明治期に導入されたブルマーは、すぐに全国の学校へ広がったわけではない。
日本各地の小中学校で、現在一般に想像される密着型ブルマーが急速に普及するのは、1960年代半ば以降である。
その背景には、東京オリンピック、学校スポーツの拡大、体育団体と衣料メーカーの関係という、複数の要因があった。
1964年の東京オリンピックが与えた影響1964年(昭和39年)の東京オリンピックは、日本人のスポーツ観や女性アスリートへの認識を変える大きな出来事だった。
山本雄二の著書『ブルマーの謎 〈女子の身体〉と戦後日本』では、東京オリンピックの女子体操競技が、密着型ブルマーを受け入れる文化的な背景の一つになったと分析されている。
テレビ中継などを通じて、女子体操選手のレオタード姿や躍動する身体が広く紹介され、女性の身体をスポーツの観点から肯定的に捉える意識が広がったという見方だ。
ただし、オリンピックだけがブルマー普及の原因だったわけではない。実際の普及過程には、学校体育の運営やメーカーの販売戦略も深く関わっていた。
中体連と衣料メーカーの関係が普及を後押し密着型ブルマーの普及を理解するうえで重要なのが、全国中学校体育連盟(中体連)と衣料メーカーの関係である。
この経緯は、教育社会学者・山本雄二が2016年に刊行した研究書で詳しく検証されている。
注目されるのが、中学校体育振興会(中体振)方式と呼ばれる仕組みだ。
当時、中体連は全国規模の競技大会を運営するための資金確保に課題を抱えていた。そこで、関連団体の推薦マークを衣料メーカーに使用させ、その見返りとして売上の一部を支援金として受け取る仕組みが作られた。
メーカー側には、学校体育関係団体の推薦を受けた製品として販売できる利点があった。
この仕組みに関係したのが、現在の菅公学生服の前身である尾崎商事株式会社だ。
同社の公式沿革にも、1966年(昭和41年)に全国中学校体育振興会から全国唯一の体育衣料指定メーカーとして推薦指定を受けたことが記載されている。
研究書の書評によれば、この提携によって中体連の財政基盤が強化される一方、メーカーも体育衣料の販路を広げることができた。販売代理店による学校への営業活動も普及を後押しした。
ブルマーはなぜ約30年間も定着したのか普及の背景には、学校という組織の特徴もあった。
一度、学校指定の体操服として採用されると、生徒が個人の好みで別の服装を選ぶことは難しい。学校単位で同じ製品を採用する仕組みは、メーカーにとって安定した市場を生み出す。
また、戦前から続いていたスカートの下に別の衣服を着用する習慣や、戦後のスポーツ振興も、ブルマーが受け入れられる文化的な土壌になったと山本は分析している。
一方で、運動に適した服装という学校側の合理性と、実際に着用する女子生徒の快適さは必ずしも一致していなかった。
朝日新聞の書評でも、当時の女子生徒の中には身体のラインが見えることへの抵抗感を抱く人がいた一方、教育者側はその気持ちを十分に受け止めてこなかったという問題が指摘されている。
【1990年代の廃止】ブルマーはなぜ姿を消した?社会意識と女子生徒の声

1990年代に入ると、長年女子の標準的な体育着だった密着型ブルマーに対する見方が大きく変わり始める。
その理由は、単純にファッションの流行が変わったからではない。
着用する女子生徒の抵抗感、ブルマーの性的な商品化、セクシュアルハラスメントへの社会的認識、代替となるハーフパンツの普及が重なった結果だった。
1993年のシンガポール日本人学校問題廃止に向かう転機として知られるのが、1993年(平成5年)に起きたシンガポール日本人学校中等部のブルマー統一問題である。
それまで同校では、体育の服装としてショートパンツやキュロット、ブルマーなどを選択できた。
ところが、新任の保健体育教師がブルマーへの統一を提案し、それ以外の服装を認めない方針が問題になった。
女子生徒たちは、身体の露出や周囲からの視線に対する不安を訴え、反対の声を上げた。
この問題は1993年11月22日付の朝日新聞で取り上げられ、学校側の対応に対する批判的な意見が広がった。
重要なのは、ブルマーの機能性をめぐる議論から、本人が望まない服装を学校が強制してよいのかという問題へ、論点が移ったことだ。
1994年にも、女子生徒による着用義務への異議申し立てや、生徒会による改善要求などが報じられ、ブルマーの強制に対する批判は学校現場へ広がっていった。
ブルセラブームと性的なまなざしの問題1990年代のブルマー廃止を語るうえで避けられないのが、ブルセラブームである。
