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山瀬まみと大竹まことの号泣事件とは?1988年の口論、日テレ出禁と和解の真相を2026年視点で徹底解説

早瀬 智也 早瀬 智也 • 更新: • 公開: • 読了約 18 分
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山瀬まみと大竹まことの名前を一緒に検索すると、必ずといっていいほど浮上するのが、1988年に日本テレビ系で放送された『タモリのいたずら大全集』での口論・号泣事件です。番組内で起きた激しいやり取りは、衣装をめぐるトラブルからスタジオセットの破壊にまで発展。その後、大竹まことが日本テレビを長期間出入り禁止になったという、芸能界でも語り継がれる出来事となりました。

この騒動が再び注目されたのは、2025年3月5日放送のテレビ東京『あちこちオードリー』です。大竹本人が当時の出来事と日本テレビ出入り禁止の経緯を振り返り、収録番組だったことや、局の入口で出演を止められた経験まで明かしました。さらに、2011年には山瀬まみ自身も当時の映像を見ながら事件について語っています。両者の証言と過去の共演情報を照らし合わせると、長年の確執がどのように変化したのかが見えてきます。

【事件の発端】1988年『タモリのいたずら大全集』で何が起きたのか?

山瀬まみ大竹まこと

騒動の舞台となったのは、1988年に日本テレビ系で放送された特別番組『タモリのいたずら大全集』です。

当時の山瀬まみは18歳。1985年の第10回ホリプロタレントスカウトキャラバンで優勝し、1986年3月にシングル『メロンのためいき』で歌手デビューしたばかりの若手タレントでした。

一方の大竹まことは、シティボーイズのメンバーとして活動する傍ら、テレビでは過激な言動や怒りを前面に押し出す芸風で人気を集めていました。

事件のきっかけは、大竹が山瀬に向かって放った「山瀬、お前失恋したんだってな」という趣旨の発言です。

山瀬はこの問いかけに反応し、番組内で大竹に応戦しました。当初はバラエティー番組らしい掛け合いとして始まったやり取りでしたが、次第に激しさを増し、口論から身体を使った争いに発展していきます。

2011年11月26日付のTechinsightの記事によると、この騒動は同年11月24日放送のTBS系『スパモク!!』でも取り上げられ、当時の映像を見ながら山瀬本人がコメントしていました。

この番組で大竹は当時を振り返り、山瀬が泣いたことについて「山瀬が泣いたのが許せなかった」と説明したと報じられています。

この発言は事件を理解するうえで重要です。単純に二人が口論したというだけではなく、大竹の過激な芸風と、相手が本当に傷ついてしまった状況との間に大きな隔たりがあったことがうかがえます。

【号泣事件の全貌】山瀬まみの衣装・ジーンズと大竹まことのセット破壊

事件が伝説的な騒動として記憶される理由は、口論が衣装をめぐるトラブルに発展し、最終的には番組セットの破壊まで起きたためです。

当時の状況については、2011年のTechinsightの記事と2025年の女性自身の記事で、具体的な描写が紹介されています。

Techinsightの記事では、大竹が山瀬を押し倒し、上着をはぎ取ったことで山瀬が泣き出したと説明されています。一方、2025年3月6日付の女性自身の記事では、大竹が山瀬の衣装であるジーンズを脱がせようとしたと報じられています。

衣装のどの部分に手をかけたかについては報道によって描写に違いがありますが、共通しているのは、大竹の行動がエスカレートし、山瀬が泣き出す事態になったという点です。

騒動がセット破壊にまで発展した理由

さらに事態を悪化させたのが、マイクをめぐるやり取りでした。

騒動の最中、大竹のピンマイクが壊れていたことに気づいた山瀬は、大竹に対して「マイク壊してんじゃねーよ、バカ」という趣旨の言葉を投げかけたと報じられています。

これに対し、大竹は「壊すとはこういうことを言うんだよ」という趣旨の発言をし、番組のスタジオセットを壊す行動に出ました。

単なる出演者同士の言い合いでは収まらず、収録現場の設備にまで被害が及んだことで、騒動は番組制作側にとっても深刻な問題となりました。

この一件は、現在では「山瀬まみ号泣事件」「大竹まことセット破壊事件」などの呼び方で紹介されています。

なお、衣装をめぐる出来事については、後年の記事によって表現が異なります。上着をはぎ取ったという説明と、ジーンズを脱がせようとしたという説明を、完全に同一の描写として扱うことはできません。

