若嶋津さんを語るうえで欠かせないのが、「南海の黒豹(クロヒョウ)」という異名です。
浅黒い肌、精悍な顔立ち、そして大柄な力士のイメージを覆す俊敏な動き。その姿が黒豹を連想させ、相撲ファンの間で親しまれるようになりました。
当時の大相撲では、圧倒的な体格や力強さを前面に出す力士が注目される一方、若嶋津さんはスピードと技術を生かした相撲で存在感を発揮しました。
若嶋津さんの相撲を特徴づけたポイント
- 左四つ: 相手の右腕の内側に左腕を差し、組み手を有利に進める。
- 上手投げ: 相手のまわしを取って体勢を崩し、投げる技術。
- 吊り: 相手の体を浮かせ、土俵の外へ運ぶ力強い攻め。
- 俊敏な動き: 相手の動きに対応する速さと、攻めに転じる判断力。
日本相撲協会の公式プロフィールにも、得意技として「左四つ・上手投げ・吊り」が記録されています。
1984年3月場所の初優勝は14勝1敗。同年7月の名古屋場所では15戦全勝という圧倒的な成績を残しました。2度目の優勝は、単に勝ち越しを積み重ねたのではなく、場所を通じて他の力士を圧倒する内容でした。
また、1981年11月場所には横綱・北の湖を破って初金星を獲得。翌1982年1月場所にも北の湖から金星を挙げています。上位力士に対しても臆することなく挑む姿勢が、人気を押し上げました。
「南海の黒豹」という愛称は、単なる見た目の印象にとどまりません。機敏な動きと技術、そして大舞台で結果を残す勝負強さを象徴する呼び名として、現在も若嶋津さんを語る際に使われています。
現役時代の実績を整理すると、幕内優勝2回、敢闘賞2回、技能賞3回、金星2個。最高位は東大関です。華やかな人気と競技実績を両立した力士でした。
【高田みづえとの結婚】妻・子供の勝信さんとアイリさん、家族の歩み

若嶋津さんの人生を振り返るうえで、高田みづえさんとの結婚も大きな出来事です。
高田みづえさんは1977年に歌手デビューし、「硝子坂」や「私はピアノ」などの楽曲で人気を集めました。若嶋津さんと同じ鹿児島県出身で、1980年代には芸能界と相撲界を代表する話題のカップルとして注目されました。
若嶋津さんは幕内に昇進した頃、雑誌のインタビューで理想の女性について尋ねられ、高田みづえさんの名前を挙げていたと伝えられています。その後、1985年2月に婚約を発表。同年9月27日に結婚式を挙げました。
高田さんは人気絶頂の時期に結婚を機に芸能界を引退。夫を支える道を選び、1990年に松ケ根部屋が創設されると、相撲部屋のおかみとして弟子たちの生活や部屋の運営を支えました。
スポーツニッポンの2026年8月のインタビューでは、約32年間にわたっておかみを務め、100人を超える弟子たちと過ごした経験を振り返っています。
若嶋津さんと高田みづえさんの子供
2人の間には1男1女がいます。
長男:勝信さん
若嶋津さんと高田みづえさんの長男。2026年3月24日の父親の葬儀では、参列者に向けてあいさつをしました。
長女:アイリさん
芸能活動を行う長女。2026年3月の告別式では、父親との思い出や感謝の気持ちを語りました。
葬儀でのアイリさんのあいさつは、家族の関係を知るうえでも印象的なものでした。
アイリさんは、父親が2017年に倒れてからは自分が父親を守っているつもりだったと振り返りました。しかし、最期まで自分たち家族を気遣う父親の姿を見て、実際には最後まで守られていたのだと気づいたと語っています。
また、父親について「世界で一番強くて優しくて、かっこよくて、私に甘いお父さん」と表現しました。
このあいさつから伝わるのは、土俵上で強さを見せた力士としての姿だけではありません。家庭では娘を温かく見守る父親でもあったという一面です。
高田さんと若嶋津さんは約41年間をともに過ごしました。長期療養中も家族が支え、2026年3月には妻と子供たちがそろって最後の別れを告げました。
【若嶋津さん死去後の現在】高田みづえさんの活動と家族のその後
若嶋津さんの死去後、妻の高田みづえさんは、長年務めた相撲部屋のおかみという役割を終えた後の人生と向き合っています。
注目されたのが、2026年8月25日に放送されたNHKの音楽番組「うたコン」への出演です。
高田さんがテレビで生歌唱を披露するのは約11年ぶり。番組では1977年のデビュー曲「硝子坂」と、1980年のヒット曲「私はピアノ」を歌いました。
スポニチの報道によると、夫を亡くした後、四十九日法要を終えた2026年5月ごろに出演の話を受けたといいます。高田さんは、夫が亡くなった後の心境についても語り、長年支えてきた相撲部屋のおかみとしての生活を終えたことにも触れました。
そして2026年10月24日には、ニッポン放送の「徳光和夫 とくモリ!歌謡サタデー」にゲスト出演。放送後の取材では、8月の歌唱について、夫の死去後に気持ちが落ち込んでいた時期にNHKから声がかかったことを説明しました。
歌手活動の本格的な再開については、現時点では慎重な姿勢を示しています。11年ぶりの歌唱をきっかけに再び注目を集めていますが、継続的な芸能活動を始めると発表したわけではありません。
一方、若嶋津さんの長男・勝信さんと長女・アイリさんも、父親との別れを経験しました。特にアイリさんは、告別式で母親のことも気遣い、参列者に今後も母をよろしくお願いしますと呼びかけています。
2026年10月31日時点で、若嶋津さん本人に関する新たな活動はありません。現在は、葬儀での追悼、妻の歌手としての一度限りのステージ、そして家族それぞれの生活が報じられています。
