ホーム スポーツ 江上由美のバレーボール経歴を総整理!ロス五輪銅メダルから2026年の現在まで徹底解説

江上由美のバレーボール経歴を総整理!ロス五輪銅メダルから2026年の現在まで徹底解説

早瀬 智也 早瀬 智也 • 更新: • 公開: • 読了約 18 分
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江上由美(えがみ・ゆみ)は、1984年ロサンゼルスオリンピックで女子バレーボール日本代表の銅メダル獲得に貢献した元トップ選手です。日立バレーボール部で実績を積み、全日本女子の主将として活躍。その後、一度は現役を引退して小田急バレーボール部の監督に就任しましたが、1987年に選手として復帰し、1988年ソウルオリンピックにも出場しました。

結婚後は丸山由美という名前で活動しており、2026年現在もバレーボールの普及や指導に関わっています。2026年1月31日には千葉県ママさんバレーボール連盟の創立50周年記念教室で講師として紹介されました。選手時代の実績だけでなく、引退、指導者への転身、現役復帰という異例の経歴にも注目が集まります。

【人物プロフィール】江上由美と丸山由美は同一人物!生い立ちと基本経歴

江上由美バレーボール

江上由美は、1957年11月30日生まれ、東京都出身の元女子バレーボール日本代表選手です。結婚後は丸山姓となり、現在は丸山由美の名前で知られています。

実業之日本社の著者プロフィールによると、中学生の頃からバレーボールを始め、松蔭高校を卒業後、1976年に日立バレーボール部へ入社しました。現役時代の身長は175cmで、ポジションはセンターです。

高校卒業後に実業団へ進み、国内トップレベルの環境で技術を磨いたことが、その後の日本代表入りにつながりました。1977年には全日本代表に初選出され、1982年からは全日本女子の主将を務めています。

人物プロフィールを整理すると、次のようになります。

  • 名前:江上由美(現・丸山由美)
  • 生年月日:1957年11月30日
  • 出身地:東京都
  • 出身高校:松蔭高校
  • 実業団:日立バレーボール部
  • ポジション:センター
  • 身長:175cm
  • 全日本代表初選出:1977年
  • 全日本女子主将:1982年から
  • 現在の活動名:丸山由美

ここで押さえておきたいのは、江上由美と丸山由美を別々の選手として扱わないことです。1984年のロサンゼルス五輪では江上由美、1988年のソウル五輪では丸山由美として日本代表メンバーに登録されています。

名前が異なるのは結婚後に姓が変わったためであり、両大会に出場した選手は同一人物です。

【日立時代の活躍】センタープレーヤーとして全日本女子の主将へ

江上由美の競技人生を語るうえで欠かせないのが、日立バレーボール部で過ごした時代です。

1976年に日立へ入社した江上は、翌1977年に全日本代表に選ばれました。当時の日立は日本女子バレーボール界を代表する強豪チームであり、優れた選手が集まる競争の激しい環境でした。

その中で江上は、センタープレーヤーとして成長していきます。

センターというポジションで発揮した強み

センターは、ネット際でのブロックや素早い攻撃への対応が求められるポジションです。相手の攻撃を読み、味方のブロックを組織しながら、速攻にも対応する判断力が欠かせません。

江上は175cmの体格を生かし、センターとして日本代表の攻守を支えました。日本バレーボール協会の五輪代表記録でも、1984年ロサンゼルス大会と1988年ソウル大会の両方でセンターとして登録されています。

また、個人のプレーだけでなく、チームをまとめる役割も担いました。

1982年から全日本女子の主将を担当

江上は1982年から全日本女子の主将を務めました。1977年の代表初選出からわずか数年でチームの中心的存在となったことは、当時の実力と信頼を示す経歴です。

1983年にはアジア選手権で最優秀選手に選ばれたことも紹介されています。日立で培った技術と国際大会での経験を背景に、1984年のロサンゼルスオリンピックへと進みました。