ブルセラとは、ブルマーとセーラー服を組み合わせた呼称で、使用済みの制服や体操服などが一部の店舗で売買される現象を指した。
本来は学校生活で使用する衣服だったものが、性的な関心の対象として商品化されるようになった。
これに伴い、学校の体育着や制服をめぐる盗難、盗撮などへの警戒も強まった。
集英社オンラインが2024年に掲載したジャーナリスト・渋井哲也氏への取材記事でも、ブルセラショップの登場や性的なイメージの拡大が、学校側の廃止判断を後押しした背景として紹介されている。
ただし、ブルセラブームだけを廃止の原因と考えるのは正確ではない。
それ以前から女子生徒の間には、身体のラインが見えることや、下着がはみ出すことへの不快感が存在していた。社会がその問題を認識し、学校に改善を求めるようになったことが大きい。
セクシュアルハラスメントへの認識の変化もう一つの重要な要因が、セクシュアルハラスメントという概念の社会的な浸透である。
1989年には、セクシュアルハラスメントが新語・流行語大賞に選ばれた。
職場や学校での性的な言動が問題として認識され始め、本人の意思を無視した身体的な扱いや服装の強制にも疑問が向けられるようになった。
それまで学校では、体育に適した服装であるという理由から、指定された体操着を着用することが当然視されていた。
しかし、女子生徒の立場から考えると、運動性能だけでは説明できない問題があった。
- 身体のラインが強調されることへの抵抗感
- 思春期の身体の変化に伴う恥ずかしさ
- 周囲からの視線や盗撮への不安
- 着用する服装を自分で選べないことへの不満
これらは、体育着を選定する際に見落とされていた着用者側の問題だった。
山本雄二の研究では、1990年代半ば以降にセクハラ概念が浸透し、ハーフパンツという代替物が普及したことが、ブルマー消滅の直接的な契機になったと整理されている。
ハーフパンツへの移行で何が変わった?ブルマーに代わって広まったのが、ハーフパンツだった。
ハーフパンツは、従来の密着型ブルマーと比較して丈が長く、脚の露出を抑えられる。スポーツウェアとしても使いやすく、学校生活や休み時間などにも対応しやすい。
また、男女で共通のデザインを採用しやすいことも、学校側にとってメリットとなった。
1990年代以降、各学校でハーフパンツへの切り替えが進み、2000年前後にはブルマーを標準的な体育着として使用する学校は大幅に減少した。
ただし、全国一律に特定の日から廃止されたわけではない。学校ごとに切り替えの時期は異なり、2000年代まで使用が続いた学校もあった。
この変化は、単なる衣服のデザイン変更ではない。体育着を決める際に、運動機能だけでなく、着用する本人の気持ちやプライバシーも考慮する必要があるという認識が広がったことを意味している。
【2026年現在の学校体操服】ブルマーは完全に消えた?男女共通デザインの実態
2026年現在、一般的な学校の体育着として、密着型ブルマーはほぼ過去のものとなっている。
現在の学校体操服は、半袖シャツ、ハーフパンツ、長袖ジャージなどを組み合わせたスタイルが中心だ。
ただし、日本全国の学校が同じデザインを採用しているわけではない。
2026年度の学校資料から見る体操服の実例具体例として、2026年度の大阪府豊中市立桜井谷小学校の入学案内が挙げられる。
同校の案内では、体操服について次のように説明している。
- 体操シャツ:白色の半袖
- 体操ズボン:青・紺系統のハーフパンツ
- 丈:3分丈または5分丈
- 男女共通
- 学校指定品は設けず、条件に合ったものを各家庭で用意する
これは、現在の学校体操服がどのような方向へ変化しているかを示す具体的な例だ。
一方、東京都港区の2026年2月の公式回答では、各学校が機能性、価格、学校の特色などを考慮して体育着の推奨品を定めていると説明している。教育委員会が全校共通のデザインを一律に指定する方針はないという。
つまり、2026年現在の学校体操服は、男女共通化やハーフパンツ化が進む一方、学校ごとの裁量も残されている。
現在の体操服選びで重視される5つのポイント学校体操服の選定では、従来のような見た目の統一だけでなく、実際に使用する児童・生徒や保護者の負担も考慮されるようになっている。
| 判断基準 | 現在重視されるポイント |
|---|---|
| 運動性能 | 走る、跳ぶ、屈伸する動作を妨げない |
| 快適性 | 吸汗性、速乾性、通気性 |
| プライバシー | 身体の露出や着用時の不安を抑える |
| 選択の自由 | 性別にかかわらず選べるデザイン |
