ホーム 芸能人プロフィール・現在 2026年現在、内田裕也と樹木希林はなぜ別居婚を貫いた?45年の夫婦関係を徹底解説

2026年現在、内田裕也と樹木希林はなぜ別居婚を貫いた?45年の夫婦関係を徹底解説

如月 なお 如月 なお • 更新: • 公開: • 読了約 19 分
目次

ロックミュージシャンの内田裕也さんと、個性派女優として数々の映画やドラマで活躍した樹木希林さん。1973年に結婚した2人は、結婚からわずか約1年半で別居生活に入り、その後、約45年間にわたって離れて暮らし続けました。1981年には内田さんが一方的に離婚届を提出し、裁判の結果、離婚は無効と判断されるという出来事もありました。

それでも2人は正式に離婚することなく、2018年の樹木さんの死去まで夫婦であり続けます。さらに、その約半年後には内田さんも亡くなりました。2026年現在、改めて注目されるのは、ほとんど同居しなかった2人が、なぜ夫婦という関係を手放さなかったのかという点です。本人たちのインタビューや長女・内田也哉子さんの証言、当時の報道をたどると、一般的な夫婦像では説明できない関係の実像が見えてきます。

【馴れ初め】内田裕也と樹木希林はどこで出会った?1973年の結婚まで

内田裕也樹木希林

内田裕也さんと樹木希林さんの出会いは、1973年に放送されていたテレビドラマ『時間ですよ』の撮影現場でした。

当時、樹木さんは女優として活動しており、内田さんはロックミュージシャンとして独自の道を歩んでいました。2人をつないだのは、内田さんの友人だったミュージシャンのかまやつひろしさんです。かまやつさんが樹木さんの出演するドラマの撮影現場を訪れた際、内田さんも一緒に来ていたことが出会いのきっかけでした。

朝日新聞のインタビュー連載で、樹木さんは当時の第一印象について、内田さんを「何だか真面目そうな人」と振り返っています。後年の破天荒なイメージとは異なる印象を持っていたことがうかがえます。

2人は短期間の交際を経て結婚を決意します。1973年10月10日には東京の築地本願寺で挙式しました。当時、樹木さんは悠木千帆の芸名でも知られていました。

結婚当初から、2人の関係は一般的な夫婦像とは少し違っていました。内田さんは音楽活動を優先するロックンローラーであり、樹木さんは女優として仕事を続ける生活者でした。1974年の取材で内田さんは、ロックと役者では仕事の仕組みが違うことや、家庭での過ごし方に対する考えを語っています。

出会ったときの強い引力と、実際に共同生活を送ることは別の問題でした。結婚によって2人の距離が縮まった一方、生活習慣や価値観の違いも表面化していきます。

【別居生活の経緯】結婚から約1年半で離れた2人に何があったのか

内田裕也さんと樹木希林さんが別居を始めたのは、1976年ごろです。1973年の結婚から約1年半後にあたります。

特に注目したいのは、樹木さん自身が朝日新聞のインタビューで、一緒に暮らした期間について「3カ月もない」と振り返っていることです。約45年に及ぶ婚姻期間の大部分を、2人は別々の住まいで過ごしていました。

別居の背景には、激しい夫婦げんかと生活上のすれ違いがありました。

2019年、内田也哉子さんはテレビ番組への出演で、両親の別居について語っています。也哉子さんによると、母親が妊娠してからも2人のけんかは激しく、子どもを守るために樹木さんがマンションを購入し、別居を決意したといいます。

也哉子さんは、父と母の関係を一方的な被害・加害の構図だけでは説明できない、激しい応酬のあった関係として振り返っています。夫婦双方の気性の強さが、同居生活を難しくしていたことが伝わる証言です。

また、2人の仕事に対する考え方も異なっていました。内田さんは音楽活動を中心とした自由な生き方を重視し、樹木さんは仕事を続けながら家庭を維持する立場にありました。

別居が始まった時期は、長女の誕生とも重なります。内田也哉子さんは1976年2月11日生まれです。女性自身が2024年末に掲載した也哉子さんの証言では、樹木さんは出産の約1カ月前から別居していたとされています。