江上の経歴で重要なのは、単に五輪に出場したことだけではありません。実業団の主力選手から日本代表の主将へと役割を広げ、チーム全体を背負う立場になった点です。

【五輪実績・経歴年表】1984年ロサンゼルス銅メダルから1988年ソウル大会まで

江上由美の名前が日本のバレーボール史に残る最大の理由は、1984年ロサンゼルスオリンピックでの銅メダル獲得です。

日本女子代表は大会を3位で終え、表彰台に立ちました。日本オリンピック委員会(JOC)の記録にも、江上由美は1984年大会の女子バレーボール代表選手として掲載されています。

1984年ロサンゼルスオリンピックで銅メダル

ロサンゼルス大会で日本女子は予選リーグを戦い、準決勝では中国に敗れました。しかし、3位決定戦でペルーに3対1で勝利し、銅メダルを獲得しています。

フォート・キシモトの大会写真記録にも、1984年8月7日の日本対ペルーの3位決定戦に出場した江上由美の姿が残されています。

この大会での銅メダルは、日本女子バレーボールの国際的な競争力を示す重要な実績です。江上は主将としてチームを支え、センターのポジションから日本の戦いに貢献しました。

1988年ソウルオリンピックにも出場

ロサンゼルス大会後に一度引退した江上ですが、1987年に現役復帰を果たします。そして翌1988年、ソウルオリンピックの日本代表に選出されました。

このときの登録名は丸山由美です。日本バレーボール協会の公式記録には、所属が小田急、ポジションがセンター、出身校が松蔭高校と記載されています。

ソウル大会での日本女子の最終順位は4位でした。ロサンゼルス大会の銅メダルと混同されることがありますが、ソウル大会ではメダルを獲得していません。

江上由美・丸山由美の主要経歴年表
時期 出来事 主な実績・所属
1957年 東京都で誕生 11月30日生まれ
高校卒業後 松蔭高校を卒業 バレーボール選手として成長
1976年 日立に入社 日立バレーボール部
1977年 全日本代表に初選出 国際大会で活躍
1982年 全日本女子の主将に就任 チームの中心選手として活躍
1984年 ロサンゼルスオリンピック 銅メダル獲得
1986年 小田急バレー部の初代監督に就任 指導者へ転身
1987年 現役復帰 全日本代表への復帰を目指す
1988年 ソウルオリンピック 丸山由美として出場、日本は4位
引退後 バレーボールの指導・普及活動 日本バレーボール協会公認講師など
2026年1月 千葉県の記念バレーボール教室 講師として開催案内に掲載

この年表から分かるのは、江上のキャリアが1984年の銅メダルだけで完結していないことです。引退後の指導者転身を経て再び代表選手となり、ソウル五輪にも出場した点が、ほかの選手経歴とは異なる特徴になっています。

【現役復帰の経緯】小田急バレーボール部の監督から再び日本代表へ

江上由美の経歴の中でも、とりわけ興味深いのが1984年のロサンゼルス五輪後に経験した現役引退と復帰です。

オリンピック後に選手生活を終えた江上は、小田急で新たに立ち上げられた女子バレーボールチームの初代監督に就任しました。選手としてコートに立つ立場から、チームをつくり、選手を育てる立場へと転換したのです。

小田急で指導者として新たなキャリアを開始

1986年に小田急バレー部の初代監督に就任したことは、当時のプロフィールを掲載したプレスリリースにも記録されています。

新しいチームの監督として選手を集め、競技環境を整える仕事は、現役時代とは異なる責任を伴います。江上にとっては、競技者として培った経験を次の世代に伝える機会でもありました。

ところが、全日本女子に大きな変化が起こります。

全日本の事情が現役復帰につながった

文春オンラインの2022年の連載記事では、1988年ソウル五輪に向けた代表チームの再編と、江上の復帰に至る経緯が詳しく紹介されています。

当時、全日本の主将だった中田久美が右膝の靱帯を断裂する大けがを負いました。代表チームの再構築を進めていた山田重雄監督は、ロサンゼルス五輪後に引退していた江上に復帰を打診します。