| 経済性 | 購入価格、耐久性、買い替えの負担 |
文部科学省も2025年6月25日付の通知で、学校指定品の選定や学用品購入に伴う保護者の経済的負担を軽減する取り組みを各教育委員会に促している。
制服や体操服についても、業者選定の公平性や価格、品質を考慮する事例が紹介されている。
体操服は単なる学校の備品ではなく、毎日の授業で児童・生徒が身に着ける生活用品でもある。機能性と価格、着用者の意思をどう両立するかが、2026年現在の課題になっている。
【プロの結論】ブルマーの歴史が教える学校体育と女性の服装規範ブルマーの歴史を振り返ると、明治期と昭和期では、同じ衣服でも社会的な意味が大きく異なっていたことが分かる。
アメリカでは女性の服装改革を象徴する衣服として登場し、日本では女子体育の発展を支える運動着として導入された。
その後、戦後のスポーツ振興や1960年代の学校体育の仕組み、衣料メーカーの販売戦略などによって密着型が広まった。
ところが、1990年代には、着用者の不快感や性的なまなざしへの懸念が社会問題として認識され、ハーフパンツへの移行が進んだ。
ここから読み取れる重要なポイントは3つある。
1. 服装の機能性と着用者の快適性は同じではない。
学校側が運動しやすいと判断した服装でも、実際に着用する生徒が快適に感じるとは限らない。
2. 学校の指定品は社会の価値観を反映する。
体操服は、単に運動するための道具ではない。性別による服装の区別や、身体に対する社会的な見方も反映してきた。
3. 服装の選択には当事者の意見が欠かせない。
1990年代のブルマー廃止では、女子生徒自身が不満や問題点を訴えたことが変化の大きなきっかけとなった。
学校の服装を決める際には、伝統や慣習だけでなく、実際に着用する児童・生徒の声を反映することが求められる。
【体操服ブルマ】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:ブルマーを最初に考案した人物は誰ですか?
A1:初期のブルマー型衣服を考案した人物として知られるのは、アメリカのエリザベス・スミス・ミラーです。アメリア・ブルーマーが新聞『The Lily』などで紹介し、広めたことから、その名前が衣服の呼称として定着しました。
Q2:日本でブルマーが普及したのは何年代ですか?
A2:日本の女子体育では明治期から導入されていましたが、現在知られる密着型ブルマーが学校で急速に普及したのは1960年代半ばです。中体連と衣料メーカーの関係や東京オリンピック後のスポーツ文化の変化などが背景にありました。
Q3:ブルマーが廃止されたのは何年ですか?
A3:全国一斉の廃止年はありません。1990年代半ばからハーフパンツへの移行が急速に進み、2000年前後には多くの学校で姿を消しました。学校によっては2000年代まで使用が続いた例もあります。
体操服ブルマの歴史は、19世紀アメリカの女性服装改革から始まり、明治期の井口阿くりによる女子体育教育への導入、戦後の学校体育への定着、1960年代の密着型ブルマーの普及、1990年代以降の廃止という流れをたどってきた。
特に重要なのは、ブルマーの普及と廃止のどちらにも、学校制度や社会の価値観が深く関わっていたことだ。普及には体育団体とメーカーの仕組みが影響し、廃止には女子生徒の声やセクシュアルハラスメントへの認識の変化が影響した。
2026年現在、学校体操服はハーフパンツやジャージを中心に、男女共通のデザインや学校ごとの選択肢を取り入れる方向へ変化している。
ブルマーが学校から姿を消したことは、単なる昭和の流行の終わりではない。学校が決めた服装を生徒が受け入れるという従来の考え方から、着用する本人の快適性や尊厳、選択する権利を重視する考え方への転換を象徴する出来事だったのである。
主な参考資料・研究
- 難波知子・渡部旬子「お茶の水女子大学所蔵資料 セーラー・ブルーマー型体操服の来歴と構成」(2023年)
- 梶原宏子「明治後期の日本における女子体育の発展」(2011年)
- 高橋一郎ほか『ブルマーの社会史-女子体育へのまなざし-』(青弓社、2005年)
- 山本雄二『ブルマーの謎 〈女子の身体〉と戦後日本』(青弓社、2016年)
- 文部科学省「学校における補助教材及び学用品等に係る保護者等の負担軽減について」(2025年6月25日)
- お茶の水女子大学所蔵の大正期セーラー・ブルマー型体操服資料
- カンコー学生服公式企業沿革資料
- 集英社オンライン「ブルマー論争」に関する取材記事(2024年11月30日)