つまり、也哉子さんにとって父親が家庭にいない状態は、生まれたときからの生活環境だったのです。

ただし、別居は必ずしも夫婦関係の完全な断絶を意味していたわけではありません。2人はその後も連絡を取り合い、必要に応じて顔を合わせていました。

【45年間の結婚生活】別居・離婚届・CM共演から死去までの年表

2人の関係を理解するには、結婚、別居、離婚届の提出、夫婦共演、そして死去までの出来事を時系列で整理することが欠かせません。

特に1981年の離婚届提出と2011年のゼクシィCM出演は、別居婚を続けた2人の関係を象徴する出来事です。

年月 出来事 夫婦関係への影響
1973年10月 築地本願寺で結婚式 2人の婚姻生活が始まる
1976年ごろ 別居生活を開始 長女の誕生前から別々に暮らす
1981年 内田さんが離婚届を提出 樹木さんが離婚無効を求めて提訴
1981年以降 東京地裁で離婚無効の判断 婚姻関係が継続する
2011年4月 ゼクシィのCMで夫婦初共演 結婚39年目にして広告で共演
2015年 樹木さんが夫婦関係についてテレビで語る 年に2回ほど会う関係でも結婚を肯定
2018年9月15日 樹木希林さん死去 約45年間の婚姻生活に区切り
2019年3月17日 内田裕也さん死去 約半年後に内田さんも逝去

この年表から分かるのは、2人の関係が単純な別居から離婚へ進む一般的な経過をたどらなかったことです。

特に2011年のゼクシィCMは象徴的でした。結婚39年目にして、リクルートの結婚情報誌「ゼクシィ」で初めて夫婦そろって広告に出演したのです。

CMでは、黒い和服姿の2人が少し距離を置いて座り、樹木さんが「結婚のいいところって何でしょうね」と問いかけます。内田さんが「ロックンロール!」と答えると、樹木さんが「こればっかり」と返す構成でした。

福山雅治さんの楽曲「家族になろうよ」が流れる中、一般的な結婚広告とは異なる2人らしい掛け合いが話題になりました。

長年別居していたからこそ、2人が並んで出演する姿には独特の説得力がありました。単に仲の良い夫婦を演じるのではなく、互いの個性を理解したうえで成立する関係を感じさせたのです。

【1981年の離婚届無効判決】なぜ内田裕也は離婚できなかったのか

内田裕也さんと樹木希林さんの夫婦関係を語るうえで、1981年の離婚届提出事件は避けて通れません。

報道によると、内田さんは樹木さんの同意を得ないまま、区役所に離婚届を提出しました。突然の出来事に対し、樹木さんは離婚を認めず、離婚無効を求めて東京地方裁判所に訴えを起こしました。

その結果、東京地裁では離婚無効の判断が下されました。つまり、離婚届が提出されたからといって、2人の婚姻関係が有効に解消されたわけではありませんでした。

ここで押さえておきたいのが、日本の協議離婚に関する法律上の原則です。

裁判所の公式案内によれば、協議離婚が有効に成立するには、離婚届を提出する時点で夫婦双方に離婚する意思が必要です。一方が相手に無断で届け出た場合、相手がその離婚を追認しない限り、原則として無効となります。

この事件でも、樹木さんが離婚に同意していなかったことが重要なポイントになりました。

一般に、離婚届は役所に提出して受理されれば離婚が成立するというイメージがあります。しかし、夫婦間の合意という実質的な要件が欠けていれば、法的に有効な離婚とは認められません。

この事件は、別居している夫婦であっても、法律上の婚姻関係と実際の生活状況は別々に考えなければならないことを示しています。

結果として、2人は離婚せず、別居状態のまま夫婦関係を継続しました。1981年の出来事は、2人の関係が単に仲が良かったから続いたのではなく、婚姻という法的なつながりを維持する意思も存在していたことを示す重要な出来事です。

【夫婦関係の真相】樹木希林が別居婚を続けた理由とは?

最も大きな疑問は、なぜ樹木さんが約45年間も離婚せずにいたのかという点でしょう。

その答えを考えるうえで重要なのが、樹木さん自身が残した言葉です。

2015年5月、樹木さんはフジテレビ系『SMAP×SMAP』に出演し、内田さんと会う頻度について「年に2度ぐらい」と説明しました。保険証を渡すときや介護保険料の報告をするときなどに会っていたといいます。

それでも、結婚して良かったかと尋ねられると、樹木さんは迷わず肯定しました。

さらに、内田さんについて、自分にとっての「重し」という表現を使っています。重しがなければ自分はどこへでも飛んでいってしまう、という趣旨の説明でした。

この言葉は、夫婦関係の真相を考えるうえで非常に重要です。

樹木さんにとって内田さんは、毎日同じ家で生活する相手ではありませんでした。しかし、自分の人生を考えるときに欠かせない存在だったのです。

朝日新聞の2018年のインタビューでも、樹木さんは45年間別居してきたことを振り返り、離婚してもよいと思いながら、内田さんが自分にとって支えになる部分もあると語っています。