【2025年の本人証言】事件は生放送ではなかった?『あちこちオードリー』で明かされた真相

この事件を理解するうえで、特に重要なのが2025年3月5日放送のテレビ東京『あちこちオードリー』です。

出演したのは、大竹まこと、きたろう、斉木しげるの3人からなるシティボーイズ。番組では、かつての大竹の破天荒なテレビ出演や、日本テレビを出入り禁止になった騒動が話題になりました。

テレビ東京の公式ウェブメディア「テレ東プラス」は、翌6日に放送内容を紹介。オードリーの春日俊彰が、かつて大竹がセットを壊したり山瀬を泣かせたりしたことに触れると、大竹は「思い出したくないこと言うなよ」と反応したと伝えています。

大竹本人が明かした「録画だった」という事実

この放送で注目されたのが、事件が生放送ではなく録画だったという点です。

大竹は、当時の番組について「あれだって録画だからね」と説明。放送するかどうかは日本テレビ側にも判断する余地があったという趣旨の発言をしています。

さらに、大竹は『夕やけニャンニャン』については生放送だったと区別し、そちらでの自身の行動については「俺が悪かった」と振り返りました。

つまり、2025年の発言から読み取れるのは、大竹自身が当時の破天荒なキャラクターを認識していたこと、そして収録番組と生放送では制作側の対応も異なると考えていたことです。

2025年の回顧で明らかになった出禁の実態

大竹は、日本テレビへの出入り禁止が単なる芸能界の噂ではなかったことも明かしました。

あるとき、いとうせいこうとシティボーイズのメンバーで日本テレビの番組に出演することになったといいます。

リハーサルが終わり、本番に入ろうとしたところ、入口でスタッフに呼び止められ、大竹だけがスタジオに入れなかったというのです。

斉木しげるときたろうは、そのままスタジオに入っていきました。大竹はこの経験を通じて、自分が本当に出入り禁止になっていたことを実感したと語っています。

このエピソードは、2025年のテレビ東京公式記事でも紹介されており、騒動後の処遇を知るうえで重要な本人証言です。

【日本テレビ出入り禁止】常滑川まことというキャラクターと17年・20年説の違い

大竹まことがなぜ当時あれほど過激な振る舞いをしていたのか。その背景には、テレビで演じていたキャラクターの存在があります。

テレビで演じていた「常滑川まこと」

大竹はシティボーイズとしての活動とは別に、テレビでは「常滑川まこと」という破天荒なキャラクターを作っていました。

1986年にはフジテレビ系『夕やけニャンニャン』の司会に抜擢され、テレビ画面では強烈な個性を発揮。番組内での怒りや過激な言動が、彼のキャラクターを形作っていきました。

2025年の『あちこちオードリー』でも、大竹は当時の考え方について、劇場に戻れば観客がいるという意識があったと説明しています。

テレビでヒール役を演じても、舞台という別の活動場所があったため、テレビの中では好きなように振る舞えたというわけです。

ただし、キャラクターとしての過激さと、共演者に実際の精神的・身体的負担を与える行為は別問題です。山瀬が泣き出したことやセット破壊にまで至ったことは、芸風の範囲を超えた問題として残りました。

出禁期間は17年なのか20年以上なのか?

