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ピンク・レディーのミー未唯mieは現在何をしている?本名・芸名と50周年の活動を徹底解説

一之瀬 美緒 一之瀬 美緒 • 更新: • 公開: • 読了約 19 分
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1970年代に日本中を熱狂させたピンク・レディー。そのメンバーだったミーこと未唯mie(みい)は、2026年現在、どのような活動を続けているのでしょうか。

実は、未唯mieは芸能界から引退したわけではありません。歌手としてのソロ活動を続け、2026年9月にはデビュー50周年・ソロデビュー45周年を記念したコンサートを開催。新曲「Anti Limit」もリリースし、現在もステージに立ち続けています。

本名は根本美鶴代。ピンク・レディー解散後はMIE、未唯、未唯mieと芸名を変えながら、歌手・女優としてキャリアを重ねてきました。一方、相方のケイこと増田惠子も2026年にソロデビュー45周年を迎えています。2人の現在の関係や、不仲説の真相も気になるところです。

【2026年現在】ピンク・レディーのミー・未唯mieは何をしている?

ピンクレディミー現在

2026年11月現在、未唯mieは歌手・女優として活動を継続しています。ピンク・レディー時代の楽曲を歌い継ぐだけでなく、ソロ名義での新曲発表やライブ活動にも力を入れています。

2026年はピンク・レディーのデビュー50周年、そして未唯mie自身のソロデビュー45周年という二つの記念すべき年です。

ビクターエンタテインメントの公式アーティスト情報によると、2026年9月16日にはシングル「Anti Limit」をリリースしました。収録曲にはリミックス作品なども含まれており、過去のヒット曲を懐かしむだけではない、現在進行形の音楽活動がうかがえます。

さらに、2026年9月19日には東京国際フォーラム・ホールCで「未唯mie DEBUT 50th&SOLO 45th Anniversary Celebration」を開催しました。

この記念公演では、最新曲「Anti Limit」からソロ楽曲、ピンク・レディー時代の代表曲までを披露。音楽監督の井上鑑をはじめ、バカボン鈴木、土方隆行、鶴谷智生、村田陽一、金原千恵子ら実力派ミュージシャンが参加しました。

公演の模様は、2026年11月21日午後6時からCS放送のTBSチャンネル1でテレビ初独占放送される予定です。半世紀にわたる音楽活動を振り返る貴重な機会となります。

ビクターの公式プロフィールでも、未唯mieは現在も定期的にライブや舞台を開催していると紹介されています。

また、2021年には五世花柳流宗家家元・花柳壽輔から「花柳舞千鳥」の名を許され、名取となりました。音楽以外の芸術分野にも活動の幅を広げています。

つまり、現在の未唯mieは、かつてのアイドルとしての知名度に頼るだけではなく、ソロアーティストとして独自の表現を続けている人物です。

【本名と芸名の変遷】ミーの正体は根本美鶴代!MIEから未唯mieへ

ピンク・レディーのミーについて調べると、「根本美鶴代」「MIE」「未唯」「未唯mie」という複数の名前が出てきます。

これらは別人ではありません。いずれも同じ人物を指しています。

未唯mieの本名は根本美鶴代(ねもと・みつよ)です。ピンク・レディー時代は「ミー」という名前で活動し、グループ解散後にソロ活動へ移行する過程で芸名を変更しました。

共同通信社が配信した2026年の50周年公演関連資料でも、ソロ名義はMIEから始まり、1998年に未唯、2006年から現在の未唯mieになったと紹介されています。

芸名の変遷を整理すると、次のようになります。

  • ピンク・レディー時代:ミー
  • ソロ活動初期:MIE
  • 1998年:未唯に改名
  • 2006年:未唯mieに表記を変更

「ミー」と「未唯mie」は読み方こそ同じですが、活動時期によって表記が異なります。昔のレコードや映像資料ではMIEという表記も多いため、検索する際には複数の名前を使うと情報を見つけやすくなります。

ソロ活動では1981年に「ブラームスはロックがお好き」でデビュー。その後は舞台、ミュージカル、テレビ、映画などにも活動領域を広げました。

1984年にはソロシングル「NEVER」がドラマ「不良少女とよばれて」の主題歌に起用されるなど、ピンク・レディーとは異なる音楽活動でも実績を残しています。

2008年には絵本「モコちゃん」、2012年にはエッセイ「美の意識~いつでもピンク・レディーでいられる私の習慣」を出版。歌手としてだけでなく、自身の経験や美意識を発信する活動も行ってきました。