また、年齢を重ねた後に再び同居することについても、老老介護の問題などを挙げ、現実的には難しいという考えを示していました。

つまり、別居を続けた理由は、単なる夫婦げんかや愛情の消失だけでは説明できません。

互いの生活を無理に一つにまとめず、それぞれの自由や仕事を維持しながら、必要なときに関係を確かめる。樹木さんにとっては、その距離感が2人の関係を保つ方法だったと考えられます。

一方、内田さんも2011年の記者会見などで離婚を否定し、結婚は一度きりという考えを示していました。夫婦のあり方に対する考え方は異なっていても、婚姻関係を解消しないという点では一致していたことが分かります。

さらに、樹木さんは2015年収録の未公開インタビューでも、年齢を重ねるにつれて互いの受け止め方が変わり、以前ほど衝突しなくなったと語っています。若いころには激しく対立した2人も、時間の経過とともに相手との距離の取り方を身につけていったのでしょう。

2025年に紹介されたこのインタビューは、長年の別居を単なる不仲として片付けられないことを改めて示しています。

【内田也哉子の証言と最後の言葉】両親の夫婦関係を娘はどう見ていた?

内田裕也さんと樹木希林さんの夫婦関係を理解するためには、長女の内田也哉子さんの証言も重要です。

也哉子さんは1976年2月11日に生まれ、母親を中心とした家庭で育ちました。父親が家にいないことが日常だった一方で、母親は父親の悪口をほとんど口にしなかったと、女性自身のインタビューで振り返っています。

思春期になった也哉子さんは、なぜ母親が父親との夫婦関係を続けるのか疑問を持ち、本人に問いただしたことがあったそうです。

そのとき樹木さんは、娘に苦労をかけることを詫びながらも、自分の人生には内田さんが必要な存在だという趣旨の答えを返したといいます。

また、樹木さんには最初の結婚で離婚を経験した過去がありました。女性自身の報道によると、その際に両親、特に父親が深く悲しむ姿を見たことから、再婚するならどんな試練があっても添い遂げようという覚悟を持っていたとされています。

この証言からは、樹木さんが結婚を単なる同居生活として捉えていなかったことが分かります。内田さんとの関係には苦労もありましたが、本人なりの人生観や責任感が、婚姻を続ける選択につながっていたのでしょう。

樹木希林の最後の言葉として報じられたもの

樹木さんと内田さんの晩年については、心に残るエピソードも伝えられています。

2018年8月、樹木さんは左大腿骨を骨折して手術を受けました。その際、内田さんに電話をかけ、「今まで悪かったわね」と伝えたと報じられています。

また、入院生活の最後の1カ月には、内田さんに会いたいと繰り返し話していたとも伝えられました。

これらの報道からは、長年別々に暮らしていた夫婦の間にも、最後まで相手を思う気持ちが残っていたことがうかがえます。

一方、映画『転がる魂・内田裕也 ザ・ノンフィクション』で樹木さんが語った最後のセリフとして知られるのが、「きょうまでの人生、上出来でした」という言葉です。さらに、内田さんについて「面白かったわね」と伝える内容も含まれていました。

これは映画内のナレーション・セリフとして記録されたもので、臨終時に発した実際の最後の言葉と混同してはいけません。それでも、夫婦の関係を振り返るうえで印象的な言葉として残っています。

2018年・2019年の死去と2026年現在の状況

樹木希林さんは2018年9月15日午前2時45分、東京都渋谷区の自宅で75歳で亡くなりました。報道では、乳がんの全身転移が死因と説明されています。

内田さんは妻の訃報を受け、報道各社にコメントを発表しました。妻の本名である「啓子」と呼びかけ、「今までありがとう」「見事な女性でした」と感謝と敬意を伝えています。

内田さんは樹木さんの告別式で喪主を務め、車いすで参列しました。長年別居していた夫婦でしたが、最後の別れの場には夫として立ち会ったのです。

その後、内田裕也さんも2019年3月17日午前5時33分ごろ、肺炎のため東京都内の病院で79歳で亡くなりました。所属事務所が発表した公式コメントでは、闘病生活を送りながらもロックンロール人生を全うしたことが伝えられています。