大竹の日本テレビ出入り禁止については、報道や紹介記事によって期間の表現に違いがあります。

約20年とする記事が多い一方、17年という数字も二次資料で紹介されています。2025年の『あちこちオードリー』の公式紹介記事は、出禁の事実と入口で止められた経験を取り上げていますが、正確な開始日や解除日までは示していません。

そのため、特定の年数を確定した数字として断言するよりも、長期間にわたって日本テレビへの出演が制限されていたという理解が適切です。

事件から2025年の回顧までの時系列
時期 出来事 確認できる内容
1985年 山瀬まみが芸能界入り 第10回ホリプロタレントスカウトキャラバン優勝
1986年 山瀬が歌手デビュー 『メロンのためいき』を発売
1986年 大竹がテレビで活躍 『夕やけニャンニャン』で常滑川まこととして活動
1988年 山瀬と大竹の口論事件 『タモリのいたずら大全集』で号泣・セット破壊騒動
事件後 日本テレビへの出入り禁止 大竹本人が後年、局の入口で出演を止められた経験を回顧
2011年 山瀬本人が事件を振り返る TBS系番組で当時の映像を見ながらコメント
2025年3月5日 大竹本人が騒動を回顧 テレビ東京『あちこちオードリー』で出禁の経緯を説明

この時系列から分かるのは、1988年の一件が一時的な番組内トラブルにとどまらず、出演者と芸能事務所、テレビ局との関係にまで影響したことです。

【共演NGと和解】山瀬まみと大竹まことはその後どうなった?

事件後、二人の関係が長期間にわたって注目された理由の一つが、共演NG説です。

この点については、2011年のTechinsightの記事に、山瀬本人の具体的な説明が掲載されています。

山瀬の所属事務所が共演を調整していた

山瀬は当時の状況について、しばらくの間、所属事務所の判断で大竹と共演しないようにしていたと説明しています。

つまり、二人の共演が途絶えたことには、単なる本人同士の感情だけでなく、芸能事務所側の仕事上の判断も関係していました。

若手タレントだった山瀬にとって、番組収録で起きた出来事は決して小さな問題ではありません。事務所がその後の共演を調整したことは、タレントを守るマネジメントの観点からも理解できる対応です。

2011年に山瀬が語った意外な再会

しかし、二人の関係は永遠に断絶したままではありませんでした。

山瀬によると、時間が経過するにつれて担当マネージャーが交代し、当時の騒動を知らない関係者も増えていきました。

そして、ある仕事現場で大竹が隣の席になったことがあったといいます。

その際、山瀬は「仕方がないので、隣に座って普通に仕事しましたよ」と振り返っています。

この発言は、共演NG説を考えるうえで非常に重要です。少なくとも2011年の時点で、山瀬は大竹と同じ現場で仕事をすることを受け入れていました。

和解はいつ成立したのか?

二人の関係については、2008年ごろに謝罪して和解したという説明も一部の芸能情報サイトで紹介されています。

ただし、広く確認できる本人コメントから読み取れるのは、事務所による共演調整があった時期を経て、後年には同じ現場で普通に仕事ができる関係になったという経緯です。

重要なのは、共演NGが永久に続いたわけではないという点です。

また、山瀬が2011年に事件を振り返っていること自体も、過去の出来事を語れる段階まで関係が変化していたことを示しています。

したがって、二人の和解は、ある日突然すべてが解決したというよりも、時間の経過とともに仕事上の距離が縮まり、普通に共演できる状態へ移行したと捉えるのが自然です。

【プロの結論】山瀬まみと大竹まことの事件から分かる共演NG説の本質

この騒動を単純な芸能人同士の喧嘩として扱うと、事件の本質を見誤ります。

1980年代のバラエティー番組では、出演者の強い個性や過激な掛け合いが番組の見どころとして扱われることがありました。大竹の常滑川まことというキャラクターも、そうしたテレビの演出環境の中で存在感を発揮していたものです。

しかし、番組を盛り上げるための演技と、相手の意思や身体的な境界を尊重しない行為は同じではありません。

この事件には、当時のテレビ制作の問題点が凝縮されています。

判断基準1:キャラクターと本人の行動を区別する

大竹がテレビでヒール役を演じていたことは、2025年の本人の回顧でも明らかになっています。しかし、キャラクター設定があったからといって、すべての行動が演出として正当化されるわけではありません。

判断基準2:共演NGと永久的な絶縁は別物

事件後に事務所が共演を調整していたことは山瀬本人が語っています。一方、後年には隣席で普通に仕事をしたとも話しています。過去の共演NGを、その後も一生続く確執と同一視するのは正確ではありません。