ピンク・レディーのミーというイメージが強い一方、実際には解散後も長いソロキャリアを築いているのです。

【経歴・年表】1976年のデビューから1977~1978年の人気絶頂期へ

ピンク・レディーの歴史を振り返ると、デビューからわずか数年で国民的な人気を獲得したことが分かります。

ミーとケイは1974年にフォークデュオ「クッキー」を結成。その後、日本テレビ系のオーディション番組「スター誕生!」で注目され、ビクターからデビューすることになりました。

1976年8月25日、シングル「ペッパー警部」で正式にレコードデビュー。所属事務所はT&Cミュージック、レコード会社は当時のビクター音楽産業でした。

デビュー当初は、それまでの女性アイドルとは異なる大胆な衣装や振り付けが注目され、評価が分かれることもありました。しかし、楽曲のヒットが続くにつれて人気は急速に拡大します。

主要な出来事を時系列で整理しました。

時期 出来事・活動 主なポイント
1974年 フォークデュオ「クッキー」結成 ミーとケイの活動の原点
1976年8月25日 「ペッパー警部」でデビュー ビクターからレコード発売
1977年 人気が全国的に拡大 「S・O・S」「カルメン'77」「渚のシンドバッド」「ウォンテッド」などがヒット
1977年12月 「UFO」発売 代表曲の一つとなり、翌年も大ヒット
1978年 人気絶頂期 「サウスポー」「モンスター」「透明人間」などを発表
1981年3月 ピンク・レディー解散 約4年7か月のグループ活動に一区切り
1981年 ソロ活動を本格化 未唯mieは「ブラームスはロックがお好き」でソロデビュー
2003~2005年 メモリアルコンサートツアー 全国100か所、200公演を実施
2010~2011年 グループ再始動 2010年に「解散やめ!」を発表し、翌年に全国ツアー
2026年 デビュー50周年 未唯mieがソロ45周年記念公演を開催

特に注目したいのが1977年から1978年にかけての勢いです。

1977年のオリコン年間シングル売上ランキングでは、「渚のシンドバッド」が1位、「ウォンテッド」が3位、「カルメン'77」が7位、「S・O・S」が8位にランクインしました。

翌1978年も「UFO」が年間売上1位、「サウスポー」が2位、「モンスター」が3位となるなど、ヒット曲を連発しています。

人気のピークは1976年から1978年にかけての時期ですが、実質的なブームの中心はブレイクを果たした1977年と1978年でした。

わずか数年の活動期間で、これほど多くのヒット曲を生み出したことが、現在もピンク・レディーが昭和歌謡を代表する存在として語られる理由の一つです。

【人気の理由】土居甫の振り付けと子どもたちを夢中にさせたブーム

ピンク・レディーの人気を理解するうえで欠かせないのが、音楽と振り付けの一体感です。

当時の女性アイドルは歌唱力や容姿、衣装などが人気を左右する大きな要素でした。しかし、ピンク・レディーは楽曲の世界観を身体全体で表現するスタイルを確立しました。

その振り付けを担当したのが、振付師の土居甫(どい・はじめ)です。

「UFO」では頭上に手を掲げる印象的なポーズ、「サウスポー」では野球をイメージさせる動きなど、曲ごとに異なるテーマが振り付けへ反映されました。

単純に踊るだけではなく、歌詞に登場する人物や物語を身体の動きで表現する点が特徴でした。

2026年に放送された朝日放送テレビの特集でも、土居甫による振り付けの意味が取り上げられています。

また、未唯mie自身もインタビューで「UFO」の振り付けについて、本番のわずか2時間前に教わったと振り返っています。多忙なスケジュールの中で生まれた振り付けが、何十年も記憶される名場面になったのです。

もう一つ注目したいのが、子どもたちの支持です。

1978年10月時点のオリコン調査として紹介されているデータでは、ピンク・レディーの支持層のうち、3歳から12歳までが42.5%を占めていました。

この数字は、彼女たちが大人向けのアイドルにとどまらず、子どもたちにも強く支持されていたことを示しています。

当時の児童向けテレビ雑誌でも取り上げられ、女の子たちの間では「UFO」や「サウスポー」の振り付けを覚えて踊ることが流行しました。

このブームを生み出した背景には、次のような要素がありました。

  • 覚えやすい振り付け:特徴的な動きがあり、子どもでも真似しやすかった。
  • 曲ごとの世界観:宇宙、指名手配、野球など、想像力を刺激するテーマが豊富だった。
  • 視覚的なインパクト:衣装やダンス、表情がテレビ画面で強く印象に残った。
  • テレビと雑誌の相乗効果:歌番組や児童向け雑誌を通して、幅広い世代に浸透した。