しかし、江上はすでに小田急の監督としてチームづくりを進めていました。自ら選手をスカウトしていたこともあり、チームを離れることには大きな責任が伴います。

さらに、現役を離れて2年以上が経過していたため、身体を競技レベルに戻すことも簡単ではありませんでした。

文春オンラインの記事では、江上が当時の状況を振り返り、日の丸を背負う責任を考えて個人的な事情を後回しにした経緯が紹介されています。

夫が小田急の監督を引き継ぐ形で復帰を実現

江上の復帰にあたっては、小田急のチームをどうするかという問題もありました。

同記事によると、江上は大学で教員を務め、バレーボール部の監督をしていた夫に小田急の監督を引き継いでもらう形で、代表復帰への道を整えました。

こうした調整を経て、江上は1987年に選手として復帰。1988年のソウルオリンピックでは丸山由美の名前で代表メンバーに入りました。

この経緯は、単純に引退を撤回したという話ではありません。新しいチームを立ち上げた指導者としての責任と、日本代表の主将経験者としての責任が交差した、重要なキャリアの転換点でした。

【2026年最新の活動】日本バレーボール協会公認講師と小田急での指導歴

選手引退後の丸山由美は、競技経験を生かしたバレーボールの普及・指導活動に携わっています。

実業之日本社のプロフィールでは、日本バレーボール協会公認講師、小田急バレーボールクリニック主任講師として、ママさんバレーの指導に当たっていると紹介されています。

また、2021年4月に公開された本人インタビューでも、両方の講師として活動していることが紹介されました。

小田急バレーボールクリニック主任講師としての役割

小田急バレーボールクリニックでの活動は、トップレベルの競技経験を一般のバレーボール愛好者へ還元する取り組みです。

特にママさんバレーでは、競技経験の長さや年齢、体力、技術レベルが異なる選手が同じコートでプレーします。そのため、単純に強いスパイクや速い攻撃を教えるだけではなく、個々の能力に応じた技術指導が必要になります。

丸山は2021年のインタビューで、ママさんバレーには20代から50〜70代まで幅広い年齢層が参加しており、90歳でコートに立つ人にも出会ったと話しています。

また、勝敗だけではなく、仲間とのコミュニケーションや一緒にプレーする喜びも、バレーボールを長く続ける理由として挙げています。

こうした発言からは、競技力の向上だけを目的としない、生涯スポーツとしてのバレーボール普及に対する姿勢がうかがえます。

2026年1月31日には千葉県の記念教室で講師として掲載

2026年の活動を確認するうえで注目したいのが、千葉県ママさんバレーボール連盟の創立50周年記念イベントです。

同連盟が公開した開催案内によると、イベントは2026年1月31日(土)に千葉ポートアリーナで開催する予定として告知されました。

プログラムはトークショーとバレーボール教室で、丸山由美のほか、櫻井由香、多治見麻子、井上謙の各氏が講師として掲載されています。

この資料では丸山由美について、1984年ロサンゼルス五輪の銅メダル獲得時の主将、1988年ソウル五輪にも出場した元日本代表選手として紹介されています。

ここで確認できるのは、2026年1月の教室に講師として登壇することが開催案内で告知されていたという事実です。開催案内とイベント終了後の実施報告は区別して捉える必要があります。