若嶋津さんの死去後も、高田みづえさんが再び歌声を披露したことは、夫婦が歩んできた時間を振り返る機会にもなりました。芸能界を離れて約40年、相撲部屋を支えてきた高田さんの新しい一歩としても注目されています。
【相撲界への功績】松ケ根部屋を創設し、7人の関取を育てた親方人生
若嶋津さんの功績は、現役時代の幕内優勝2回だけではありません。引退後に親方として後進を育てたことも、相撲界に残した大きな足跡です。
1987年7月場所で引退した若嶋津さんは、年寄「松ケ根」を襲名しました。1990年2月には二子山部屋から独立し、松ケ根部屋を創設。自身の経験を生かしながら、次世代の力士を育成する立場になりました。
その後、2014年には日本相撲協会の理事に就任し、同年12月には年寄「二所ノ関」を襲名しています。現役時代の実績に加え、協会運営にも携わる立場となりました。
若嶋津さんが育てた主な関取
- 若孜
- 若光翔
- 若東龍
- 春ノ山
- 松鳳山
- 一山本
- 島津海
スポーツニッポンが2023年12月に報じた「感謝の集い」では、若嶋津さん自身が、入門から48年を振り返り、関取を7人育てることができたと感謝を述べています。
松鳳山や一山本、島津海など、異なる時代に活躍した力士を育てたことは、指導者としての実績を示しています。
2021年12月には、部屋を元関脇・玉乃島の放駒親方に引き継ぎました。若嶋津さんは2022年1月に日本相撲協会の定年を迎え、参与として協会に残りましたが、2023年7月に退職しています。
2017年の転倒と頭部手術以降、長い療養生活を送りながらも、相撲界との関係は続いていました。退職後の2023年12月には、後援者や部屋のOBら約400人が集まる「感謝の集い」が開催されています。
こうした経歴を踏まえると、若嶋津さんの相撲界への貢献は、優勝回数や勝ち星だけでは測れません。自らが所属した二子山部屋で学び、独立後には松ケ根部屋を築き、関取を育て、協会理事も務めたという一連の歩みに価値があります。
土俵で結果を残す力士から、部屋を運営し後輩を育てる親方へ。現役引退後も長く角界に身を置いたことが、若嶋津さんのもう一つの大きな功績です。
【若嶋津六夫死去】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:若嶋津六夫さんはいつ、何歳で亡くなりましたか?
A1:2026年3月15日午前11時34分、69歳で亡くなりました。死因は肺炎で、千葉県鎌ケ谷市内の病院で家族に見守られての最期でした。
Q2:若嶋津さんの通夜と告別式はいつ行われましたか?
A2:通夜は2026年3月23日午後6時、告別式は24日午前10時から、千葉県市川市の昭和セレモニー・シティホール市川で行われました。喪主は妻の高田みづえさんで、通夜には約400人、告別式には約300人が参列しました。
Q3:若嶋津さんの妻は高田みづえさんですか?
A3:はい。1985年9月27日に結婚しました。高田みづえさんは結婚を機に歌手を引退し、夫が創設した松ケ根部屋のおかみとして約32年間、部屋を支えました。
Q4:若嶋津さんには子供が何人いますか?
A4:1男1女の2人です。長男は元俳優の勝信さん、長女はモデル・女優のアイリさんです。2026年3月の告別式では、2人とも父親との別れについてあいさつしました。
Q5:若嶋津さんの現役時代の最高位と優勝回数は?
A5:最高位は東大関です。幕内優勝は2回で、1984年3月場所に14勝1敗、同年7月の名古屋場所では15戦全勝を記録しました。生涯戦歴は515勝330敗21休です。
Q6:若嶋津さんが「南海の黒豹」と呼ばれた理由は何ですか?
A6:浅黒い肌と精悍な顔立ち、そして大柄な力士の中でも際立つ俊敏な動きが理由です。左四つや上手投げを得意とし、スピード感のある相撲で人気を集めました。
Q7:高田みづえさんは2026年現在、芸能活動を再開していますか?
A7:2026年8月25日にNHK「うたコン」で約11年ぶりに歌声を披露し、10月24日にはラジオ番組にも出演しました。ただし、10月の取材では本格的な歌手活動の再開について慎重な姿勢を示しています。
若嶋津六夫さんは、2026年3月15日に69歳で亡くなりました。死因は肺炎。3月23日に通夜、24日に告別式が営まれ、妻の高田みづえさん、長男の勝信さん、長女のアイリさんをはじめ、多くの関係者が別れを惜しみました。
1957年に種子島で生まれ、1975年に二子山部屋から初土俵。1983年に大関へ昇進し、翌1984年には幕内優勝2回を達成しました。「南海の黒豹」として人気を集めた現役時代は、大相撲の歴史に残るものです。
引退後も松ケ根部屋を創設し、7人の関取を育成。日本相撲協会の理事も務め、約48年にわたって相撲界に関わりました。
また、高田みづえさんとの結婚生活、2人の子供との家族の時間も、若嶋津さんの人生を形づくる大切な一面でした。2026年8月には高田さんが11年ぶりに歌声を披露し、10月にもメディア出演を通じて夫への思いを語っています。
若嶋津さんの功績を振り返る際に大切なのは、優勝回数や大関という地位だけに注目しないことです。土俵で見せた俊敏な相撲、親方として育てた力士たち、そして長年にわたって相撲界を支えた姿まで含めて、その人生を評価する必要があります。
「南海の黒豹」と呼ばれた名大関の記憶は、本人の現役時代を知るファンだけでなく、育てられた力士や次の世代の相撲ファンにも受け継がれていきます。