作詞家の阿久悠、作曲家の都倉俊一、振付師の土居甫という制作陣の仕事も、人気を支えた重要な要素です。

楽曲だけでも、ダンスだけでも成立しない。音楽、衣装、歌詞、身体表現を組み合わせた総合的なエンターテインメントだったからこそ、ピンク・レディーは社会現象になったのです。

【相方ケイの現在】増田惠子も現役!未唯mieとの関係や不仲説は?

ピンク・レディーのもう一人のメンバーは、ケイこと増田惠子(ますだ・けいこ)です。

1957年9月2日生まれ、静岡県出身。1976年にピンク・レディーとしてデビューし、1981年の解散後はソロ歌手・女優として活動してきました。

ソロデビュー曲は中島みゆきが作詞・作曲した「すずめ」。1982年には40万枚のヒットを記録し、ソロ歌手としても成功を収めています。

2026年現在も増田惠子は音楽活動を続けています。

2026年8月には、ピンク・レディーのデビュー50周年と自身のソロデビュー45周年を記念した新曲「貴方は彼方へ」を配信でリリース。8月19日にはCDシングルも発売されました。

この曲は、増田惠子が書いた手紙をもとに、シンガーソングライターの竹原ピストルが作詞・作曲した作品です。ソロアーティストとして新しい作品を発表していることが分かります。

また、2026年12月14日には京都でクリスマスディナーショーを開催する予定で、2027年2月にもソロとピンク・レディーの楽曲を取り上げるコンサートが予定されています。

では、未唯mieと増田惠子の現在の関係はどうなっているのでしょうか。

2人は1981年の解散後、それぞれのソロ活動を中心にキャリアを重ねてきました。その後、2003年から2005年にはピンク・レディーのメモリアルコンサートツアーを開催。2010年には「解散やめ!」を発表し、2011年には全国22か所のコンサートツアーを実施しています。

このように、解散後もピンク・レディーとして活動した実績があります。

一方、2026年のデビュー50周年については、それぞれがソロ名義で記念公演や音楽活動を展開しています。

日刊ゲンダイは2026年9月、2人が別々の音楽番組に出演したことや、50周年の合同記念コンサートが実現していないことなどを背景に、不仲説を取り上げました。

ただし、別々の番組やコンサートに出演していることだけで、2人の関係が決裂したと判断することはできません。本人たちによる公式な絶縁発表があったわけでもありません。

現在の状況を整理すると、次のようになります。

  • 未唯mieはソロ歌手として50周年記念公演を開催。
  • 増田惠子もソロ歌手として45周年記念の新曲を発表。
  • ピンク・レディーとしては過去に解散撤回や再始動、合同ツアーの実績がある。
  • 2026年の個別活動だけを根拠に、不仲や絶縁を断定することはできない。

かつての相方であることに変わりはありませんが、現在はそれぞれの音楽人生を歩んでいるという見方が、公開されている活動実績に沿った理解です。

【誤解を整理】ピンク・レディーの記録と現在の情報を調べる際の注意点

ピンク・レディーについて調べると、ヒット曲の記録やメンバーの近況について、情報が混同されているケースがあります。

特に注意したいのが、「渚のシンドバッド」と「ウォンテッド」のオリコン記録です。

「渚のシンドバッド」は1977年6月27日付のオリコンチャートで初めて1位を獲得し、その後の返り咲きを含めて通算8週間1位を記録しました。

一方、12週連続1位を達成したのは「ウォンテッド(指名手配)」です。前作から続くヒットの流れと混同されやすい部分ですが、曲ごとの記録を分けて理解する必要があります。

