嶋津さんとの出会いや交際当時の思い出を詳しく語っています。
新聞の対談取材で初めて会ったこと、自己紹介した際に若嶋津さんの顔が赤くなったこと、電話を通じて相手の優しさを知ったことなど、2人の馴れ初めが本人の口から改めて語られました。
高田さんが歌手として再び表舞台に立ち始めた2026年は、夫との思い出を音楽や言葉で伝える機会が続いた年でもあります。
2026年10月31日現在、こうしたテレビ・ラジオ出演が高田さんの近況として報じられています。今後の本格的な歌手活動や出演予定については、個別の発表を待つ必要があります。
【高田みづえの旦那】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:高田みづえの旦那は誰ですか?
A1:元大相撲大関の若嶋津さんです。本名は日高六男(ひだか・むつお)さんで、元二所ノ関親方としても知られています。2026年3月15日に69歳で亡くなりました。
Q2:高田みづえと若嶋津はいつ結婚しましたか?
A2:1985年9月27日です。ホテルニューオータニで挙式し、披露宴はテレビ中継されるほど大きな話題になりました。
Q3:高田みづえが芸能界を引退した理由は何ですか?
A3:若嶋津さんとの結婚を機に、家庭と歌手活動の両立は難しいと考えたためです。本人も後年、引退に迷いがなかったわけではないと振り返っています。
Q4:高田みづえは何年間、相撲部屋のおかみを務めましたか?
A4:1990年の松ケ根部屋創設から2022年の夫の定年まで、約32年間です。夫の親方としての活動を支え、弟子たちの生活や部屋の運営に携わりました。
Q5:高田みづえと若嶋津の子供は何人ですか?
A5:長男と長女の2人です。長女はモデル・女優として活動するアイリさんで、長男は勝信さんとして報じられています。
Q6:若嶋津はなぜ「元二所ノ関親方」と呼ばれるのですか?
A6:2014年に年寄・二所ノ関を襲名したためです。2021年12月に元稀勢の里の荒磯親方と名跡を交換し、2022年に協会定年を迎えました。
Q7:高田みづえは2026年現在、芸能活動を再開していますか?
A7:2026年8月25日にNHK「うたコン」で歌唱を披露し、10月24日にはニッポン放送のラジオ番組に出演しました。ただし、継続的な歌手活動や本格復帰については、今後の発表を確認する必要があります。
高田みづえさんの旦那は、元大関・若嶋津こと日高六男さんでした。
1985年に結婚した2人は、歌手と人気力士という異なる世界で活躍していました。高田さんは人気絶頂で芸能界を引退し、1990年から約32年間、相撲部屋のおかみとして夫と弟子たちを支えました。
若嶋津さんは現役時代に幕内優勝2回を達成し、引退後も親方として後進の育成に尽力。2017年の事故以降は長い療養生活を送り、2026年3月15日に69歳で亡くなりました。
その後、高田さんは8月のNHK出演、10月のニッポン放送出演を通じて、歌手としての姿と夫との思い出を伝えています。
2人の歩みを振り返ると、注目すべきなのは華やかな結婚だけではありません。歌手としてのキャリアを手放し、相撲部屋を支え、長年にわたって夫と人生をともにしたこと。そして、夫を見送った後も、自分の原点である歌と向き合い始めたことです。
「高田みづえの旦那」という検索から見えてくるのは、元大関・若嶋津の輝かしい相撲人生だけではなく、互いの人生を尊重しながら歩んだ夫婦の長い歴史なのです。