2026年現在、2人はともに故人です。1973年の結婚から樹木さんが亡くなる2018年まで、約45年にわたる婚姻関係が続きました。

なお、2025年4月には也哉子さんがテレビ番組で、両親の遺影が自宅の同じ部屋にありながら約1メートル離れて置かれている理由を説明しています。生前、一緒に過ごす時間が少なかったため、急に写真を隣同士に並べると不自然に感じるという趣旨でした。

亡くなった後も、2人の距離感をそのまま尊重する娘の姿勢は、約45年間続いた別居婚の実態を象徴するエピソードといえます。

【内田裕也樹木希林】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:内田裕也と樹木希林の結婚はいつですか?
A1:1973年10月です。2人は同年10月10日に築地本願寺で挙式しました。出会いはテレビドラマ『時間ですよ』の撮影現場で、かまやつひろしさんがきっかけとなりました。

Q2:内田裕也と樹木希林はなぜ別居していたのですか?
A2:激しい夫婦げんかや生活習慣・価値観の違いが背景にありました。樹木さんは妊娠中、子どもを守るために別居を決意したと、長女の也哉子さんが証言しています。実際に一緒に暮らした期間は3カ月にも満たなかったと樹木さん自身が語っています。

Q3:内田裕也が提出した離婚届は有効になったのですか?
A3:いいえ。1981年に内田さんが樹木さんの同意を得ずに離婚届を提出しましたが、樹木さんが離婚無効を求めて提訴し、東京地裁で離婚無効の判断が下りました。そのため、2人は離婚せず婚姻関係を継続しました。

Q4:内田裕也と樹木希林の子どもは誰ですか?
A4:長女の内田也哉子さんです。1976年2月11日生まれのエッセイストで、俳優の本木雅弘さんと結婚しています。両親の別居生活や独特の夫婦関係について、テレビやインタビューなどで自身の経験を語っています。

Q5:樹木希林と内田裕也はいつ亡くなりましたか?
A5:樹木希林さんは2018年9月15日に75歳で死去しました。内田裕也さんはその約半年後の2019年3月17日に79歳で亡くなっています。

Q6:2026年現在、2人の夫婦関係はどうなっていますか?
A6:2人ともすでに亡くなっています。1973年の結婚から樹木さんの死去まで約45年間、法律上の婚姻関係を維持しました。正式な離婚が成立したことはありません。

内田裕也さんと樹木希林さんの夫婦関係は、1973年の結婚から始まり、約1年半後の別居、1981年の離婚届提出と無効判決を経て、2018年の樹木さんの死去まで約45年間続きました。

2人が別居しながらも夫婦であり続けた理由は、一つではありません。激しい衝突、異なる生活スタイル、子どもを守るための決断、そして樹木さん自身が語った内田さんの存在の大きさなど、さまざまな要素が重なっていました。

樹木さんにとって、内田さんは一緒に暮らすことが難しくても、人生から切り離せない存在でした。内田さんもまた、離婚を否定し、妻への愛情や敬意を最後まで示しています。

この夫婦を理解する際に大切なのは、同居していたかどうかだけで夫婦の実態を判断しないことです。法律上の婚姻関係、日常生活の距離、本人たちの言葉、家族の証言をそれぞれ分けて見る必要があります。

もちろん、2人の生き方をすべての夫婦に当てはめることはできません。別居が必ずしも愛情の証明になるわけでもありません。しかし、夫婦の幸せには一つの決まった形だけがあるわけではないということを、2人の45年間は強く印象づけています。

最後まで互いに独自の生き方を貫きながら、夫婦という関係を手放さなかった内田裕也さんと樹木希林さん。その型破りな結婚生活は、2026年現在も多くの人が関心を寄せる、忘れがたい夫婦の記録として残っています。

主な参照資料・報道

- 朝日新聞「人生の贈りもの」樹木希林さんのインタビュー
- 日刊スポーツによる別居生活・離婚無効判決・夫婦共演の報道
- 女性自身による内田也哉子さんの証言(2024年12月)
- 裁判所「協議離婚無効確認調停」の公式案内
- スポニチ・オリコンなどによる2018年、2019年の訃報報道
- 2025年4月の日刊スポーツによる内田也哉子さんのテレビ出演報道



同じカテゴリの記事

如月 なお
コンテンツディレクター 如月 なお
プロフィールを見る →

アイドルグループのリリース情報とライブ告知を追いかけて8年。卒業や加入の発表は必ず公式発表の日付とあわせて記録しています。

おすすめの関連記事