「UFO」も10週連続1位を記録しており、ピンク・レディーのチャートでの強さを象徴する作品です。

また、未唯mieの現在について調べる場合、古いプロフィールだけでは近況を正確につかめません。

例えば、過去の出演情報や昔の芸名で掲載された人物紹介を、現在の活動状況だと受け取ってしまうことがあります。

情報を見分ける際には、次の点を確認するとよいでしょう。

  • 現在の活動:ビクターエンタテインメントの公式アーティストページで最新作品を確認する。
  • コンサート情報:本人の公式情報や主催者、会場の公演情報を確認する。
  • テレビ出演:放送局の番組情報で放送日と出演者を確認する。
  • 芸名や本名:公式プロフィールや信頼できる人物データベースで照合する。
  • 不仲説などの報道:報道された事実と、記事内の推測や関係者の見解を区別する。

とりわけ芸能人の人間関係は、共演の有無だけで判断できるものではありません。ソロ活動を選んでいることと、個人的な関係が悪化していることは別の問題です。

未唯mieと増田惠子についても、個別の活動実績と、2人の関係について公に確認できる情報を分けて見ることが大切です。

【ピンク・レディーのミー現在】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:ピンク・レディーのミーは2026年現在も芸能活動をしていますか? A1:はい。未唯mieとして歌手・女優活動を続けています。2026年9月にはデビュー50周年とソロデビュー45周年を記念したコンサートを開催し、同月には新曲「Anti Limit」も発売しました。

Q2:未唯mieの本名は何ですか? A2:根本美鶴代(ねもと・みつよ)です。ピンク・レディー時代はミー、ソロ活動初期はMIE、その後は未唯、2006年から現在の未唯mieという芸名で活動しています。

Q3:ピンク・レディーのケイは現在どうしていますか? A3:ケイこと増田惠子も現役の歌手です。2026年にはソロデビュー45周年を迎え、新曲「貴方は彼方へ」を発売しました。コンサートやテレビ出演などの活動も続けています。

Q4:未唯mieと増田惠子は不仲なのでしょうか? A4:2026年には別々のソロ活動が中心となっていますが、公式に絶縁や決裂が発表された事実は確認できません。過去には2010年の「解散やめ!」宣言や2011年の再始動ツアーも実施しています。

Q5:ピンク・レディーがデビューしたのは何年ですか? A5:1976年8月25日です。ビクターからシングル「ペッパー警部」を発売してデビューしました。

Q6:「渚のシンドバッド」はオリコンで12週連続1位だったのですか? A6:いいえ。通算8週間1位を獲得したのが「渚のシンドバッド」です。12週連続1位を達成したのは、続くシングル「ウォンテッド(指名手配)」です。

ピンク・レディーのミーこと未唯mieは、2026年現在も歌手・女優として活動しています。

本名は根本美鶴代。ソロ活動ではMIE、未唯、未唯mieと芸名を変えながら、長いキャリアを築いてきました。

1976年の「ペッパー警部」でのデビューから、1977~1978年の人気絶頂期、1981年の解散、そして再始動を経て、2026年にはデビュー50周年という大きな節目を迎えています。

相方の増田惠子も現役で活動しており、2026年にはソロデビュー45周年を迎えました。2人の現在はそれぞれのソロ活動が中心ですが、ピンク・レディーとして残した功績は今も色あせていません。

注目すべきなのは、未唯mieが過去のヒット曲を披露するだけの存在ではないことです。新曲の発表、記念コンサート、舞台やライブなど、現在の自分を表現する活動を続けています。

1970年代に子どもから大人までを夢中にさせたピンク・レディー。そのミーが半世紀を経た今もステージに立ち続けていることは、日本の歌謡史における一つの大きな足跡です。

昔のピンク・レディーを知る世代にとっては懐かしい存在であり、若い世代にとっては新鮮なパフォーマンスを見せるアーティストでもあります。未唯mieのこれからの音楽活動にも注目が集まります。

主な根拠資料・確認先

- ビクターエンタテインメント「未唯mie公式プロフィール・作品情報」
- 共同通信社「未唯mieデビュー50周年・ソロ45周年記念公演資料」
- TBSチャンネル「未唯mie DEBUT 50th & SOLO 45th Anniversary Celebration」
- ビクターエンタテインメント「ピンク・レディー公式プロフィール」
- ニッポン放送「渚のシンドバッド」のオリコン記録に関する解説
- オリコン調査を紹介した1978年の支持層データ・人気分析
- 増田惠子オフィシャルサイト・ビクター公式作品情報
- 朝日放送テレビ「爆踊!アバンギャルディ 昭和歌謡の宴」

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一之瀬 美緒

スマホと家電のレビューを7年。スペックはメーカー公式の仕様表、価格は販売店の表示を基準にしています。

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