2026年の所属・役職にも注目

日本ソフトバレーボール連盟の公式プロフィールでは、2025・2026年度の役員一覧に丸山由美の名前が掲載され、参与を務めることが確認できます。

一方、日本バレーボール協会の理事については、2025年6月24日の定時評議員会終了時に任期満了となった退任理事の一覧に丸山由美の名前があります。

つまり、2026年の活動を紹介する際には、日本バレーボール協会公認講師という指導者としての肩書きと、同協会の理事という組織上の役職を混同しないことが大切です。

2026年現在の丸山由美は、現役時代の実績を土台に、バレーボールの普及や地域でのスポーツ活動に関わる人物として捉えるのが適切です。

【プロの結論】江上由美の本当の功績は五輪実績だけではない

江上由美の経歴を振り返ると、注目すべきポイントは大きく3つあります。

1. 日立から全日本へと成長した競技者としての実績

1976年の日立入社、1977年の全日本初選出、1982年の主将就任という経歴は、実業団での競争と代表活動を通じて着実に成長した過程を示しています。

1984年のロサンゼルス五輪で銅メダルを獲得したことは、その積み重ねが国際舞台で実を結んだ結果でした。

2. 引退と復帰を経験した希少なキャリア

一度引退して小田急の監督になり、その後に再び選手として代表へ戻るという経歴は、非常に特徴的です。

選手としての能力だけでなく、チーム運営や指導者としての責任を経験したうえで、再び世界大会の舞台に立った点に、江上のキャリアの奥行きがあります。

3. トップアスリートの経験を生涯スポーツへつないだこと

現在の丸山由美の活動で重要なのは、オリンピック経験を持つ選手が、競技引退後も一般の愛好者と接点を持ち続けていることです。

トップ選手が経験した技術や身体の使い方を、ママさんバレーや地域の教室に伝えることは、競技の裾野を広げるうえで意味があります。

また、2021年の本人インタビューでは、得意なことを見つけて伸ばすことの大切さにも触れています。これは、競技レベルや年齢にかかわらず、バレーボールを楽しむための考え方として受け止められます。

江上由美の歩みは、五輪で結果を残した選手が、引退後にどのように競技との関係を築き直せるかを示す一つの事例です。

【江上由美バレーボール】に関するよくある質問(FAQ)

Q1:江上由美と丸山由美は別人ですか?

A1:同一人物です。江上由美は旧姓で、結婚後は丸山由美の名前で活動しています。1984年ロサンゼルス五輪では江上由美、1988年ソウル五輪では丸山由美として日本代表に登録されています。

Q2:江上由美はロサンゼルスオリンピックで何位でしたか?

A2:1984年ロサンゼルスオリンピックの女子バレーボールで3位となり、銅メダルを獲得しました。日本は3位決定戦でペルーを3対1で破っています。

Q3:江上由美は1988年ソウルオリンピックにも出場しましたか?

A3:出場しています。1987年に現役復帰し、1988年ソウル五輪には丸山由美として出場しました。日本女子代表の最終順位は4位でした。

Q4:江上由美の出身高校はどこですか?

A4:松蔭高校です。高校卒業後の1976年に日立バレーボール部へ入社し、1977年には全日本代表に初選出されました。

Q5:江上由美は引退後に何をしていましたか?

A5:ロサンゼルス五輪後に一度引退し、1986年には小田急バレーボール部の初代監督に就任しました。その後、1987年に現役復帰し、ソウル五輪に出場。引退後はバレーボールの指導や普及活動に携わっています。

Q6:丸山由美は2026年現在もバレーボールの指導をしていますか?

A6:日本バレーボール協会公認講師、小田急バレーボールクリニック主任講師としての活動歴があり、2026年1月31日の千葉県ママさんバレーボール連盟の創立50周年記念教室でも講師として開催案内に掲載されました。また、2025・2026年度の日本ソフトバレーボール連盟の役員一覧では参与として記載されています。

江上由美は、日立バレーボール部で実力を磨き、全日本女子の主将として1984年ロサンゼルスオリンピックの銅メダル獲得に貢献した元日本代表選手です。

一度は現役を引退して小田急バレーボール部の監督に就任しましたが、1987年に復帰。1988年ソウルオリンピックにも丸山由美として出場し、日本の4位入賞を経験しました。

その後は日本バレーボール協会公認講師や小田急バレーボールクリニック主任講師として指導に携わり、2026年1月の千葉県の記念教室にも講師として掲載されています。

江上由美と丸山由美の経歴を調べる際は、1984年の銅メダルと1988年の4位という大会結果、旧姓と結婚後の名前、そして引退後の指導活動を分けて整理すると、人物像が正確に理解できます。

五輪での実績だけでなく、選手から監督へ、そして再び選手へと立場を変えながらバレーボールに向き合ってきた歩みこそ、丸山由美のキャリアを語るうえで欠かせない魅力です。

主な参照資料: 日本バレーボール協会の五輪公式記録、JOCのロサンゼルス大会記録、実業之日本社の人物プロフィール、文春オンラインの復帰経緯に関する取材記事、千葉県ママさんバレーボール連盟の2026年開催案内、日本ソフトバレーボール連盟の2025・2026年度役員一覧。

(出典: 江上由美バレーボール(Yahoo!ニュース))

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トレンドリサーチャー 早瀬 智也
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