判断基準3:本人の回顧と第三者の解説を照合する

2025年の大竹の発言だけでなく、2011年の山瀬の説明も合わせて考えることが大切です。大竹は出禁になった経緯を語り、山瀬は共演を避けていた時期と、その後の仕事現場での対応を明かしています。

双方の発言を組み合わせることで、騒動の発生、事務所による共演調整、日本テレビの出演制限、そして後年の関係改善という流れが理解できます。

この事件が現在も語り継がれる理由は、単にセットを壊したという派手な出来事だけではありません。テレビの笑いと出演者の尊厳、そして番組制作側の責任という、現在のエンターテインメントにも通じる問題を含んでいるからです。

【山瀬まみ大竹まこと】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:山瀬まみと大竹まことの喧嘩事件は何年に起きた?
A1:1988年です。日本テレビ系『タモリのいたずら大全集』で起きた口論が、衣装をめぐるトラブルやスタジオセットの破壊にまで発展しました。

Q2:山瀬まみは大竹まことにジーンズを脱がされたの?
A2:2025年の女性自身の記事では、大竹が山瀬のジーンズを脱がせようとしたと紹介されています。一方、2011年のTechinsightの記事では上着をはぎ取ったと説明されています。衣装に関する具体的な描写には報道による違いがあります。

Q3:大竹まことは本当に日本テレビを出入り禁止になった?
A3:はい。2025年3月5日放送の『あちこちオードリー』で、大竹本人が日本テレビの入口で止められ、自分だけ出演できなかった経験を明かしています。期間については約20年とする報道などがあります。

Q4:山瀬まみと大竹まことは現在も共演NG?
A4:永久的な共演NGではありません。山瀬は2011年の番組で、後年に大竹と同じ仕事現場で隣に座り、普通に仕事をしたと説明しています。

Q5:2025年の『あちこちオードリー』で大竹まことは何を語った?
A5:1988年の騒動と日本テレビ出入り禁止について振り返りました。事件が録画番組だったことや、後年に日本テレビの入口で自分だけ出演を止められた経験などを語っています。

山瀬まみと大竹まことの間に起きた1988年の騒動は、『タモリのいたずら大全集』での口論から始まり、山瀬の号泣、衣装をめぐるトラブル、そして大竹によるスタジオセット破壊へと発展した出来事でした。

その後、大竹は日本テレビへの出入り禁止となり、山瀬の所属事務所も二人の共演をしばらく調整していました。しかし、2011年には山瀬自身が後年の仕事現場で大竹の隣に座り、普通に仕事をしたと説明しています。

さらに2025年3月の『あちこちオードリー』では、大竹本人が騒動と出禁の実態を回顧。事件が録画だったことや、日本テレビの入口で出演を止められた経験など、当事者の視点から当時の状況が語られました。

2026年現在、この話題を理解するために押さえておきたいのは、1988年の騒動だけではなく、その後の共演調整、関係の変化、そして両者による後年の回顧です。

山瀬まみは1985年の芸能界入りから長く活動を続け、所属事務所の公式プロフィールではラジオ番組『it!!』や『新婚さんいらっしゃい!』への出演情報も紹介されています。一方、大竹まこともシティボーイズとしての活動やラジオ、テレビ出演を続けています。

かつての過激なテレビ演出を懐かしむだけでは見えてこない、出演者の尊厳や制作現場の責任。そして、時間を経て変化した人間関係。山瀬まみと大竹まことの事件は、昭和のテレビ文化を振り返るうえでも、今なお考えさせられるエピソードです。

主な参照資料

- テレビ東京「テレ東プラス」2025年3月6日『大竹まこと、破天荒キャラでセットを壊して日テレ出禁に!?』
- 女性自身 2025年3月6日「入り口のドアで止められて」大竹まことが激白した“日テレ出禁騒動”
- Techinsight 2011年11月26日「『泣いたのが許せなかった。』大竹まことvs山瀬まみ事件の真実。」
- ホリプロ公式プロフィール「山瀬まみ」

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早瀬 智也
トレンドリサーチャー 早瀬 智也
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芸能担当12年。所属事務所の公式リリース、番組公式サイト、配信サービスの告知を一次情報として照合し、出典が確認できない話は記事に載せない方針で編集しています。

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